こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

A. ペニクック 『国際語としての英語、その文化政治学』読書メモ

最近またこの本を読んでいるので、読書メモ(というか要約)をつけていきます。随時更新。


The Cultural Politics of English as an International Language (Language In Social Life)

The Cultural Politics of English as an International Language (Language In Social Life)


ひょっとすると「てらさわは、この本を何度も論文で引用してたよな。アイツは読まずに引いてたのか!」と思う人もいるかもしれませんが、以前にちゃんと読んでますのであしからず。今回は「再訪」でございます。

Chapter 1 The world in English

省略。

Chapter 2 - Discourse and dependency in a shifting world

まず、「国際語としての英語」の具体的事例を考える前に、国際関係/国際的な力関係の理論 ---抽象的な認識枠組み--- をチェックしておかなくちゃいかんよねー。そうしないと「英語はこの国ではこんな感じで使われてます。この国ではこんな感じ。そっちではこんな(以下略)」みたいな、単なる事例の羅列で、「小学校の自由研究」みたいになっちゃうよねー。みたいなことを言っている。


それで、以下の様な3つの国際関係観を提示する。

進歩モデル
近代的で進んだ社会は、伝統的で遅れた社会を善導している
帝国主義モデル
いわゆる「進んだ」社会は、いわゆる「遅れた」社会に対し自分たちの価値観を押し付け、搾取している
「文化のポリティクス」モデル
「進んだ」社会に搾取されつつも、「遅れた」社会は、文化(とりわけ、言語、言説、コミュニケーション)を駆使しながら抵抗し、そして「進んだ」社会の文化の換骨奪胎を目論む


そのうえで、ペニクックは、


1番目の「進歩モデル」は雑過ぎて話にならん。2番目の「帝国主義モデル」も1番目に比べたら悪くないがまだ雑。やっぱり、「国際語としての英語」を丁寧に考えられるのは3番目だよねー。と言っている。


ま、本のタイトルがそもそも The cultural politics of ... なんだから、このオチはわかりやすい。


2章の最後に、「クリケットの国際的普及」の事例を紹介し、英語と似ているよねと締めている。クリケットが旧植民地に普及していった過程は、単なるイギリスの「押し付け」ではなくて、旧植民地地域の抵抗、そして新たな「クリケット」の創造として捉えられる事例なんだそうだ。


つづく。随時更新。