社会状況に関する調査データをいい加減に引用する英語教育学者はたまにいて、院生の頃から忸怩たる思いであった。先生方・先輩方、何やってるんですか、研究ごっこはやめてくださいと。
データの文脈もわからずエビデンス(笑)として引用するというのは、まるで小中高の自由研究である。ま、英語教育学者には小中高出身の人も多いのでむべなるかなではある。
けっこう色々な媒体で(扇情的な筆致で)やめてくれと書いているんだけど、ぜんぜんなくならない。
先日もそういった文章を読んでしまった。しかも、英語科教育法のテキストブック。
ところで、英語教育学において、調査データを使ったポンコツな引用のツートップが次のもの。
- 英会話業者などがやっているバラマキ型のインターネット調査を使って、英語使用・英語学習の実態を論じる
- TOEFL の国別スコアを使って日本の英語教育が遅れていると論じる
である。
上記のデータに関して、「たしかに問題はあるが、参考情報にはなる」などと擁護する人がいるが、勘違いも甚だしい。
「問題はあるが参考にはなる」というのは、ちょっと回収率が低い調査とか、特殊な集団を母集団にしている調査とかそういうものである。外的妥当性がそもそもまったくない調査は、参照基準がないため、参考にしたくてもできない。
明らかに悪手な調査データを引用してくるというのは、中高生の自由研究や大学生のレポートでもよく見かけるが、知識が増えてくると徐々に吟味ができるようになってくる(と信じたい)。
というわけで、戯れにデータリテラシー発達段階というものを考えた。異論は認めます。
発達段階 |
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データなしで印象論で社会状況を語る |
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自説に都合のよい調査をネットで探してくる |
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本・論文で引用されている調査を孫引き |
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調査の信頼性はチェックするが権威主義的(調査者は誰か等) |
↓ |
調査設計で信頼性を判断 |
↓ |
回収率・設問内容で信頼性を判断 |
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信頼性の担保された複数の調査に目配りをして総合的に解釈 |