こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

応用言語学とエビデンスベースト:イギリスしんどい&根拠に基づく教室実践


Mitchell, R. (2000). Applied linguistics and evidence-based classroom practice: the case of foreign language grammar pedagogy. Applied Linguistics, 21(3), 281-303.
http://applij.oxfordjournals.org/content/21/3/281.abstract

この論文のポイント ――といっても上記リンクからアブストを読めばいい話なんだけど―― は、

  • (a) イギリスで猛威を奮っているエビデンスベースト型の政策決定を批判的に紹介しうえで、
  • (b) 応用言語学はどういう感じでエビデンスベースト教室実践に貢献できるか

という点。

UKエビデンスベースト、悲惨

前半 (a) を読むと、「イギリス大変だなあ」という気持ちがあらためて強くなる。

UKでは、エビデンスベースト教育政策の極端なバージョン――つまり、エビデンスに基づいて「予算配分」を決定する制度――が行われていて、これはかなり悲惨なことになってるなあというのがよくわかる。

合意可能性が低い分野で「エビデンスあり/なし」に過剰に傾斜をつけると、屍しか生まなそう。「独創的な研究の芽を摘む」とかならまだマシなほうで、研究不正の温床にもなりかねない。

医療分野のEBMが成功例であるのは、「処遇」「アウトカム」いずれにも合意がとれていて、しかも「処遇」「アウトカム」の定義自体がエビデンスベーストに決めやすいためであって、それをそのまま教育に応用すると悲惨だろう。応用したがる人はエビデンスに対してかなり楽観主義的/ナイーブな認識論を持っていると思われる。

言語習得理論は「エビデンス」なのか

後半 (b) の議論はかなり奇妙だ。

いわゆる 'What Works' タイプのエビデンスとして、言語習得理論(UG, インプット処理に関する理論)の貢献可能性が論じられているが、'What Works' の拡大解釈感がすごい。'What Works' の what の部分にはふつう、文字通り、具体的な処遇が入るわけで、言語習得理論の実証研究が独立変数の対象にしているのは個々の処遇ではないだろう。

エビデンスベーストの根本思想はリスペクト、実務的運用方法はスルー

本論文の前半の議論を見る限り、エビデンスベーストを意思決定原理にするのは途方もなく期待薄という感じしかしない。

そういう点でEBPの研究者の多くが、Evidence-based ではなく Evidence-informed という語を好んで使っていることは納得がいく。

同時に感じたのが、たとえ運用が困難だったとしても、エビデンスベーストの根本思想自体は即廃棄する必要もないという点だ。
たとえば「処遇→アウトカム」の因果モデルや、因果効果の信頼性にしたがってエビデンスを格付けするアイディア(エビデンス階層)は、依然、貴重だと思う。

本論文の後半は、応用言語学におけるエビデンスベーストの可能性が議論されているが、これら「処遇-アウトカム因果モデル」やエビデンス階層の話はまったく考慮していない。考慮していないからこそ、たとえば「L2への普遍文法介在に関する研究」と「文法指導の長期的効果に関する研究」が同一平面上で議論できてしまうのだろう。

エビデンスベーストの根本思想はリスペクト、運用原理はスルー辺りが最適解ではないか。