こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

中村高康著『暴走する能力主義』(ちくま新書、2018)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)

読了。名著。

「コミュニケーション能力」「人間力」「21世紀型能力」「リーダーシップ」「批判的思考」…。現代の教育場面では、この種の「新しい能力」が称揚される。実は――ともったいぶって言わなくても多くの人が既に知っているとおり――この手の非学校的能力の重要性は昔から叫ばれてきた。その意味で、古くからある「新しい能力」である。

本書では、こうした曖昧な諸能力が、現代社会で無秩序に増殖する背景を社会学的に分析している。もっとも、社会学には、葛藤理論的枠組みに基づいてこのテーマを検討した研究の蓄積は多いが、本書のユニークなところは、データ分析および社会理論(とくにアンソニー・ギデンズ再帰的モダニティ理論)を駆使して検討している点である。
 

英語教育学との関連について 本書は、アプローチ(=社会学)こそ英語教育学と縁遠いとはいえ、英語教育学にとっても最重要概念のひとつである「能力」を正面から取り扱っている。その点で、関係者は必読の書であると思う。

とくに、結論部(第6章)の最後 (pp. 229-233) 、英語の四技能試験を含めた大学入試改革を論じている部分はきわめて重要。入試改革論議では、一方で前述の「古くからある新しい能力」がもてはやされ、他方で旧来型テストで測定される能力が、単なる「知識の暗記・再生」に過ぎないとして攻撃される。

しかし、現在の入学試験(推薦入試・AO入試など含む)が本当に知識の暗記・再生に過ぎないのか。実際、その反証は多数ある。しかし、「新しい能力」の推進派は意に介さない。

そこには、「新しい能力」を求めることが自己目的化した強迫観念が垣間見える。その強迫観念、つまり「新しい能力」への自己増殖的渇望を生み出すメカニズムこそ、本書が明らかにしていることである。