こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語教育学における「科学」の意味


昭和40年代、英語教育の「科学化」運動があって、英語教育が誕生したというのは関係者にはそこそこ有名な話だと思う。この科学化・学問化運動の頃に書かれた論文を読んでいると、当然ながら「科学」というスローガンが連呼されている。私は学生の頃から、この科学の用法にずっと違和感があったが言語化できずにいた。


しかし、つい最近、疫学/エビデンスベースト医療関係の本を読む機会があって、この違和感の正体がなんとなくわかってきた。それは、政策科学基礎科学が区別されず、両者の境界が曖昧なまま使用されている点である。この区別は、おそらく現在の英語教育学でもほとんどされていないと思う。以下、この違いを説明してみよう。

政策科学 vs. 基礎科学


政策科学・基礎科学の特徴を、英語教育を前提に整理してみたい。

政策科学系の英語教育学
英語教育政策の実行・評価のための科学。したがって、意思決定が最重要事項であり、メカニズムの解明は主たる目標ではない。
基礎科学系の英語教育学
英語の学習・教育に関する現象を解明するため科学。メカニズムの解明を重視し、政策の決定・評価に資するかどうかは主たる関心ではない。


基礎科学としての英語教育学と言われても、外の人には「何それ?」と思われるかも知れない。まあ、それもそのはずで、「教育」という文字にそもそも意思決定のニュアンスが含まれているので、純粋に基礎科学としての研究が成立するとはちょっと考えにくいからである。ただ、英語教育学にも色々と特殊事情があり、基礎科学としての英語教育学は、いわゆる第2言語習得論(SLA)、そのなかでも認知科学志向の強いものを指すことが多い。したがって、以下、後者については「基礎科学」という言葉をやめて「認知科学」と呼ぶ。


この英語教育学の2種類の科学は、医学の状況ととても似ているように思う。医学との比較をした下の表を見ると、この事情がよりわかりやすくなるだろう(と言っても「疫学」を知らない人にとってはむしろ混乱させるだけなので無視して下さい)。

  意思決定のための科学 カニズム解明のための科学
英語教育学 政策科学 認知科学
SLAの一部
医学 疫学
エビデンスベースト医療(EBM)
病理学

「疫学・EBM vs. 病理学」の緊張関係からも類推できるように、一般的に、意思決定とメカニズムの解明はトレードオフの関係にある。メカニズムを重視すればするほど意思決定は遅くなる傾向があるし、意思決定を重視すればするほどメカニズムは「藪の中」のままにされることが多い。


こうした事情があるため、政策科学では知見の一般化可能性(具体的なレベルで言えばサンプルの代表性や結果の一貫性)を重視する一方で、現象の測定の厳密性は必ずしも重視しない。一方、認知科学はその逆で、知見の一般化可能性は「今後の課題」として未来に預ければよいが、測定の厳密性は要求される。「ざっくりと測定してみました」では結果もぼやっとしていてメカニズムも何もあったものではないからだ。

2種類の科学を区別する意義

したがって、知見の一般化可能性と測定厳密性という両立が難しい要件を同時に追求してしまうのは、あまり筋の良い研究アプローチとは言えない。政策科学と認知科学を区別しないことによるデメリットがこれである。

もし区別しなければ、本来の目的は「意思決定」なのに、不釣り合いなほどの厳密性を追求してしまい、意思決定ができなくなることにもなりかねない。たとえば、特定の小学校英語プログラムの効果を知りたい場合や、ある地域の学校の「英語で英語を教える」指導に効果があったかどうかを知りたい場合、測定は最悪「ざっくり」でも良いので、きちんと一般化可能なデータをとってこないと今後の意思決定に役立たない。しかしながら、研究者の「習慣化した方法論」が認知科学よりだと、測定の厳密性を追求してしまい、データの政策的妥当性が損なわれてしまう恐れもあると思う。


なお、余談ながら、「自分の教育実践を改善するためのリサーチ」というものは、英語教育学ではけっこうある問題設定である。これは「政策科学」の極端なかたちと理解すべきものだと思う。というのも、規模はいわゆる「政策科学」と比較にならないほど小さいが、意思決定を目的に設定しているからである。


医学と仮説――原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー)

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市民のための疫学入門―医学ニュースから環境裁判まで

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