ここの続き
修士1年での研究テーマの決め方 - こにしき(言葉、日本社会、教育)
「役に立つ研究」「お役に立てる研究」という言い方は色々ミスリーディングなのでやめた方がいい気もするんだけど、やめられない。以下にエクスキューズを書いておきたい。
意図としては、「広い意味で『役立つ』研究」。
「役に立つ」を一般的な含意よりも拡張すればの話だが、実社会(正確には非専門家・非研究者)を益するものだけが「役に立つ研究」に限定されるわけではない。実社会での応用可能性がまったく不明な研究でも、自分の属する学術コミュニティの専門家・研究者には間違いなく貢献できるものはあるからだ。
職業研究者を目指す人の研究テーマは、
- 個人属性
- 興味関心、適性、等
- 成果の出しやすさ
- 先行研究の分厚さ、分析道具の整備、今まで勉強した貯金、等
- パイの大きさ
- 研究者の規模の小ささ、将来性等
という3要因のバランス(+誤差)で決まる、というのが昨日の記事の真意。
卒論の貯金を後生大事に維持したままだと、3番目の要因が無視されがちだけれど、それはとてももったいないというのがこの前の記事のメインテーマ。
そして今日もうひとつ付け加えるなら、3番目の要因に注目しないと、「それは誰のためにやっているんですか、結局、単に自分のためだけの『自己実現』型研究ですか」という方向に陥りかねない、という点。なお、冒頭に書いたとおり、「自分の研究が貢献する他者」には、学術コミュニティも含まれるので、一般的な含意での「役に立つ研究」よりは拡張して理解していただけるとこれ幸い。
もちろん例外的に、「他者への貢献をまったく想定していない、純粋に自己実現型の研究」というのは、存在するだろう。たとえば、皇族が行っている研究。ああいうのを目指したいなら、まず皇族になると良いと思う。