こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

【方法論】外国語教育研究における歴史的アプローチの位置づけ


外国語教育研究の方法論・リサーチメソッドという話が、以前からよく聞かれる。少し前のテキストブックには、ほとんど統計の話で埋めつくされているものもあったけれど、最近では「量的/質的」といった二分法をはじめとして、リサーチメソッドをより全体的・メタ的に眺めたテキストが増えているように思う。


しかしながら、現在日本で発行されている数多の教科書で「歴史的アプローチ」が解説されているものを見たことがない(既に存在していればぜひ知りたいので、どなたかご存知でしたら教えてください)。この点、近年、かなり一般化した「質的研究」という用語とは対照的である。その意味で、量的にせよ、質的にせよ、同時代的な方法論が中心になっているようだ。


もちろん、英語教育史のような分野はそれなりに認知されている。ただ、「明治の偉人の英語学習から学ぼう」といった、まるでビジネス本にありそうな懐古趣味的な英語教育論が、歴史アプローチであるかのように誤解されているという不幸もあり、その位置づけが正当に評価されていないようにも感じる。そこで、その意義を簡単に述べたい。


歴史的アプローチのキモは「過去との比較」

結論から言えば、歴史的アプローチの最大の意義は、過去の貴重な事例と比較ができることである。


つまり、実験が対照群との比較によって何かを明らかにするのと同様に、歴史的アプローチは過去の事例と比較をして、重要な知見を導き出すのである。ただなんでもかんでも過去から範をとればいい、というわけではない。それでは単なる懐古趣味だ。比較することに意義があるような貴重な事例に注目する必要がある。この点については後述。


歴史的アプローチの意義については、他分野の入門書だけれど、稲葉振一郎著『社会学入門』(NHKブックス)の説明が参考になる。


社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

[社会現象のほぼすべては実験が不可能なので] 社会科学において実験の代わりとして重要になってくるのが、第一に統計的な大量観察、そして第二に歴史研究です。


・・・(中略)・・・


第二の歴史研究の意義について説明しましょう。確認しますが、実験という作業は研究者が、研究する対象に手を加えて、その対象が置かれている状況をいろいろと変えてみて、その結果を比較するという作業であるわけです。統計的研究では、この互いに比較すべき多様な状況を自分で作り出す代わりに、たくさんのデータの中から選び出してくるわけです。それに対して歴史研究においては、過去にすでに起きてしまった出来事の記録をいろいろと集めて、それらを比較するわけです。
(pp. 28-30)


要は、容易に実験できないような、あるいは実験による検証が許されないようなことであっても、もし過去に似たような事例があったのなら、それを素材にすることができる、ということである。


現代の私たちにとってタイムリーな例に、災害工学がある。地震の研究とか洪水の研究と聞くと、「科学」の分野で、歴史とは無縁と感じるかもしれないが、「数百年に一度の大災害」といった事例の場合、かなり歴史的アプローチが使われている。たとえば、東日本大震災以降、ニュースなどで「地元の古文書を調べた結果、○○地震は、数十メートルもの津波を引き起こした」といった話がたびたび報じられている。大災害のような、実験もできなければ、めったに起きもしない事例の場合、歴史的アプローチの意義はわかりやすいと思う。なお、洪水関係で言うと、こちらもご参照→新刊『川と国土の危機』 - こにしき(言葉、日本社会、教育)


教育分野も災害などと同じように、「容易に実験できない/してはならない」ことの宝庫である。学習者をモルモットにすることはできないのだから。そういう事例の場合、歴史的アプローチが輝きを増す。

メリット・デメリット

歴史的アプローチのメリット・デメリットも簡単に述べておきたい。


やはり前述の『社会学入門』から引用する。

歴史研究にはいくつかのメリットがあります。一つには、実験とは異なり、過去にすでに起こってしまったことを研究の素材にするから、現在進行の実態調査に比べて、倫理問題が起きにくいということ...。そしてもう一つには、大量調査などの実態調査にもとづく研究は、金銭的にもマンパワーの点でも大変なコストがかかり、独力では難しいのに対して、歴史研究は既存の資料を読み込むことが中心なので、やろうと思えば一人でもできる。
(p. 31)

メリットは、ここにあるとおり、倫理的な問題が起きない点や、初期投資のコストが比較的小さい点だろう(もちろん、それはコストパフォーマンスの高さを意味しない。コストパフォーマンスの良し悪しは、結局、研究者の能力や研究テーマの設定の仕方次第だろう)。


一方、デメリットは、そもそも過去に意義のある事例が存在しなければ、何も言えない、という点だ。

量的アプローチ 質的アプローチ 歴史的アプローチ
データの種類 数値 テクスト テクスト
データ収集 非対話的(1回限り) 対話的 半・対話的

量的/質的/歴史的の3つのアプローチをデータとの関係から整理したのが上の表である。


歴史的アプローチは、量的アプローチに比べても、かなり自由にデータが取り扱えるが、反面、欲しいデータが何でもかんでも手に入るわけではない。データへのアクセスの良さでいえば、質的アプローチにはかなわないだろう。


「現代の英語教育へのヒントのために、明治の英語名人の学習法を分析する」という話をたまにきくが、だったら、現代の「英語名人」の学習法を聞き取るなりして詳細に調べたり、「英語名人」を(そして比較対象として「非・名人」も)多数集めてアンケート調査を行ったほうが、よっぽど精確なデータが集まると思うのだが。