こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

リサーチパラダイム(実証主義、批判的リアリズム、解釈主義)の教科書

The Foundations of Research (Palgrave Study Skills)

The Foundations of Research (Palgrave Study Skills)

読んだ。
イギリス大学院の社会科学系リサーチメソッドの授業では定評があるというこの教科書。
確かに目からうろこが落ちる箇所が多かった。


その理由の大きな部分は、ときに大胆なまでに「言い切り」をしている点。リサーチメソッドの教科書ではしばしば、「必ずしも常に正しいとは言えないが◯◯」とか「△△は一般的には××と近いとされているが例外もある」のような奥歯に物が挟まったような物言いに出会う。そういう微妙な表現以外に記述できない場合もあれば、実際は断言して差し支えないのに著者の勉強不足ゆえ断言できなかったという場合もあるだろう。


同書は、以下に示すように、リサーチパラダイムを考えるうえで重要な分岐点についてかなりはっきりと「断言」をしている。そして(私は科学哲学の素人なので正直自信はないんだが)いちおう妥当な言い切りには見える。
明示的な「断言」をしているからこそ、図式化(以下、参照)に対する過度の怯えもない。


以下、私の専門分野の社会言語学・応用言語学を念頭に置く。
本書が、この業界のメソドロジー本と大きく異なるのは、リサーチを基礎づける認識論・存在論 (ontologies and epsitemologies)を丁寧に論じている点である。
そして、認識論・存在論に、理論、メソドロジー(メソッドに関するメタ理論)、具体的なメソッドをセットにすることで、リサーチパラダイムと呼び、統合的に論じている。


もう一点。実証主義でも解釈主義でもない、ポスト実証主義(あるいはクリティカルリアリズム)という立場を導入している点もユニークである。
応用言語学では、たいてい実証主義と解釈主義の二分法で議論していて、しかもその二分法に対して「必ずしもクリアには線が引けませんよ云々」と奥歯に物が挟まった物言いをする。
一方で、本書は三分法を用い、かなりクリアに既存の立場を整理する。
たしかに、三分法にするとすっきりする。既存の教科書が曖昧にぼかさざるを得なかったのは、二分法に固執していたからではないかとも思えてくる。
(ちなみに、ここの「ポスト実証主義」という用語は混合研究法業界の用語と間逆なので注意が必要。ややこしいことに、混合研究法業界では「ポスト実証主義」はいわゆる「実証主義」の意味で使われる。)


とはいえ、本書は博士論文執筆のための手引書でもあるので、前半は「リサーチに対する心構え」みたいな話が続く。
認識論・存在論の話は4章以降。もう少し具体的に言うと、4章がその概要。続く、5章・6章がこの議論を前提にしたリサーチパラダイムと理論の説明)


本書の根底にある考え方は以下。リサーチの哲学的前提(存在論・認識論)は、リサーチャーが「選びとる」ものではあるが、セーターのようにその時の気分で自由に選びとれるものではない。むしろ、皮膚のようなものとして考えるべきである (Marsh and Furlong, 2002)。

ためになる「言い切り」の数々

...‘ontology’ is logically prior to ‘epistemology’ and the two concepts must be kept apart, although, as we shall see, they are inextricably linked. (p. 60)

Ontology is often wrongly collapsed together with epistemology, with the former seen as simply a part of the latter. Whilst the two are closely related, they need to be kept separate, (p. 67)

認識論と各パラダイムの対応関係


リサーチの段階


リサーチパラダイムと各分野の対応関係

「理論」のグラデーション

「理論」という言葉の使われ方は社会科学ではまじでカオスで場合によってはケンカすら起こる(そこ行くと、自然科学での「理論」は非常に幸せな境遇にいる)

クリティカルリアリズムの学術的系譜

[T]he work of Karl Marx, Sigmund Freud, Theodor Adorno and Herbert Marcuse. This paradigm has also been influenced by the Frankfurt School in Germany (see Neuman 2000: 75-81). (p. 85)