こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

クリティカル言語テスティング。とは・・・

  • Shohamy, E. (2001). The power of tests: A critical perspective on the uses of language tests. Harlow, England: Longman.

The Power of Tests: A Critical Perspective on the Uses of Language Tests (Language In Social Life)

非常にわかりやすい文章。論のはこびも親切。節見出しだけ拾って言っても大体どういう話かわかる。ただ、各章が短い。しかも、わりと普通のことしか言ってない。

以下にも書いたが、「クリティカル」が副題についているにもかかわらず、「クリティカル」とは何かに対する理論的考察がない。Critical theory あるいはそれに類する理論的バックアップが割愛されているため、単なる「よく考えている言語テスト研究者であれば誰もが納得する話」という仕上がりである。批判的研究者であれば必ず提起するであろう、認識論的問題や政治理論的問題がスルーされている。

エピローグで「これはアナキストのすすめちゃうで」ということが書いてある。

The message conveyed in this book should not be interpreted in anarchistic terms. It is not a call for the abolishment of tests altogether; rather, it is a call for the practice of quality tests...”

いやいやいやいや。

ちゃんと理論的考察があれば、アナキスト的立場でも全然問題ないでしょ・・・。極論を(根拠もなく)遠ざけてるのは、クリティカルな態度の真逆じゃないかな。

ここにも示されているとおり、常識を資源とした「クリティカルのすすめ」が、本書のエッセンスである。言い方はわるいが、理論ではなく「穏健さ」に依拠してクリティカルさを演出している感じがある。なお、詳しい理論的考察はないものの、一応フーコー(『監獄の誕生』)は理論的な文脈でけっこう引用されている。

 


 

以下、各章を短文形式で整理。[]内は私の感想。

Chapter 1 使用志向のテスティング

テスティングは伝統的には測定志向だったが、使用にもきちんと注目すべし。近年は妥当性概念に使用に関するものも含みつつあるようだし。 

Chapter 2 受検者の声

受検者の声を聞いてみると、テストが人生でいかに重大な意味を持っているかがわかる[あ、当たり前だ…] 

Chapter 3 テストの強力な使用

テストは実際すごく大きな影響力を持っている。また、テストは、規律・訓練の道具として働いている(フーコー的な意味で)。

[どうでもいいが、フーコーに関してついている 注1 が面白い。なんだこれ]

Note 1: ... It is worth noting that Foucault's biography as described in Eribon (1991) provides convincing evidence of his own experience and sufferings from tests, making him a 'test victim'. ... It is very likely that being a victim of tests led him to gain special insight into the use of tests as disciplinary tools in Western societies.

Chapter 4 パワーの特徴

どういう側面からパワーが生まれているかという話。機関の持つ権威、科学の言葉という権威、数字の権威、(公的)文書という権威、客観性という権威。

Chapter 5 パワーの起源

試験制度は「生まれ」で人材登用を行う前近代的制度へのアンチテーゼとして生まれた。試験・テストは、公平・民主的な「真のメリトクラシー」の実現を目指していたし、今も目指している。

[章の後半で、教育システムが centralized vs. decentralized で試験制度が変わるという話をしている。しかし、比較教育的な話にもかかわらず、具体例がなく、いまいち納得がいかない]

Chapter 6 誘惑

テストは、政策立案者にとって誘惑の源泉だらけ。みんな権威だと思ってるし、点数化すると合格・不合格の境界を設定しやすいし、そして政策立案者にとってカリキュラムをいじるための数少ない手段 がテストだし

[中央はカリキュラムへの権限がないので代わりに試験制度に狙いを定めるという話だが、これはとくに分権的教育システムの国の話だろう]。

また、テストは、コストパフォーマンスがいいので、政策立案者のお気に入り。

In comparison to introducing reforms through teacher training, development of new curricula or new textbooks, changing the tests is a substantially cheaper venture. ... Obtaining funds is often a long process that is not possible to complete in the short time that bureaucrats hold office. Tests, therefore, provide policy makers with the opportunity to create policy in the shortest time.

Chapter 7 分析ドメイン

意図 intentions と 効果 effects という2つのドメインがある。

[効果について、色々な用語のマッピングを試みているが。たとえば、washback, impact, consequnece, effectなど。個人的には、別の単語にそれぞれ異なる定義を当てる提案は、混乱の元なのであまり生産的ではない気がする。どれも日常語レベルでは区別が難しいのだから。たとえば、Type I Effect, Type II Effect ... と番号で区別するとか、short-term effect, mid-term effect ... というように形容詞をつけるとかのほうがマシな気が。]

Chapters 8・9・10

イスラエルにおける事例研究3つ。L1読解力テスト、アラビア語(L2)のテスト、そして、英語(L2)のテスト。調査法は、観察(授業観察の意味?)、インタビュー、質問紙。

[L2英語テストの調査、全生徒200人のうち、50人を無作為に選んだという記述があるが、いまいち意味がわからない。なぜ200人全員を調べなかったのか(何か特殊な事情があるのか)というのと、50人程度では無作為抽出の効果は出ないだろうというのと、ほんとうに「無作為」だったのかという点]

Chapter 11 テストの使用事例

教育分野以外でのテスtの政策的使用について。移民のゲートキーピング、教育水準の向上。

また、語学クラスをより多く開講する必要性を訴えるためにもテストは利用(悪用)される。高校で○○語を勉強し、一定の能力水準に達した人は大学で履修を免除される。免除者が増えると開講クラスが減らされるので、できるだけ厳し目のテストを作る。

Chapter 12 結論

結論、というかこれまでのまとめ。

Chapter 13 パワーが行使されるプロセス

パワーの源泉 → 操作 → 効果 effects → 影響 consequences

Chapter 14 Consequences

ネガティブな影響について

Chapter 15 象徴とイデオロギー

なぜテストに人々は簡単に従ってしまうのか。それは、象徴的権力 (symbolic power) を持っているから (Bourdieu, 1991)。象徴的権力のパワーは、権力者に由来するわけではなく、共同幻想みたいにパワーを行使されている側からの「信頼」によって担保される。

[p.124 に textual power という概念があって興味深い。テストの文体による効果ということらしい。たしかに、テストの文体は「答えなさい」とか「○○を使ってはいけません」とか、基本的に高圧的である。]

Chapter 16 クリティカル言語テスティング

クリティカル言語テスティングの特徴を列挙(小分類など用意せず15個をそのまま列挙!)

[ネガティブなことを言うと、「クリティカル」とは何かに対する理論的考察がない。Critical theory あるいはそれに類する理論的バックアップが割愛されているため、単なる「よく考えている言語テスト研究者であれば誰もが納得する話」という仕上がりである。一般的な批判的研究であれば提起する、認識論的問題や政治理論的問題がスルー]

Chapters 17-20

民主的・対話的アセスメントの提案。テスト実施者の責任・倫理に関する問題。受検者の権利。エピローグ