こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

岡倉由三郎『英語教育』に見る、《国民教育》と英語科教育の関係


現在、義務教育のカリキュラムに英語が入っていることはごく当たり前の現象であり、いわば「風景」と化している。もちろん、一般の人の中には、事実上国民のほぼ全員に英語教育を「強制」することを疑問視する人もいないわけではないが、ことに、英語教育関係者から異論が聞かれることはほとんどない。その意味で、《国民教育》としての英語科教育というのは、自明の概念かもしれない。


もちろんこの自明性は、義務教育の一環としての「中学校英語科」*1の存在が大きい。ただし、終戦直後の中学校教育の義務化、すなわち「12歳から全員が英語学習」が制度化されて、すぐに自明視され始めたというわけではない。当時は、国語や数学のような必修教科と違い、英語は「選択教科」扱いで、しかも少なくとも昭和20年代頃は多くの都道府県で高校入試の科目にもなっておらず、中三になると授業を取りやめてしまう学校も少なくなかった。英語学習の必要性に対するリアリティも必ずしも明らかではなく、生徒だけではなく英語教師の間にも―特に農村部の教師に―、「なぜ英語を学ばせなければいけないのか」という自問自答が現れていたという(この点に関しては、相澤真一 2005 「戦後教育における学習可能性留保の構図」『教育社会学研究』76:187-205. に詳しい)。


そこからさらに過去に目を転じれば、自明性は一段と色あせる。一部の子どものみが中学校に進学する旧学制においても、「《国民教育》としての英語科教育」は、もちろん、当然視されるものではなかった。というより、英語科は、《国民教育》から排除されていたと言ったほうが正確かも知れない。


1911年(明治44年)の岡倉由三郎著『英語教育』も、その「排除」の論理を理論化したものの一つである。その論理が端的に示されているのが、三章「英語教授を始むる時期」であり、この章で岡倉は、小学校で英語を始めるべきか否かと問いかけ、その必要性はないと断言する。

学校にて英語を教授するとせば、何時から始めたら好かろうか、先づ之を決定せねばならぬ。或論者は、小学校から始むべしと唱へるが、自分は不賛成である。此論者の主張する所は、時勢の進歩に伴ひ、外国人と交際することが追々頻繁になるであらうから、外国語を知らねば日常の生活に不自由である、だから小学校の教科目に之れを加へねばならぬと説くのである。併、是は、かの和蘭、白耳義の如き大国の間に介在し、其国語は、隣邦には普通である上、他国との商業を以て国を立てヽ居る如き処に於いて、\ruby{始}{ママ}めて唱ふべき処で、我国の如きは大に趣を異にして居る。実際内地雑居が許されても、至る処に外国人が入込む訳でも無く、従て外国人と応対する機会は甚だ稀である。…故に是等少数者[=外国人と外国語を用いて交流する必要がある人]の便利を謀るため、多数の児童を犠牲として、国民普通の教育の貴重なる時間を英語に割く必要は無いと思ふ。(pp.12-3、ボールド部分は、原文では傍点)

内地の小学校では今日の処、更に其必要を認めない。実際生活に是非必要と迄に至って居らぬのである。抑も、普通教育の目的は、国民として立つに必要なる知識技能を授けるのであることは、今更言ふ迄も無いが、其立場から見れば、修身、国語、算術、歴史等が最も必要なので、是等の主要学科すら、尚目的通り完全にいって居らぬ様にも思はれる。従て現在の小学校各教科目と、之に与えられたる時間とは実に貴重なものである。然るに英語科の如き、目下の様から見て比較的不急なものを加へ、時間と労力とを之に割くは、甚だ愚なことで、却って是が為に、国民教育の主要方面が、薄弱に陥いる処がある。此点から見ると開港場辺の小学校は英語科に時間を割くどころか反って修身国語歴史等に最も重きを置き国家的観念の発達に力を置いて外国人より加へられる欧化の刺激に抵抗すべきが当然だと思ふ。(pp.14-5、ボールド部分は、原文では傍点)


国民教育から「排除」する最大の根拠として岡倉があげていたものは、「年齢」ではなく、「普遍性の有無」だった。つまり、英語の教育知識は特定の人間のみに関わるものであり、「少数者の便利を謀るため多数の児童を犠牲として国民普通の教育の貴重なる時間を英語に割く必要は無い」ということである。


すなわち、「《国民教育》は、国民全員に関係する知識を与える教育である(そうでないものは《国民教育》に含まれない)」という「排除」の論理であるが、これ自体は、いたってシンプルなものであり、納得がいく。しかし、この議論がやっかいなのは、同じロジックが戦後の英語科教育にもかなりの程度当てはまってしまう点である。つまり、「少数者」のみに関わる《知識》の教育は、「国民普通の教育」には含まれないという論理に則るならば、戦後―場合によっては現代―の英語科教育も正当化が困難になるというジレンマに陥るのである。戦後長い間、学校生活を終えた後、英語という知識に日常的に触れる生活をした層はごく一部であったからだ(これは各種世論調査で確認できる)。


もちろん、「現実の必要性に対応するためだけに学校(英語)教育はあるわけではない」という反論はあり得る。学校英語教育は、「実用面」だけではなく、いわゆる「教養」(この用語法はかなり誤解が多いので使用をためらうのだが)の面の育成も目的としているはずだという主張であり、これ自体は戦後の「国民教育としての英語科教育」の中心的な原理として機能してきた(この点も、上に引いた相澤論文に詳しい)。


しかしながら、注意するべきは、岡倉由三郎の『英語教育』という書物は、英語教育における「教養」の意義についても強く主張しているということである。*2


こうしたことを考えると、英語科の教養的な側面ですら、「国民教育」の要件としては見なされなかったということになる。「英語教育関係者が、自身の教育知識の意義を限定化する」という、現代ではなかなか見られない構図が、ここではうかがえる。曲がりなりにも英語教育関係者であった岡倉が、教育知識の非・普遍性を説くという事態は、現代から見ると若干奇異に映らないだろうか。もちろん、岡倉は現代的な意味での英語教育関係者ではなく、博言学・言語学(日本語方言学、国語学、英語学など)の「識者」として、より広い視点から「教育」への提言を行っていたという可能性もある。また、明治初期の「英学」で学術的訓練を受けてきた世代は、当時は、「英語"科"教育」の関係者という領域はまだ未確定だったのかもしれない。


なお、これ以降、p.17 において、欧米の外国語教育開始時期事情を枕に「国民教育」について詳述している箇所があるので、こちらも引用しておく。

初等教育だけで完了する教育に於ては、国民性の充分なる涵養に忙殺せられて所定の年限中に、外国語の如き、普通の国民たるに必須の科目と見られぬ事項を授ける余裕が無いからである。言い換へれば、初等学校へ来る子弟は、国民教育を受けるのが目的で、其大多数は学校教育を其処で終結する者共であるから、専ら国語の教授に力を集め、外国語などに心を分かたないのである。是に反し、\underline{中流学校}(本文傍点)では、社会の中流に立つ者の教育を施すのが目的で此処に学ぶ生徒の多数は、猶進んで高等の学校教育を受け、永い時日を学窓の下に送る筈の者であるから、只に母国語の習練を要する外に、外国語も、古典語と近世語とを学ぶ理由が、其受ける教育の性質からも、又これにかける年月の上からも充分ある。それ故、中流学校に通ふ子弟は程度からいふと初等学校の稍進んだ学級くらいの時分から、母国語の外に、二三の外国語をも併せて学ぶことになって居るのである。

*1:正確には「外国語科」。

*2:なお、岡倉は「実用的価値」「教的価値」という語を使っているが、後者と現代的な文脈での「教養」は一対一対応していないという点に注意が必要である。むしろ、現代英語教育言説の《意味論》における「教養」は、一部、岡倉の「実用的価値」に含まれるようである。