こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「仕事と英語」言説と欠陥調査、その2

先日のこの記事のつづき:
「仕事と英語」言説と英語教育、そして「欠陥」調査 - こにしき(言葉、日本社会、教育)
ちなみに、このシリーズは、2011年に出たわたしの論文の一部を大幅に書き直してお送りしております。


先日の記事で英語関連産業や英語教育学者が行った、ビジネス英語の実態調査には、「社会調査」上、深刻な(そして初歩的な)タブーを犯しているものがある、と指摘した。以下、具体的に見ていきたい。

【タブー1】母集団を明示的に設定していない


社会調査の(というより統計・確率の)基本

「ある集団(たとえば、日本の就労者)の特性を知りたい場合、そのメンバー全員から意見を聞く必要はないが、その集団全体から等しい確率で回答者をピックアップしなければならない」



ひと言でいえば、無作為抽出の重要性である。この鉄則は、社会調査上、初歩の初歩である。社会調査士養成のためのカリキュラムでは、たぶん一番最初(たとえば、学部1年時)に教わる知識だ。


逆に、何千人、何万人、何十万人にアンケート用紙を配ったとしても、サンプルが偏っていたら、正しい知見は絶対に得られない(そもそも、偏っているのかいないのかは、全数調査か無作為抽出調査と比較してみないとわからない)。何万人もアンケートを配って集計する経済的・人的余裕があるならば、そのコストを「数百人規模の無作為抽出調査」にあてたほうが、よほど学術的な貢献となるはずだが。


しかしながら、先日の記事であげた「実態調査」はいずれも、「日本人労働者」の特定のグループしか対象にしていない。上記の調査に関して言えば、調査対象のほとんどが、上場企業などの比較的高いステータスを持っているとされる企業(およびその労働者)である。この種の企業は、海外との取引や国外展開が多く、必然的に、英語使用が必要になることが多くなるだろう。たとえば、寺内(2010)の調査では、「対象者は海外出張経験者などの英語使用者( p.31 )」というように、かなり恣意的な対象者選択が行われている。このような調査が、「実態」よりもかなり高めに、英語力の重要性を見積もることは当然といえよう。


【タブー2】職種・産業が体系性・具体性に欠ける

このような恣意的な対象者選択の必然的な結果であるが、対象者の職種・産業が特定の分野に偏るという問題もある。ただし、それがどれほど偏っているかをうかがい知ることは、いずれの調査からも不可能である。というのも各調査が、ごく抽象的な職業分類しか用意していないからである。これはおそらく、調査を行った研究者は、ほとんどの場合、英語教育・英語研究を専門にした研究者であって、労働研究の専門家が調査に参加していないことが一因と考えられる。


たとえば、寺内(2010)では、労働研究では一般的に区別する「職種」と「産業」を区別していない。一般的に、「職種」とは、「その労働者は日々何をしているか」に基づいて定義され、「産業」は、「その労働者は日々どのようなモノ・サービスを取り扱っているか」で定義される。たとえば、自動車メーカーに務めるAさん、Bさん、Cさんがいたとしよう。3人はいずれも「製造業」という産業にカテゴライズされるが、自動車の設計に携わるAさん(専門職)と、自社新製品のキャンペーンを企画するBさん(事務職)と、工場の製造ラインに並ぶCさん(ブルーカラー職)とでは、異なる職種と見なされる。


寺内(2010)の調査では、職業として11 個のカテゴリしか用意されておらず*1ブルーカラー職/ホワイトカラー職という、ごく基本的な職業区分がまるで存在しないかのようなだ。また、国際ビジネスコミュニケーション協会( 2010 )の調査では、そもそも職種に関する選択肢がない。


【タブー3】就労者の多様性、労働市場の不平等性を念頭に置かない

有名企業の従業員が恣意的に選ばれたのならば、回答対象者の属性も一定の方向に偏るはずである。


まず、高学歴の者が多くなることはほぼ確実である。じじつ、寺内( 2010 )では回答者のうち大卒以上の学歴保持者が 80% 以上いるが、これは日本社会の実態とかなり乖離している。
また、寺内( 2010 )のように、「部署内で英語が必要なひとに配布」というようなサンプリングをする以上、男性の数が大きくなるというバイアスも生じるかもしれない(以前は、「男性は総合職、女性は一般職」というキャリアトラックはかなり強固であったため)。


これら学歴やジェンダーは、たとえ「職業能力」が等しかったとしても、その相違によって、職業機会や賃金の格差を生じさせるという意味で、労働市場における不平等要因である。しかしながら、既存の調査には、このような不平等要因を分析枠組みに組み込んでいるものは、皆無である。いずれの調査も、基本的に、「仕事」と「英語の必要性」という2 変数の関係のみを対象にしているに過ぎず、その結果、たとえ等しいレベルの英語力を持っていたとしても、様々な理由で、英語が必要な仕事から「排除」されている労働者がいる可能性は念頭にない。このような「排除」を考慮しないということは、日本の労働市場を、過度に平等的・開放的なものとして(おそらく無意識に)概念化していることを意味する。


以上の問題点を完全に解決することは決して容易ではないが、同時に、極度のバイアスを避けることはじゅうぶん可能であり、またそうすべきものである。1つめの問題点は調査対象者を無作為に抽出する手続きを経れば可能であるし、2 番目3 番目の問題点も、精密な調査設計を練れば解決できる。このような考慮をすることで、よりバイアスの少ない、より「実態」に即した知見を得ることができるのである


もちろん、社会調査の「中立性」「客観性」を「実態」と過度に同一視することは、調査の「網目」からこぼれ落ちるものの存在を認めないことになり、これ自体がひとつの政治性を帯びるのは事実である。したがって、「中立性」「客観性」を金科玉条のように祭りあげることには慎重であるべきだが、現実に、よりバイアスが少ない方法がある以上、それを利用しないのは、「不誠実」という誹りを免れないだろう。


なぜ、科研や有名企業の調査で、社会調査ではごく初歩的なルールが守られていないのか不思議である。企業の調査は、「販売促進(プロモーション)のため」と考えれば納得がいくけれど、科研調査に関しては、正直わからない。一応思いつく「内在的」理由は、以下のようなもの。外在的な仮説もいくつか思いつくが、下品なものばかりだから言わない。

(A) 日本の外国語教育研究の無作為化、軽視

日本の外国語教育研究は、統計解析を重視するが、反面、(なぜだか知らないが)無作為化(ランダマイゼーション)をすっ飛ばして、統計的検定(有意差があるとかないとか)を教えることがある。(無作為化とは、アンケート調査であれば、無作為抽出で、介入実験であれば、無作為配分)。


そうした事情ゆえ、無作為抽出の重要性が研究者レベルにも浸透していない。念のため統計的検定における有意確率とは「無作為化のせいでこんな結果になってしまう確率」という意味である。つまり、有意があるとかないとかの考え方にはそもそも「無作為化」が大前提として含まれている。もちろん「この差は無意味な差じゃない、意義の有る差だ!」などという意味ではない

(B) 英語教育研究の、学際研究者(とくに、労働研究の専門家)の不足

「ビジネスと英語教育」は、(お金になるせいか)英語教育研究でもけっこう勢いのある分野だと思うが、研究者の出身が、英語教育研究や応用言語学ばかりに偏り、労働研究の出身者がほとんどいない。「ビジネスにも詳しい英語の先生」が、労働研究(風のこと)をやっている、という状況もある。




次回は、なぜ英語教育関係者は、「ビジネスでの英語使用は増えている」と暗黙の仮定をおいてしまいがちなのかについて。

*1:同調査で用意されている、「職種」カテゴリは、次の11個である。1 総務、 2 法務、 3 人事、 4 経理、 5 経営企画、 6 販売、 7 製造、 8 商品企画・製造、 9 技術、 10 研究・開発、 11 その他