先日の社会言語科学会で、台湾人の母語意識に関する発表を聞かせてもらった。
その場でも質問させてもらったのだが、「母語」という言葉の流通度について簡単に書いておきたい。
「母語という言葉は、知らないし意味もわからない」
以前ツイッターで次のようなアンケートを行った(ツイッターには最近、簡易アンケート機能が実装された)。
言語学を専門にしない大学生の方に質問です。「母語話者」という言葉を知っていますか。聞いたときすぐにその意味がわかりますか?
その結果が以下。
知っていて、かつ、すぐに意味がわかる 40% 知っているが、意味は少し考えなければわからない 13% 知らないが、なんとなく意味はわかる 27% 知らないし、意味もわからない 20% 回答者計230人
https://twitter.com/tera_sawa/status/737930476111994882
知らない人がおよそ半数、さらに「知らないし、意味もわからない」と答えた人が2割いるのはなかなか驚きだった。
いかに自分が言語学(あるいは人文学)の語法に慣れ過ぎているということだろうか。
おそらくだが「知らないがなんとなく意味はわかる」と答えた人の一部は、「お母さんの話している言葉」あるいは「お母さんが赤ちゃんをあやすときに使う言葉」のような意味で理解していたのではないだろうか。
日本では多くの場合「言語学の母語=母の言葉」はそれほど食い違わないかもしれないが、当然、一対一対応はしていない。
言語学では有名なスクトナブ=カンガスの「母語」の定義(正確には母語の4要件*1)も、「母の言葉」とは異なる。
もちろん「母語」は言語学用語だけではなく、人文社会系の高級語彙のひとつでもあるので、一般の人に馴染みがある人も多いだろう。ただし、その場合の「母語」には、少なくとも「第一言語」や「L1」に比べてイデオロギー的負荷がかかっている。「母語」にはロマンチシズム的な意味合いが含まれている。
なお、このツイッターアンケートの文脈を簡単に書いておくと、今年6月ごろ、私の職場で在学生対象のアンケートを実施する予定があり、その設問の文言として「ネイティブ」「英語のネイティブスピーカー」「英語母語話者」のうちいずれかの語を使う必要があった。言語学での言葉遣いに慣れている私はなんとなく「母語話者」でOKと思っていたが、念のためチェックするために上記のようなアンケートを行った
なお、結果が「知らない」人が1割程度、「知らない・意味もわからない」人が数%だったなら、「母語話者」でGOサインを出していたと思うけれど、この結果を見て「英語のネイティブスピーカー」という語を選ぶことに決めた。字数は食ってしまったがわからない言葉を使うよりはマシだった。