こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

片岡栄美 2003 「『大衆文化社会』の文化的再生産」 石井洋二郎・宮島喬編『反射するブルデュー』(pp.101-135) 藤原書店

要約

文化的平等神話

 本論文は、実際には文化の階層性、文化的再生産が存在する日本社会において、
なぜ「文化的平等神話」が浸透しているかを、ジェンダーという観点を含めて概観するものである。検討する問題は大別して次の2点である。

  • 日本社会特有の文化資本はどのようなものか?その文化的再生産と階層再生産の間の関係はどうなっているか?
  • ジェンダーによって文化資本の働きが異なるのはなぜか


 以下の議論では、上記の問題は根底でつながっており、ジェンダーによって階層再生産と文化的再生産が分業されている構造が日本社会に存在することを示す。

文化的オムニボアの社会

 まず、日本社会の「大衆文化」は、「文化的オムニボア」と特徴づけられる(→表1:SSM1995の分析)。すなわち、人々のハイカルチャーへの関与(排除)には階層差があるが、大衆文化への関与(排除)には存在しないのである。こうした、「高地位者はハイカルチャーも大衆文化も両方に関与する」という日本社会の特徴は、フランス社会と対照をなす。そして、このような特徴は「文化的寛容性仮説」―「現代の文化資本とは、文化的に排他的であることではなく、文化的な多様性や寛容性を示すこと(p.108)」―によって説明できる。


 日本社会においては、「文化的平等」という誤認や階層的なルサンチマンの回避戦略を通じて、大衆文化がハイカルチャーの象徴的境界を隠蔽し、文化と階層の対応関係を見えなくさせる機能を果たしていると言える。

生活様式空間からみた日本とフランス

 次に、生活様式空間と社会的位置空間の対応関係を検討する。
SSM1995を用いた対応分析の結果によれば、フランスで認められた「文化資本と経済資本の交差配列」が日本でも見られる。

文化の「入れ子」構造と三つのライフスタイル

 文化消費には以下のような3パタンがあり、文化の「入れ子」構造といえる特徴が示された:

  • 伝統文化趣味および大衆文化趣味志向:主に経営者・管理者層(学歴−、経済+)
  • 西洋文化趣味および大衆文化趣味志向:主に高学歴専門職層(学歴+、経済−)
  • 大衆文化趣味志向:主に庶民階級/労働者層
文化消費のジェンダー・バイアス

 文化消費のジェンダー差を検討すると、女性の方がハイカルチャー志向であることがわかる。すなわち、女性に大きな文化消費の差が存在する。一方で、就労女性はそうでない女性よりもより大衆文化に近く、労働市場と大衆文化の間に親和性があることを示唆している。

階層再生産と文化的再生産のジェンダー構造

 地位達成過程をジェンダー別に検討したところ、女性では、相続文化資本が地位達成への効果を持っていた一方で、男性では文化資本による効果は認められず、むしろ学校外教育投資が有意な要因であった。

 婚姻市場においては、女性の場合、高い相続文化資本保持者のほうが配偶者の経済資本が大きいことが示されたが、男性の場合、そのような傾向は見られなかった。こうした結果から、女性においては、婚姻を通じた相続文化資本の経済資本への転換が行われているのに対し、男性では、文化資本を経由しないメリトクラティックな地位形成が機能していると考えられる。


 以上から、戦後日本社会において、「階層再生産と文化的再生産のジェンダー構造」の存在が示唆される。すなわち、戦後、メリトクラティックな選抜原理が強まる中で、文化資本を通じた社会移動は主として女性が担うものとなっていき、「男性=社会的地位の再生産」「女性=文化的再生産」という分業体制が成立した。そして、両者は、婚姻によって相互に補完しあう関係にあると考えることができる。つまり、「文化資本は女性を媒介として世代間再生産され、高地位の男性は高い文化資本を配偶者に求めるという形での婚姻を通じて、次世代への文化資本伝達と社会的再生産を果たす」(pp.124-5、および片岡 2000b)のである。

ハビトゥス文化資本ジェンダー

 では、こうした文化資本ジェンダー化―すなわち、男性=大衆文化的、女性=文化階層化―にはどのような背景があるのだろうか。そうした要因として、文化を分類し定義するハビトゥスそのもののジェンダー化が考えられる。神戸調査(1992年)では、回答者に、種々の活動に関して「自分の子どもに、してもらいたいか否か」という評価を求めているが、同調査の結果から、文化威信の高い―つまり「文化的」な―芸術文化活動は女子にふさわしいと評価される傾向が明らかとなった。こうしたことから、文化評価の認知枠組がジェンダー化していることがわかる。


 以上の議論から、文化活動の実践レベルのジェンダー・バイアスは、ハビトゥスレベル(「文化」認知のジェンダー化)および構造レベル(階層再生産と文化的再生産の分業構造)によって支えられていると結論づけられる。

以下、寺沢のコメント

p.122 文化資本による地位形成の具体的なメカニズム

 女性の相続文化資本が、「高い成績や学歴へと変換され収益をあげてい」る、「初職や現職の地位に有意なプラス効果を示」す、とあるが、こうしたメカニズムは具体的にどのように機能しているのだろうか。

前者(学歴資本への転換)に関しては、学校文化/学歴文化が、男女を異なる基準で評価しているということだろうか。(例えば、女子に対しては、「女らしい=優等生」という暗黙の評価基準が存在するというような)
一方、もしかすると、逆の因果の可能性も考えられないだろうか。つまり、男子には相続文化資本が、女子ほどスムーズに「相続」されず(例、芸術活動に親しませようにも拒否される、あるいは、そもそも親にその気がない)、文化資本とその後の地位達成が直接的な形で発現されることはすくないといった可能性である。

p.126 認知枠組ジェンダー化の背景

 「文化評価の認知枠組がジェンダー化している」というのは、自分の経験上からも納得がいくが、そうしたジェンダー・バイアスが生み出された背後にはどのような要因があるのだろうか。

英語は「大衆文化」か?

 私の研究対象は、日本社会における英語の位置づけについてであるが、この問題も、本論文のテーマである「文化資本ジェンダー化」という視点を援用して考えると興味深い示唆が得られると感じた。

 現在までの研究においても、「日本人」の英語に関する行動には、顕著なジェンダー差が認められることが示されている。たとえば、(1) 女性の英語力獲得機会には階層的な影響が見られるが男性はそうではない*1、および (2) 種々の英語使用のなかでも「趣味としての使用」のみに有意なジェンダー差がみられる*2といった点である。この結果だけを見ると、英語は本稿で言うところのハイカルチャーの側に位置づけられるかもしれない。

 しかしながら、英語へのジェンダー的効果には世代差があり、若い世代の方が女性の英語志向化がすすんでいくという結果*3を考え合わせると、「英語=ハイカルチャー」という単純な図式では解釈が難しくなっていくように思われる。なぜなら、終戦直後に比べ近年のほうが、英語の「実用性」に対する認識が高まっており(実際、この点は新聞記事等の英語言説によっても確認できる)、その面から言えば、近年のほうが英語の象徴的側面(=文化的地位の表示機能)は相対的に低下しており、したがって、「ハイカルチャー」から「大衆文化」に移行しえることも十分考えられるからである。しかしながら、実際はそうなっていない(ように見える)。こうした「矛盾」(らしきもの)はどのように考えたらよいのだろうか。

*1:寺沢拓敬 (2009). 「社会環境・家庭環境が日本人の英語力に与える影響―JGSS-2002・2003の2次分析を通して」大阪商業大学比較地域研究所・東京大学社会科学研究所編 『日本版 General Social Surveys 研究論文集 (8) JGSSで見た日本人の意識と行動』(pp. 107-120)大阪商業大学比較地域研究所

*2:Terasawa, T. (2011, forthcoming). The statistical analysis of necessity to use English in Japanese society. Yoshijima, S. (ed.). it Fremdsprachenerziehung: ihre Rollen und Herausforderungen (Foreign Language Education: its Role and Challenges). Gunther Narr Verlag Tuebingen.

*3:上掲、寺沢 2009