こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「国際化と英語力育成」論、先行研究レビュー

書いてる論文の断片をコピペしてちゃっかりエントリにしてしまおうとするシリーズ!

先行研究、その3つのタイプ

国際化と英語あるいは英語力育成を関連づけて論じることは、アカデミアに限らず、学校教育・社会教育や政策・マスメディアなど、あらゆる場面でもはや一般的なことである。「国際語としての英語(English as an international language)」という用語があるように、現代の英語は、国家の枠を越えた人・モノ・情報の交流に不可欠な要素として概念化されることが多いからである。こうした背景から、国際化に対して英語・英語教育がどのような役割を果たすか、あるいは、国際化の結果として英語・英語教育にどのような変化が訪れるかという点は、応用言語学・英語教育研究の重要なテーマである(Matsuda 2012)。


この種の研究は、日本社会を主たるフィールドにしたものに限っても膨大な量の先行研究が該当する。ここでは、便宜的に、(A)政策の分析、(B)教育関係者や知識人による議論の分析、(C)人々の意識の分析という3つのタイプにわけて概観したい。もちろん、これらの間に厳密な線引きを行うことは困難であり、一つの研究がすべてにまたがることも少なくない(e.g. Kubota 2011, Seargeant 2009)。以下の類型化は、あくまで既存の研究の論点を抽出し、そのタイプに概ね該当すると考えられる代表的な文献をあげたものである。


英語教育政策と「国際化」

まず、最も頻繁になされている研究のひとつが、日本政府の「国際化」を志向した言語政策・英語教育政策を検討するものである。とりわけ1980年代以降には、「国際化」の名の下に、きわめて大きな反響を呼んだ政策が次々と示された時代にあたる。1987年度から開始された「外国青年招致事業」(通称「JETプログラム」)や、小渕恵三・当時内閣総理大臣の私的諮問機関である「『21世紀日本の構想』懇談会」が2000年に示した英語第二公用語論、そして、文部科学省より2003年に示された「『英語が使える日本人』育成のための行動計画」などである。こうした政策に対する批判・検討は、アカデミアでも数多くなされてきた。


これら政策研究のなかには、「国際化」を分析上のキー概念に据えたものが多数存在する(e.g. Butler & Iino 2005; Kawai 2007; Liddicoat 2007; 大谷 2007, 山田 2005)。たとえば、Liddicoat (2007) は、主に2000年代の日本の英語教育政策を「日本を国際化する」という観点のもとから検討している。また、「行動計画」、特にその小学校英語に関する提言に見られる「国際理解」という議論を詳細に検討したButler & Iino (2005) や、「英語第二公用語論」を提唱した「『21世紀日本の構想』懇談会」の議論に見られる「国際化」概念を検討したKawai (2007) などが存在する。


これらの研究いずれにも共通する結論は、日本政府の近年の外国語教育政策は「国際化」概念に強く方向付けられているという点である。もちろん、個々の政策には、その内実には無視できない違いはあるが、日本政府の言語政策が「国際化」という(ともすると意味の不明瞭な)考え方に規定されているという点は、多くの研究者に共通した見解だと言える。

教育関係者・知識人による「国際化と英語教育」概念

もちろん、こうした政策の批判・検討作業が、学術的な文脈だけで行われているわけではない。実際、すでに多くの(研究者を含む)教育関係者や知識人が、個々の政策を具体的に批判しているからである。このなかには、政府の「国際化」概念を厳しく問うものも少なくない。例えば、大津由紀雄編著による一連の英語教育シンポジウムの報告論集(大津 2004; 2005; 2006; 2009)には、政府の国際化政策に対する批判が随所に現れている。この種類の人々による批判は、政策に対する「一国民」の反応である点には違いないが、単に「世論」という以上の抽象性・体系性を持っている。


他方、政府の国際化政策を支持し、積極的に擁護論を展開する教育関係者・知識人も少なくない。たとえば、前述「『21世紀日本の構想』懇談会」のメンバーだった船橋洋一は、「英語第二公用語論」発表の直後に、自著で持論を展開している(船橋 2000)。この船橋の主張は「個人的な主張」であり、政府の見解ではないことは事実だが、非常に影響力をもったテクストであり、単なる「一市民の声」に矮小化することも妥当性に欠ける。


政府の見解に批判的であれ肯定的であれ、このタイプの人々の主張を詳細に分析することによって、「国際化と英語教育の問題を理論的に深めることが可能だが、こうした問題意識に立った先行研究も数多く存在する。たとえば、Kubota (1998) は、戦後日本の知識人らによって編まれてきた「日本人論」がいかに英語教育における「国際化 (kokusaika) 」概念と接続されてきたかを詳細に分析している。

人々の「国際化」意識

以上の2つのレベル ―「政策」と「知識人の議論」― は、どちらかといえば、「知識」を生産する層のものである。一方で、そうした「国際化と英語教育」という「知識」が人々にどのように受容され、そして、いかに日本社会で流通しているかを検討した研究も多数ある。人々の意識の分析を志向する以上、このタイプの研究が「世論の分析」にもっとも近い位置にあると言える。


「日本人の英語観」の研究として代表的な著作であるSeargeant (2009) においても、「国際化」は重要な分析概念となっているし、彼の編集による論文集(Seargeant 2011a)にも、人々の意識という観点から「英語と国際化」の連関を分析した論文がいくつも含まれている(e.g. Matsuda 2011, Kamada 2011, Seargeant 2011b)。こうした論点は、一見すると日本ローカルなものに思えるかもしれないが、英語教育の著名な国際誌である TESOL Quarterly にもとりあげられており(Kubota & McKay 2009)、注目の度合いは高い。


こうした経験的研究に共通する結論は、人々の意識のレベルにおいても、英語と国際化は密接に結びついており、それらは日本社会で独特の作用を生んでいるということである。つまり、単に政策主導で「英語教育と国際化」という考え方が生じたのではなく、人々の意識にもそれ相応の考え方を許す土壌があったということである。

先行研究の問題:一般化可能性

以上、国際化と英語の連関を検討した研究を概観した。いま一度整理すると次のとおりである。日本政府の近年の英語教育政策は、「国際化」という考え方に強く規定されてきた。両者を結びつける考え方の源泉は、政府だけでなく、日本社会に底流していた部分である面も大きい。もちろん、国際化と英語教育を安易に結びつける考え方は、教育関係者や知識人から批判されることもあるが、必ずしも大きなうねりになっていない。こうした意識を「世論」の表出と見なすならば、日本社会の世論は、国際化と英語・英語教育を結びつける考え方により好意的であったと言えそうである。


しかしながら、先行研究の「人々の意識」を単純に「世論」と同一視することができない事情が存在する。それは、先行研究のほぼすべてが、インタビューやエスノグラフィなど、特定の事例に重きを置いている点である。事例研究という性格上、先行研究の主たる目的は、日本社会の英語観の特徴を明らかにすることである。人々の意識を客観的に測定し、その結果を社会全体に一般化することはそもそも目的にされていない。また、そうしたデザインであるため、英語に強い思い入れを持った人々の英語観が検討される場合が多いのである。したがって、先行研究における「人々の英語観」と、人々が英語に対して抱く「平均的な意識」という意味での「世論」とは、同一概念ではない。


もちろん、同一概念ではないとしても、先行研究の象徴的な事例が、「世論」をもある程度代表するものであれば、問題は少ないが、必ずしもそうとは言い切れない事情がある。なぜなら、英語に関する「世論」を検討した先行研究には、「日本人」の多くが、英語使用や英語学習と無縁な生活を送っていることを明らかにしたものがあるからである。たとえば、Terasawa (2011) は、「日本版総合的社会調査」という無作為抽出標本に基づく社会調査(母集団は日本全国に居住する成人男女)の2010年版をもとに、人々の英語の有用感を分析した。その結果、英語が自分にとって「ほとんど役立たない」「まったく役立たない」と回答した人は、実に約6割も存在し、世代別に見たとしても過半数が有用感を持たないという結果に変化はなかった。この割合は、英語使用になるともっと少なくなる。小磯(2011)も同調査の2002年版を分析し、仕事や友人知人等のつき合い、趣味(洋画や洋楽の鑑賞含む)などどんな目的であれ、英語を現在全く使っていないと回答した人は、9割弱にのぼることを明らかにしている。


もちろん、これらの結果は、「英語と国際化」に対する考えを直接明らかにしているわけではない。しかしながら、これだけ英語と無縁の生活を営んでいる人がいるのならば、「英語と国際化」に関する世論ももっとマイルドなものになる可能性がある。つまり、国際化への方策として、英語学習・英語教育を大して重視しない人々が多いことも予想できるのである。こうした予測は、前述の「人々の英語観」分析の結論と、対立し得るものである。この問題を回避するためには、人々の意識としての統計的な実態としての「世論」を検討しなければならない。

Bibliography

  • Butler, Y. G., & Iino, M. (2005). Current Japanese reforms in English language education: The 2003 ‘Action Plan’. Language Policy, 4(1), 25-45.
  • Kawai, Y. 2007. Japanese nationalism and the global spread of English: an analysis of Japanese governmental and public discourses on English. Language and Intercultural Communication, 7(1), 37-55.
  • Kubota, R. 1998. Ideologies of English in Japan. World Englishes, 17(3), 295-306.
  • Kubota, R. 2011 Immigration, diversity and language education in Japan: toward a glocal approach to teaching English. Seargeant, P. (Ed.). English in Japan in the era of globalization (pp. 101-124). Palgrave Macmillan.
  • Kubota, R. & Mckay, S. 2009 Globalization and Language Learning in Rural Japan: The Role of English in the Local Linguistic Ecology. TESOL Quarterly 43(4), 593-619.
  • Liddicoat, A. J. 2007. Internationalising Japan: Nihonjinron and the Intercultural in Japanese Language-in-education Policy. Journal of Multicultural Discourses, 2(1), 32-46.
  • Matsuda, A. 2011. ‘Not everyone can be a star’: students’ and teachers’ beliefs about English teaching in Japan. Seargeant, P. (Ed.). English in Japan in the era of globalization (pp. 38-59). Palgrave Macmillan.
  • Matsuda, A. 2012. Principles and practices of teaching English as an international language. Bristol: Multilingual Matters.
  • Seargeant, P. (2009). The idea of English in Japan: Ideology and the evolution of a global language. Bristol: Multilingual Matters.
  • Seargeant, P. (Ed.). 2011a. English in Japan in the era of globalization. Palgrave Macmillan.
  • Seargeant, P. 2011b. The symbolic meaning of visual English in the social landscape of Japan. Seargeant, P. (Ed.). English in Japan in the era of globalization (pp. 187-204). Palgrave Macmillan
  • Terasawa, T. 2011. Japanese People’s Valuation of English Skills: Sociometric Analysis of JGSS-2010. JGSS Monographs, 11, 47-57 .
  • 大津由紀雄編 2004 『小学校での英語教育は必要か』慶応大学出版会
  • 大津由紀雄編 2005 『小学校での英語教育は必要ない!』慶応大学出版会
  • 大津由紀雄編 2005 『日本の英語教育に必要なこと』慶応大学出版会
  • 大津由紀雄編 2009 『危機に立つ日本の英語教育』慶応大学出版会
  • 大谷泰照 2007 『日本人にとって英語とは何か:異文化理解のあり方を問う』大修館書店
  • 小磯かをる 2009. 「日本人英語使用者の特徴と英語能力 ?JGSS-2002 と JGSS-2006 のデータから」大阪商業大学比較地域研究所・東京大学社会科学研究所編『日本版 General Social Surveys 研究論文集 9 』 (pp. 123?37) 大阪商業大学比較地域研究所
  • 船橋洋一 2000 『あえて英語公用語論』文藝春秋
  • 山田雄一郎 2005 『英語教育はなぜ間違うのか』筑摩書房