こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

AAAL2013参加日記

3月15日から20日、アメリカ応用言語学会にいってきました(http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20130314/1363275803


日本には、たとえば「日本応用言語学会(JAAL)」のような、アメリカ応用言語学会の日本版にあたる学会は存在しないので、単純な比較はできませんが、いろいろカルチャーショック(わりといい意味で)があったので、つれづれにメモしておきます。


ちなみに、「応用言語学」の学会事情にあまり詳しくない方のために多少補足すると、応用言語学という分野は、分類する人にもよりますが、第一言語習得、第一言語教育、第二言語習得、第二言語教育、社会言語学、語用論、コーパス、識字研究、バイリンガリズム研究、通訳・翻訳研究、コミュニケーション研究、異文化間コミュニケーション研究、言語政策、言語人類学などを包摂する分野です。日本には、これらサブカテゴリの、すべてあるいはほとんどを対象にする単一の学会はありません。サブカテゴリの学会が、分立している状況と考えて間違いないと思います。


たとえば、日本の「大学英語教育学会(JACET)」が、応用言語学会に近いという説を聞いたことがありますが、対象言語が(ほぼ)英語という1言語に限定されているところは、AAALと大きく違います。逆に、大学英語教育学会では、AAALでは取り扱われない、英語学・英文学の発表・論文もあります。(最近少なくなりましたが、昔はけっこうありました。これとか参照→http://f.hatena.ne.jp/TerasawaT/20101103025532)。

言語政策・理論研究

まず驚いたのは、日本の学会であまり聞かないテーマが、多数発表されていたこと。とくに、言語政策・言語計画に関しては、LPPというサブカテゴリがちゃんと用意されていて、3日間にわたってほぼすべての時間にセッションがあった。


もうひとつ驚いたのは、これもほとんど日本の学会でとりあげられてない、哲学的/認識論的な研究、いわゆる「理論研究」(※)の発表がけっこうあったこと。
※レビュー研究とかメタ分析という意味ではなくて、知見を導出するうえで、データへの依拠が相対的に低いもの。

質的研究

これは、直接的には日本の英語教育系の学会との比較になるが*1、質的研究の発表が多かった。体感では、3,4割くらい。自分が聞いた発表でいうと、結局4日の間、狭い意味での計量研究を見ることはなかった。


ただ、事情に詳しい先生によると、AAALも昔から方法論が多様化していたわけではなく、ちょっと前までは計量研究が支配的だったらしい。北米でPhDをとった先生が日本に帰ってくることで、5年〜10年後には日本も質的研究が急増したりするのかなあなどと夢想した。


質的研究の存在感に関して少し気になったことは、質的研究と言っても「言質をとる」系(言った内容を重視して、相互作用の様相をあまり重視しない)ばかりだったと感じたこと。つまり、基本的な思想・認識論は量的研究と一緒で、データだけが質的(非定型)なものである。その意味で、量的研究の「補完物」や「添え物」として、質的研究が位置づけられているのかなと思った。もしこれが北米のスタンダードで、しかも仮にそれがそのまま日本に流入してきたら、僕はいやだなあと思いました(小学生レベルの感想)。

発表スタイル ---原稿棒読み系

AAALでは、「あらかじめ書いてきた原稿を読む & 原稿の要点をパワポにコピペ & ハンドアウトは配らない」というスタイルがスタンダードだったようだ。これは、カナダに留学してる人曰く、北米ではふつうらしい。


日本の英語教育系の学会で、原稿をそのまま読む発表はたぶんまだ見たことがなかったので、新鮮だった。アメリカ合衆国だから、もっとTED風のとか、スティーブジョブズみたいな発表が多いかと思いきや、若手〜中堅(見た目)はみんな原稿を読んでた。大御所になると、多少自由になるが。


むしろ「原稿を読む」というスタイルは、日本の哲学や歴史の学会で、いまでもよく見るものである。でもまあ、その手の発表は、パワポは使わずに原稿をそのまま配るので、AAALスタイルとは異なるわけだが。

ネオリベラリズム」「ブルデュー」というキーワードが大人気

日本の応用言語学系(サブカテゴリ)の学会でまず聞くことがない、「ピエール・ブルデュー」「ネオリベラリズム」というキーワードが頻繁に聞かれた。


まあ、とはいえ、「ブルデューがいうところの・・・」とか「いわゆるネオリベラリズムで・・・」のように、ほぼ枕詞化していた印象があったが、応用言語学で「常識」化しつつあることの兆候なのか。(たぶん違うと思うが)

質疑応答

質疑応答で驚いたのが、みんな建設的だった点。偶然だったのかもしれないが、敵意丸出しコメントとか揚げ足取り質問はなかった。人間関係や思想上の対立が、北米にだってあるだろうが、そういう質問をさせない社会的圧力みたいなのがあるのだろうか?


あと、日本だと分野にかかわらずよく見る(理系は知らない)、先輩研究者による、院生や若手の「かわいがり」コメントもなかった(仲良くしてる〔と思っている〕若手に、わざと意地悪なコメントをしてキャッキャウフフするやつね)


僕は、自分の分野に「先輩」がいなかったので、こういう目に会うことはなかったが、もしあったら普通にブチ切れていたと思う。ああいうのは、一日も早く消えてなくなってくれるとよいね。

*1:社会学系の学会だと、質的研究のほうがむしろスタンダードなので。