こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語教育学における2つの「科学」(対話篇)

対話形式(架空対話形式)にしたほうが専門外の人にも読みやすくなるという噂を聞いたので、実験的に以下の記事を対話にしました。
英語教育学における「科学」の意味 - 【旧版 2018年3月まで】こにしき(言葉、日本社会、教育)

英語教育と科学

太郎:あ、花子さん、こんんちは!

花子:あ、太郎さん、このあいだはとってもおいしい羊羹をどうもどうも。

太郎:突然ですが、英語教育の「科学化」運動ってご存じですか?

花子:ものすごく突然ですね。すみません。知りません。

太郎:昭和40年代頃のことですね。当時、従来は経験則中心で行われてきた英語教育をもっと科学化・学問化しようという運動です。その結果、英語教育が誕生しました。

花子:へえ。でもそれって基本的にいいことですよね。非科学的な教育より科学的な教育のほうがずっといいでしょ?

太郎:一般論としてはそうですね。でも・・・

花子:でも?

太郎:でも、この頃に書かれた論文を読んでいると、当然ながら「科学」というスローガンが連呼されてるんですが、この「科学」の用法にずっと違和感があったんですよ。でもずっとその違和感が言語化できずにいました。

花子:ほう。

太郎:ところが最近、疫学/エビデンスベースト医療関係の本を読む機会があって、この違和感の正体がなんとなくわかってきた

花子:へえ。その違和感の正体って一言でいうと何なんですか?

太郎:それは、政策科学基礎科学が区別できてない点です。

花子:つまり、両者は本来違うものなのに、どちらも「科学」の名の下に一緒くたに扱われているってことですか?

太郎:そういうことです。

花子:なるほど。で、その区別は現在の英語教育学でもされていないと。

太郎:はい、ほとんどされていないと思います。

花子:おもしろそうですね!ぜひ説明してください!


政策科学 vs. 基礎科学

花子: まず、「政策科学」「基礎科学」って言うと何ですか?

太郎: わかりました。英語教育を前提に説明しますね。政策科学系の英語教育学、それと、基礎科学系の英語教育学の定義を述べると以下のようになります。

政策科学系の英語教育学
英語教育政策や指導プログラムの実行・評価のための科学。したがって、意思決定が最重要事項であり、メカニズムの解明は主たる目標ではない。
基礎科学系の英語教育学
英語の学習・教育に関する現象を解明するため科学。メカニズムの解明を重視し、意志決定に資するかどうかは主たる関心ではない。


花子:「基礎科学としての英語教育学」ですか?何ですかそれ?だって、教育に関わる以上、意思決定は避けて通れないと思うんですけど?「純粋な基礎科学」として教育を研究する学問なんてちょっとイメージできません。

太郎:おっしゃるとおりです。ただ、英語教育学にも色々と特殊事情がありまして・・・。いわゆる第2言語習得論(SLA)、そのなかでも認知科学志向の強いものの場合、基礎科学志向が強いです。そのうち英語の習得を扱っているものであれば、英語教育学の一分野として見なされます。

花子:けっこうわかりづらいですね(笑)

太郎:そうですね。誤解を避けるために、「基礎科学」という言葉に代えて、「認知科学」と呼んだほうがいいですね。以下、そうします。

医学との対比

太郎:2種類の科学が英語教育学に存在している状況は、医学の状況ととても似ているように思います。
花子:へえ。医学にも2種類の科学があるということですか。

太郎:そうです。以下の医学との比較をした表をご覧ください。

  意思決定のための科学 カニズム解明のための科学
英語教育学 政策科学 認知科学
SLAの一部
医学 疫学
エビデンスベースト医療(EBM)
病理学

太郎:「疫学・EBM」と「病理学」は対立しています。このの緊張関係からもわかるように、一般的に、意思決定とメカニズムの解明はトレードオフの関係です。

花子:トレードオフということは、どちらかを重視するとどちらかは失われる、そういう関係のことですよね?

太郎:そうです。つまり、メカニズムを重視すればするほど意思決定は遅くなってしまいます。反対に、意思決定を重視すればするほどメカニズムは「藪の中」のままにされます。こうした事情があるので、政策科学では知見の一般化可能性(具体的なレベルで言えばサンプルの代表性や結果の一貫性)を重視する一方で、現象の測定の厳密性は必ずしも重視しません。

花子:なるほど。で、認知科学の場合はまさにその逆ということですね。?

太郎:はい、認知科学の場合はその真逆で、知見の一般化可能性は「今後の課題」として未来に預ければよいけれど、測定の厳密性は要求されます。だって、「ざっくりと測定してみました!」では結果もぼやっとしていてメカニズムも何もあったものではありませんからね。

2種類の科学を区別する意義

太郎:以上の話を前提にすると、2種類の科学を区別をしてないと色々困った事が起きることがわかるはずです。

花子:それはなんでしょう?

太郎:政策科学の守備範囲である「知見の一般化可能性」と、認知科学の守備範囲である「測定の厳密性」、これらは両立しづらいものですが、区別をしていないと両者を同時に追求してしまいかねません。

花子:なるほど。

太郎:もし区別しなければ、本来の目的は「意思決定」なのに、不釣り合いなほどの厳密性を追求してしまい、意思決定ができなくなりかねません。

花子:具体的に言うとどんなデメリットでしょうか?

太郎:たとえば、特定の小学校英語プログラムの効果を知りたい場合や、ある地域の学校の「英語で英語を教える」指導に効果があったかどうかを知りたい場合をイメージしてください。その場合、測定は最悪「ざっくり」でも良いですけれど、一般化可能なデータをきちんととってこないと今後の意思決定に役立ちません。しかしながら、その研究者が認知科学的な科学だけに慣れ親しんでいるにもかかわらずその自覚がなかった場合、不幸なことになります。測定の厳密性を過度に追求してしまい、データの政策的妥当性が損なわれてしまうからです。

花子:それは大変ですね。

太郎:ええ、大変です。

花子:わかりました。さようなら。

太郎:さようなら。

医学と仮説――原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー)

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