こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「国際化」連想ゲームのディスコース

昨日の風呂読書は、杉本・マオア共著の『日本人の方程式』。5年ぶりくらいに読んだがやっぱりたいへんな名著である。まあ、内容は大して覚えていないんだけれど(笑)。ともかく、「日本人」を仮構しがちな日本の外国語教育研究において、反主流的な意味で必読書だと思う。読んで損はないはず。



日本人論の方程式 (ちくま学芸文庫)

日本人論の方程式 (ちくま学芸文庫)


ところで、その中で、「国際化」ディスコースに関しておもしろい指摘があった。

私たちは、日本人の学生を相手に、こんな小実験をやってみたことがある。学生に「国際化」という言葉をキー・ワードにして、一種の「連想ゲーム」をやってもらい、思いつくことをどんどん出してもらった。出て来た連想には色んなものがあった。英語がうまくなること、外国旅行をすること、他の社会についての本を読むこと、外国人の友だちを作ること、留学すること……等々、黒板に書きならべていくと、十数項目は出て来ただろうか。そこで、「このリストを、国際化の手段と考えられるものと、国際化の目的と考えられるものに分類して下さい」という問いを出してみた。すると、おもしろいことに、出て来た項目は全部「手段」のグループにはいることがわかった。「目的」に属する物は、ひとつもない。「とすると、いったい私達は何のために国際化が必要だと考えているのだろう」という問いに対しては、沈黙がつづくばかりだった。ここに、鳴り物入りで展開されている国際化論の根本問題がある。(ちくま学芸文庫版のp.41 )


本書の単行本版が刊行されたのは1982年だったので、すこし古い議論のように思う人も多いかも知れないが、「国際化」を「グローバル化」に置き換えれば、現代でも通用すると思う。


もっとも、この部分の指摘は、学生が連想したものの中に「目的論」はなかったというだけであって、学生には何のために国際化(グローバル化)が必要なのか(=目的)が頭にないということは必ずしも意味しない点には注意すべきだと思う。適切な「補助線」があれば、なぜ国際化が必要なのか(例えば、「平和構築」「(“遅れた”日本社会の)近代化」、「経済発展」)を、きちんと言語化できるひとも多いだろう。


つまり、「国際化」を論じるディスコース・パタンが「手段」を前面に出す(のはおそらく妥当である)からといって、そのディスコースの生産者がそのような意識しか持っていないと推論するのは慎重にあるべきだということである。ディスコースを「話者の意識」にすり替えるのは教科書的には禁じ手であろうし。