英語教育の人たちが使う「実証主義」という言葉の意味がわからない。
ちなみにこれは「日本の英語教育学」disというわけではなくて、英語圏の応用言語学も同様で、どういう意味で positivism という言葉を使っているのかやはり意味がわからない。
まあ、定義せずに使っていてもコミュニケーションが成立しているのだから、何らかの事情があるのだろうが、わからなすぎてヤバい。ここまでわからないと、「よくわかってなくて、単なる『呪文』として使ってるだけ」という志の低い説明に飛びついてしまいそうだ。
英語教育研究者のあいだでは、どうやら少なくとも3つの意味で使われているようだ*1。
- 「データに基づいて事実に対して何か言う」(≒経験主義)という意味
- 「仮説検証というデザイン」(狭義の量的研究)の意味
- 「事実」というものを仮定する認識論的立場の総称
個人的には2番目の意味に限定して使うのが無難だと思うが、その場合は「量的研究は実証主義で、質的研究は非実証主義」のような(英語教育学界でなぜか流行っている)2分法をやっては絶対ダメ。仮説検証のフレームに載ってない量的研究なんていくらでもあるからだ。なお、2分法そのものがダメと言ってるわけではないので念のため。
ついでに上の2分法、つまり「実証主義の量的研究 vs. そうではない質的研究」は、一つ目の意味で使っても齟齬を引き起こす。事実を仮定したうえでデータに依拠して知見を導き出す質的研究なんていくらでもあるからだ。
ミスリーディングを避けるためには、「実証主義」という用語をとりあえず自粛した方がいいよね。各立場に言及するときは、多少の煩雑さには目をつぶり、きちんと説明的に表現する。そもそも量的研究・質的研究の間に線を引くときに、単一の認識論に依拠するというのはかなり筋悪ではないだろうか。現実には、単一ではなく、複数・多数の基準が交差した結果として、複雑なメソドロジー分岐が起きているのだと思う。