こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

どれだけエビデンス概念を英語教育に適用できるか/できないか(その1)

こちらの記事は、拙編著『 英語教育のエビデンス: これからの英語教育研究のために 』を執筆していたときの下書きです。(2022年10月20日追記)


本章では、英語教育研究が、いかにして「エビデンスに基づく実践・政策」(evidence-based policy and practice, 以下EBPP)と接続(不)可能かどうかを論じる。

運動としてのEBPP

EBPPの源流は1990年代の「エビデンスに基づく医療」(EBM)である。 医療従事者の経験則や勘ではなく、実証的根拠にもとづいて科学的に医療行為を選択すべきであるというのがEBMの根本思想である。 この考え方は、その後、医療の枠を超え社会政策の様々な分野に浸透した。教育分野(教育実践・教育政策)もそのひとつであり、エビデンスに基づく教育などと呼ばれる(evidence-based education, 以下EBE)。

エビデンスに基づく○○」はとりわけ医療の分野で成功を収めたが、その主たる要因の一つが、統計学をはじめとした科学的方法論による説得力だろう。 科学による裏付けが、経験則や勘などの属人的要素を排し、意思決定の正当性を担保することに貢献した。

その点でEBPPには明確な科学志向があるが、同時に、EBPPは紛れもなく政治的・社会的運動 (movement) でもある。 つまり、伝統的な属人的意思決定は非効率的であり、それを科学的なものに変革することでよりよい成果がもたらされるという信念のもと、意思決定に関わる制度や実務者の意識の改革を目指すものである。 明確な価値観に駆動されている以上、中立的なものでも非政治的 (apolitical) なものではない――だからこそ、この(しばしば隠蔽された)政治性について批判がなされることもある。

3つの論点

EBM/EBPP/EBEには、すでに膨大な量の論説があるが、力点は文献によって大きく異なる1。 技術的な革新性(ランダム化比較試験や系統的レビューなど――後述)のみに限定して論じるものも多いが、その運動体としての性格――一連の意思決定システムの構築や、さらにこの運動の波及効果といったマクロな議論――を含めるものもある。 こうした議論の多様性が、しばしば「議論がかみ合わない」と評される一因でもある。

EBEのこれまでの議論は、図NNNにある3つの観点で整理するのが有効だと考える。

3つの論点

第1に、「エビデンス」の定義である。 最も狭義 (a-1) が、「処遇→アウトカム」という因果モデルにおける因果効果を示した実証的データであり、かつ、その確からしさ(エビデンスの質)に関して格付けを経たものを意味する。これは、医療(EBM)における標準的な定義である。 それより少し広い定義として、(a-2) 単に「因果効果を示した実証データ」を意味する用法 もあり、さらに広義のものに (a-3) 必ずしも因果効果に限定されない量的データ全般を指す用法もある2。 なお、日常語の「根拠」のように実証性を必ずしも前提にしない用例もあるが(例、「反論するときはエビデンスを述べるべし」)、こちらはEBPPの文脈では誤用と言って差し支えないだろう。

第2に、EBPPの一連のパッケージのうち、どの段階に注目するかである。 具体的には、正木・津谷(2006)の整理における「エビデンスをつくる」「つたえる」「つかう」の各段階に対応する。 「つくる」は、研究者の活動――質のよいエビデンスが得られる研究をどのように組織するか――に関わる。

一方、「つかう」は実務者(例、教師)や政策決定者が、意思決定に際しエビデンスの適切な参照方法である。 多忙な実務者にとって有効なエビデンスを効率的に「掘り出す」方法や、エビデンスを吟味する目(いわばエビデンスリテラシー)がここに含まれる。

そして、両者を橋渡しするのが「つたえる」である。 既存の研究成果の整理・統合や研究データベース(たとえば、実務者が意思決定に困ったときに検索できる、効果的な対処法=エビデンスを収録したデータベース)の整備が該当する。 実際、医療(EBM)では、この種のデータベース構築は進んでおり、すでに大きな貢献を果たしている(正木・津谷, 2006)。

第3が、EBPP運動そのものをとりまく条件である。 一般的に、EBPPに肯定的な論考は、射程を明示的な目標――「研究と実践を有機的につなげることで、意思決定を改善する」――に限定しがちである。 一方、慎重な論考では、こうした「正論」を越えた点にも注目する。 ひとつは、この運動を後押しした社会的・政治経済的条件に関する批判的分析である。 EBPPは「選択と集中」――つまり、「有効なものにリソースを割くべし(有効ではない[ように見える]ものはやめてしまえ)」――の発想と親和的であり、多くの先進国で進展する、教育に対する透明性の要求、国際標準化された学力概念(PISA等)、財政健全化(教育予算制限)などとの相関が指摘されている(石井, 2015) もうひとつは、意図した目的から逸脱した意図せざる影響への警鐘である。 教育行為の実際の文脈を捨象せざるを得ない実証研究(とくに数値ベースの研究)が、少なくともその過度の強調が、教師の自律性・専門性を毀損し得るという懸念は無理もないものと思われる(松下, 2015)。


(つづく)

引用文献

うえでリファーした文献については略(すみません)。



  1. 教育(EBE)は医療(EBM)に比べると新興分野ではあるが、和書(翻訳含む)に限定しても、国立教育政策研究所 (2012)、ブリッジほか (2013)、中室 (2015)、杉田・熊井 (2019)、森 (2019) が詳細な議論を展開している。また、日本教育学会『教育学研究』の第82巻第2号(2015年)や社会調査協会『社会と調査』第21号(2018年)においてもEBEに関する特集が組まれている。

  2. たとえば、内田 (2015) がEBEの文脈で焦点を当てているのが、児童のいじめ・暴力行為に関する統計である。この種のデータは、特定の処遇の因果効果を推定したものではないが、現実に教育政策過程において「エビデンス」として用いられている(たとえば、日本の財務省は以上のデータを根拠に学級規模の縮小撤回を提言した)。教育研究では、このような「権力による恣意的な(数値)データの解釈・統計の濫用」も含めてエビデンスの功罪が論じられている場合も多い。

小学校英語を成功に導く要因、事例研究(Hayes, 2014)

本書の目的はタイトルの通り、小学校英語を成功に導く要因について。文献研究中心の事例研究である。

拙著『小学校英語のジレンマ』の問題関心にかなり近いが、実証手続きがゆるふわすぎてアレだった。事例研究部分でとりあげられたのが韓国、オランダ、フィンランドの三国だが、いずれも根拠としている文献の量が驚くほど少なく、網羅性に疑問が残った(そもそも各章の記述量自体がかなり少ない)。中にはブログ記事も含まれていた。また、EF社の英語力指標やTOEFLランキングに基づいて議論しているところもどうかと思う。

ブリティッシュ・カウンシルにバックアップされた研究だということもあり、頻繁に「重要文献」として引用されるが、このクオリティの研究を引用するのはちょっと権威主義がすぎると思う。君ら、ちゃんと内容(の質)を理解しているのか。

* * *

印象に残ったのが、小学校英語の成功の秘訣は教科専門教員よりも generalist primary class teachers (学級担任)が担当することだと述べている部分。主張をサポートしている具体的根拠はよくわからない。この手の問いは、専科教員と学級担任を比較するようなデザインで事例研究なり実証研究しないと多くは言えないのでは?

* * *

これは著者に同情せざるを得ない点。Large-N international comparative studies は、現地語にいちいち精通するのはかなり大変なので英語でやらざるを得ないが、英語で書かれた現地の小学校英語事情の文献は少ない。もっとも、各国の英語教育政策にフォーカスした論文は国際ジャーナルでも頻繁に載っているが、特定の理論枠組みに則らないと査読は通りにくいので、いきおい当該理論にとって周辺的な情報は割愛されがち。

しかし、その「周辺的」な情報に基づいた全体像こそ、事例研究では重要である。全体像が現地語以外では手に入りにくいのは、この分野の一つの問題だと思う。よく考えれば、「外国語としての英語(EFL)」の教育政策は、定義上、非英語圏が本場のはずだが、非英語圏の研究者の多くは英米志向で、国際誌に載った英語で書かれたEFL政策の論文をありがたがる(日本の研究者もそう)という捻れが問題をややこしくしていると思う。

『小学校英語のジレンマ』の内容のうち、どこが新しいのか?

拙著『小学校英語のジレンマ』が発売されました。

小学校英語のジレンマ (岩波新書)

小学校英語のジレンマ (岩波新書)

先日の記事でも触れたとおり、ページ数の制約により「あとがき」が設けられず、私が研究者としてどのような姿勢で執筆したのかといった話は書けませんでした。

新書ということで、「小学校英語の専門家にとって周知の内容を、一般の人にわかりやすく伝えた本」と思う人もいそうですが、実際はそうではありません。 新規な知見を結構いろんなところにぶちこんでいます。 その意味でまだ評価が定まっていない内容を論じているとも言えます (とはいえ、筆者はできるかぎり「穏当」な解釈のみで全体を構成したつもりですが)。

英語教育学者の一部には、「読んだけど、俺はこんなことすでに知ってた」と虚勢を張って、「批判できちゃう俺すごい」と半径数メートルに有能アピールをして、初学者を無駄にまどわす困った人や、「周知の事実」と「周知ではないが既に実証されている事実」と「未実証の内容」 と「そもそも誰も言ってない仮説」がきちんと峻別できていない残念な人がいるので、 本記事では、本書のどこが新出事項なのかリストアップすることで、アカデミア寄りの読者の便宜を図りたいと思います (逆に言えば、以下にリストアップされていないパートは、専門家にとっては周知の事実の部分が多いということになるでしょう)。

新規な知見である(と私が考える)部分

以下、「本書が初めてである」のような初出に関する断言調の文は、つねに、「私の文献探索が妥当ならば、先行研究には見当たらず、本書が初めてである」という意味です。 もちろん、それなりに先行研究サーベイを網羅的に行ったつもりですが、万が一抜け落ちている場合は是非ご教示ください。


第1章 戦前~1980年代

2節 臨教審

臨教審における審議過程分析。 実はこの端緒は、松岡 (2017 - 学会発表、本文参照) です。 ただ、松岡の先駆的な研究にアクセスできる人は限られていると思うので、僭越ながらこちらにリストしました。

当時の英語教育関係者にとっても1986年臨教審答申は大きなインパクトを持っていましたが、細かな検討をしている研究は皆無。もっとも、議事録が公開されたのはしばらく後のことなので、当時の人がリアルタイムに分析できなかったことは無理もないでしょう。

3節 児童英語教育学

児童英語教育学の萌芽期のあり方について根本的に批判した節。

私が書くまでもなく、批判的な考えを持っている人も多いはずですが、活字になったものは少ないと思います。そういえば、今年(2020年)はJASTEC発足から40年ですね。(ついでに言うとJES生誕20周年でもある)


第3章 

1節 90年代中教審の審議過程

2002年から総合学習において可能になった英語活動について、この決定に先立つ中教審の政策過程の分析は、本書が最初。

3節 教育特区

特区での小学校英語は肯定的な論者にせよ否定的な論者にせよ「先進的だー」という論調しかない気がします。 一方、本節は「別に真新しくないし、大した話ではない」というのが基本メッセージなので、その点は新しいはず。


第4章 

2-3節 外国語活動に至る政策過程

2000年代なかばの中教審の審議過程分析は、筆者のオリジナル。 初出は、2019年10月に出た拙論文


第5章

1-2節 英語教科化に至る政策過程

英語教科化に至る2010年代半ばまでの政策過程は、江利川春雄 (2018) 『日本の外国語教育政策史』 に詳しい。 その点で、拙著の新規な知見ではありませんが、小学校英語教育学者のみなさんの多くは江利川本を読んでいないはずなので、かれらにとっては新規な知見でしょう。

4節 世論・学校外学習

小学校英語に対する世論や学校外英語学習に関する分析は、筆者のオリジナル(初出は本文参照)。

そもそもこの領域が、筆者の得意分野です (前著前々著の主題でもあります)。

なお、小学校英語教育学者やジャーナリストの書いたものの中に、「世論の分析」と称するものがしばしばあるが、データの扱いが雑なものが多い(デタラメに集められたアンケートをとりあげたり、とか)。 それらを除外したうえでの「本書が最初」という意味。


第6章

1節 30年の政策過程の歴史的作用

本書が最初。書き下ろし。

2節 学習指導要領(外国語)批判

筆者のオリジナル。初出はこちら


第7章 小学校英語の効果(+エビデンスベーストの話)

章全体が筆者のオリジナル。初出は本文参照。


第8章 「グローバル化」という論拠はどれだけ有効か

『日本人と英語の社会学』という5年前の拙著をベースにしている章なので、まったくの新規の知見というわけではありませんが、小学校英語学界では「グローバル化」という語がほとんど疑われずに「呪文」として流通しているので、本章のインパクトはそこそこあると思います。

なお、本章は、こちらの記事に加筆修正したもの。


第9章 教員をめぐる制度的・財政的問題

本書が最初。書き下ろし。 そもそも小学校英語教育学には、奇妙なことに「教義の教育学」的な研究(教育行財政学など)がほとんどありません。


おわりに

本書が最初。書き下ろし。

Kaplan et al. (2011) 言語政策を失敗させる12の要因

以下の論文の読後ログ。

12の要因

著者らがあげている失敗に導く要因は次の12個。必ずしも真新しいものではないが重要なものばかりだろう。

  1. The time dedicated to language learning is inadequate.
  2. Indigenous teacher training is not appropriate or effective.
  3. Native speakers cannot fill the proficiency and availability gap.
  4. Educational materials may not be sufficient or appropriate.
  5. Methodology may not be appropriate to desired outcomes.
  6. Resources may not be adequate for student population needs.
  7. Continuity of commitment may be problematic.
  8. Language norms may be a problem.
  9. International assistance programmes may not be useful.
  10. Primary school children may not be prepared for early language learning.
  11. Instruction may not actually meet community and/or national objectives.
  12. Language endangerment may increase.
早く始めたって無意味

A decade or more of experimentation demonstrated that English at intermediate school was not sufficient to develop proficiency, so another legend - that early introduction to English would be the panacea - spurred an international belief that English language education should begin at thefirst grade, or even better, in kindergarten (p. 106)


There has been a strong belief that learning is better among the young and that aging has a negative effect on language acquisition -- that is, children -- the younger the better -- are good language learners, while older people are poor language learners. These views are not consistently supported by research. Many studies of SLA focused on the age of learners have resulted in mixed conclusions; no single variable (i.e. age) can be a salient predictor of success in language acquisition (see, e.g. Zuengler & Miller, 2006). (p.115)

この指摘に限らず、国際誌の言語政策の論文はこういう「英語の早期開始なんて意味ないのに、政治家や大衆はいつまでもしがみつくよなー」という論調が多い気がする。なぜか日本の英語教育政策論議では意外とそういう声を聞かない(という印象)。「国語が大事」の声にかき消されているだけだろうか。

L2習熟には10年

It is a reasonably well-documented reality that it may take as long as 10 years to acquire fluency in a language, depending on the degree of difference between the structure of the first language and that of the second ... in Bangladesh where English is taught from Grade 1 to Grade 10 and occupies about 20% of the curriculum -- the results may be far from satisfactory (p.107)

言語習得には長期にわたる地道な学習が必要だというのは誰しもが同意することだが、目安だとしても「10年」という具体的な数字を出すのはなかなか勇気がいるところ。大御所の論文だからこそという感じ。

自国の教師不足、ネイティブスピーカー頼み

自国の英語教師の不足を前にして、教員養成よりもネイティブスピーカー(アシスタント、非教員)を優先する状況。教師不足とネイティブ神話の悪魔合体のような状況についての指摘。日本だけでなく、他国でも同じような状況だということがわかる。

国の規模という要因

small countries are rarely able to develop appropriate instructional materials in competition with those imported from the aiding country partly because the expense of doing so is high and partly because the limited markets in developing polities do not make it economical to produce and distribute locally prepared materials. (p.110)

日本だと膨大にあることが自明だからなのかあまり指摘されないが、国の規模(あるいは母"国"語話者の規模)の経済効果は重要。ある閾値を下回ると教育リソースの流通が一気に変化する。量的というより質的に重要な変数。

予算のなかでもとくに不安定な教育予算

the next feature most susceptible to change has to be sustained funding for any feature of the system ... Educational budgets are among the most frequently reduced segments of national operating expenses; they are perceived among bureaucrats as most easily adjusted to provide resources for new fiscal demands (see, e.g. Kaplan & Baldauf, 2007). (p. 113)

妥協策としてのCLIL

初耳。日本だとCLILの理念的な話ばかり聞き、この手の政治的な側面はあまり聞いてこなかった。

In 2002, the European Council in Barcelona called for a plan designed to improve language education, specifically in two languages for everyone from an early age. The problem became as to how to find time in the already crowded curriculum for language teaching, and the solution proposed was to employ Content and Language Integrated Learning -- a system in which curricular information and language learning were wedded (see ‘Promoting Language Learning and Linguistic Diversity’, 2003). (p.117)

政策過程の問題点に関する指摘

政策過程の重要性についての指摘。具体的に実証しているわけではないが。

The fact remains that policy decisions in Ministries of Education are largely in the hands of professional bureaucrats to the exclusion of all other segments of the population (Kaplan & Baldauf, 2007). (p.119)

Butler (2015) 東アジアの幼少英語教育研究レビュー(および小学校英語研究の体系化について)

以下の論文の読後ログ。

内容

過去10年に東アジア(中日韓台)を対象に行われた幼少期英語教育研究のうち、英語で書かれた査読論文をレビューした論文。

次のようなカテゴリごとにレビューを行っている。

  1. Curriculum policy
  2. Access policy
  3. Personnel policy
  4. Methodology and materials policy
  5. Resource and community policy
  6. Evaluation policy

なお、このカテゴリは、Baldauf & Kaplan がよく使っているもの(たとえば、これ)。

いずれも policy という文字があり、抽象的な意味での 幼少英語学習というよりは小学校での英語教育政策の面がつよいカテゴリだろう。

1つ目のカリキュラムポリシーの枠組みであげられているのは、幼少期における言語面・情意面の発達の研究で、いわゆるカリキュラム論からはだいぶ遠い。そもそもカリキュラム論は、規範的に研究せざるを得ない面が多い分野で、実証研究のレビューでカバーするのはなかなか難しいだろう。

また、カリキュラム論は、その主たる読者は第一に現地人であり、おそらくローカル言語で書かれることが多いはず(少なくとも日本はそう)。その点で、英語論文のレビューは相性が悪そうだと思った。さらに勝手な推測を付け加えれば、カリキュラムの話は書籍で展開されることも多そうなので、査読誌レビューとの相性もけっこう悪いかもしれない。

また、2番目・5番目のアクセス(格差)の問題やリソースの問題については、ピックアップされている文献の数は少ない。たしかに、日本にはこのテーマで研究らしい研究はほぼない。著者の文献収集が妥当だとすれば、中韓台も似たような状況ということであり、残念な状況である(ただし、こちらも前述の「執筆言語は英語か現地語か」問題があるが)。

とくに、リソースの問題に関して。Baldauf & Kaplan の枠組みではリソースとはつまり財政政策のことだが、本論文にはそのタイプの研究がピックアップされていない。代わりに、学校英語学習への投資に関する研究が紹介されている。たしかに、日本の小学校英語学者(と呼び得る人)を思い浮かべると、財政政策に関する研究を行っている人はほぼ皆無である。

コメント

本論文を読んで、小学校英語研究を体系化するうえでのハードルについて考えた。

上述したように、既存の研究には明らかに空白部分がある。カリキュラムや財政政策、そして格差に関する論点は(少なくとも国際的な学術フォーマットにおいては)研究がほとんどない。したがって、こうした空白部分を適切に埋めていく必要がある。

ただ、どんな研究分野にも「真の意味での研究の空白部分」と「無意味だから誰も研究していないだけの部分」というものがあり、前者を後者から峻別する必要がある。峻別のためには、小学校英語教育研究の見取り図が必要になるが、そもそもこれがない。まず、ここをどうにかしないとならないだろう。

そして、上記の指摘を踏まえれば、執筆言語を問わずに(多くの場合は「英語あるいは現地語」となるだろう)、地域別にレビューをする必要がある。とはいえ、母語&英語ならまだしも、第3・第4の言語で学術論文をすらすら読みこなせるトリリンガル・クヮドリンガルはあまり多くはないだろうから、一度に東アジア比較といった枠組みは難しいかもしれない。それぞれの地域語に堪能な研究者が個々にレビューを積み重ねていくのが現実的に思う。

「あとがき」に入れる予定だった小学校英語教育論ブックガイド

2月22日に、拙著『小学校英語のジレンマ』という岩波新書が発売される。

小学校英語のジレンマ (岩波新書)

小学校英語のジレンマ (岩波新書)


調子に乗って草稿を書きすぎたせいでページがかつかつで、削りに削って256頁におさえた(草稿段階で約16万字 → 最終的に約11万字)。その結果、あとがきや謝辞のページが用意できなかった(謝辞をお贈りするべき皆様、どうもすみません。心のなかで祈ります)。

昨年10月頃の予定では、あとがきに小学校英語論に関する必読書をリストした「ちょっと長いあとがき(ブックガイド付き)」みたいなものを書く予定だったのけれど、それもできなくなってしまった。というわけで、代わりに、ブログにブックガイドを書きたい。

なお、以下は、小学校英語「教育」論のブックガイドである。指導法や学習法、教材論のブックガイドではない。念のため。

はじめに

小学校英語のジレンマ』(以下、本書)でも指摘したとおり、小学校英語教育研究は発展途上の領域であり、教科書・概説書の類であっても信頼がおけない場合が少なくない。特に2000年以前のものは間違い(例、臨界期に関する誤解、エビデンスの間違った解釈、導入経緯に関する勇み足の解説)が載っている場合も多いので、初学者にはおすすめしない。とくに分担執筆になっているものは(たいていは編者のコントロールが効きにくいので)注意したほうがよい。

この手の文献は、学説史の資料として読むならまだ意味があるが、「小学校英語論を学ぶ」という目的にとっては少々危うい。そもそも、この十数年で制度は大きく変わっているので、古い文献で入門する意味はあまりないだろう。

以下、古い文献は割愛し、かつ、筆者が信頼がおけると考えるもののみを紹介する。

概論

まず概説的なもの。

1冊目: 政策の流れを押さえる上では最重要文献。2冊目: やや古いが(2003年刊)、記述は分析的かつ正確なのでいまでも読む価値が高い(この業界の「教科書」には、文科省の文書を右から左に流しただけの非分析的な本が多すぎる!)。3冊目:基本的なことが語りかけるような口調で書いてあり、わかりやすい。

日本の外国語教育政策史

明日の小学校英語教育を拓く

子どもの英語にどう向き合うか (NHK出版新書)

言語習得

本書では幼少期(第二)言語習得の話は大きく割愛した。以下の2冊が良書なので参照されたい。

  • バトラー後藤裕子『英語学習は早いほど良いのか』岩波新書
  • 針生悦子『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』中公新書ラクレ

英語学習は早いほど良いのか (岩波新書) 赤ちゃんはことばをどう学ぶのか (中公新書ラクレ)

実証研究

SLA/英語教育研究で主流の小規模な実験研究ではなく、小学校英語プログラムの具体的な効果検証の重要性は、本書でも何度も強調した(とくに7章は丸々この論点にあてている)。この点の「入門書」と呼べるものは残念ながらなく、また、和書もない。もはや専門書だが、重要な先行研究として2冊紹介したい。

  • Munoz, Carmen. 2006. Age and the Rate of Foreign Language Learning. Multilingual Matters.
  • Simone E. Pfenninger & David Singleton. 2017. Beyond Age Effects in Instructional L2 Learning: Revisiting the Age Factor Multilingual Matters.

1冊目はバルセロナの、2冊めはスイスの小学校が対象ということで、いずれもEFL地域である。学界でも大きな評価を得て多くの研究者から引用が繰り返されている超重要文献である。しかしながら、本書7章で指摘した外的妥当性(代表性)という条件を、実はどちらもクリアしていない。このような国際的評価の高い研究ですら、特定の小学校卒業者に焦点化せざるを得なかった(調査デザインとして母集団を明示的に設定できなかった)ということである。よいエビデンスを得るためには調査メソッドのある種の「イノベーション」が必要であることを物語っているように思う。

Age and the Rate of Foreign Language Learning (Second Language Acquisition Book 19) (English Edition) Beyond Age Effects in Instructional L2 Learning: Revisiting the Age Factor (Second Language Acquisition)

国際比較

本書が取り扱えなかった論点として国際比較がある。実は、「○○という国の小学校ではこんなかんじに英語を教えてます、日本も学びましょう」という調べ学習のような著作はけっこうある。しかし、比較教育学や地域研究の専門家が書いているわけではなく、英語教師授業参観記みたいなものも多く、分析的に書かれているものはあまり多くない。言葉の正確な意味で「他国から学ぶ」のであれば、説明モデルに基づいて他国の事例を分析し、日本への適用可能性を議論しなければならない。そういう観点でおすすめできるものとして、以下の3冊をあげたい。

1冊目: 幼少期英語教育の専門家による世界各国の事例研究。きちんと分析枠組みを明示している(研究書として当たり前だが)ので安心して読める。その点でいうと入門書としては少し荷が重いか。日本は事例としてピックアップしてもらえなかったのも惜しいところ。2冊目: 少し古いが、頻繁に比較される東アジアに焦点化している点が有用。3冊目:ブリティッシュ・カウンシルによる約60カ国の文教政策関係者へのアンケート調査。

Policy and Politics in Global Primary English (Oxford Applied Linguistics) (English Edition) 日本の小学校英語を考える―アジアの視点からの検証と提言

論争

論争もの。とくに以下のシンポジウムものは、読み物として間違いなくおもしろいが、へんてこな主張もあって、いわゆる「勉強のために読む」というのには向かないかもしれない。とはいえ、玉石混交だと警戒しながら読むことも重要なトレーニングだと思う。厳密な意味での論争は、1冊目のもののみ。2冊目はほぼ反対派のみ。3冊目は賛否に限定されないより包括的な切り口。

  • 大津由紀雄編著『小学校での英語教育は必要か』慶応大学出版会
  • 同編著『小学校での英語教育は必要ない!』慶応大学出版会
  • 同編著『日本の英語教育に必要なこと―小学校英語と英語教育政策』慶応大学出版会

日本の英語教育に必要なこと―小学校英語と英語教育政策 小学校での英語教育は必要ない! 小学校での英語教育は必要か

その他の領域

小学校英語を直接扱っているわけではないが、本書の分析枠組みとして大いに参考にした教育行政学・教育社会学・その他社会科学の本を紹介する。いずれも名著であり、かつ、一般性も高い(入門書かどうかはわからないが「教養書」であることは間違いない)。

教育改革のゆくえ ――国から地方へ (ちくま新書 828) なぜ日本の公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす 日本の公教育 - 学力・コスト・民主主義 (中公新書) 新版 グローバリゼーション (〈1冊でわかる〉シリーズ) 教育学 (ヒューマニティーズ) 欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

岩波新書から『小学校英語のジレンマ』という本が出ます(2020年2月)

来月(2020年2月)、岩波新書から『小学校英語のジレンマ』という本が出ます。

www.iwanami.co.jp

新書版でおよそ250ページ前後。全9章(実質11章)で、大学のゼミの課題図書にもぴったり!

中学・高校レベルの政治経済の知識が必要なので、当の小学生が読むには厳しいのが残念なところですが、英語の知識は実はほとんど要求しない本です。

目次は以下のような形です。

  • はじめに
  • 序章
  • 第一部 小学校英語、これまでの道のり
    • 第1章 〔第I期〕 小学校英語前史
    • 第2章 〔第II期〕 「実験」の時代
    • 第3章 〔第III期〕 模索の時代
    • 第4章 〔第IV期〕 「外国語活動」の誕生
    • 第5章 〔第V期〕 教科化・早期化へ向けて
  • 第二部 小学校英語の展望
    • 第6章 現在までの改革の批判的検討
    • 第7章 どんな効果があったのか
    • 第8章 グローバル化小学校英語
    • 第9章 教員の負担とさまざまな制約
  • おわりに
  • 年表
  • 参考文献