こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

Pennycook's 'Mobile times, mobile terms'. (In Coupland, 2016)

Pennycook, A. (2016). Mobile times, mobile terms: The trans-super-poly-metro movement. In N. Coupland (Ed.), Sociolinguistics: Theoretical Debates (pp. 201-216). Cambridge: Cambridge University Press. doi:10.1017/CBO9781107449787.010

https://www.cambridge.org/core/books/sociolinguistics/mobile-times-mobile-terms-the-transsuperpolymetro-movement/E38C40B40CF48BE9E6D73B78156BB4E8

以下の本の読書会用に読んだ文献。

Sociolinguistics: Theoretical Debates

Sociolinguistics: Theoretical Debates

  • 発売日: 2016/06/30
  • メディア: ペーパーバック


同論文の章立ては、見出しを拾うと以下の通り。

  • Translanguaging
  • Poly-, metro-, and other terms
  • Paradigm shift or barren verbiage?
  • Conclusion

大雑把に要約すると、translanguaging 関係の諸概念についての批判的態度を含んだ交通整理である。Translanguaging は、あえて訳すと越境的言語使用・言語化あたりになるのだろうか。

こっち系(何系?)の応用言語学・社会言語学に馴染みがある人にとっては周知のとおり、2000年代以降、伝統的(とされる)言語能力観・言語使用観に対するアンチテーゼとして、トランス系の言語能力・言語使用概念が「増殖」した。 ここでいう伝統的とは、言語能力・使用に対する静的・固定的・カテゴリカル・決定論的な見方であり、それに対し、動的・流動的・連続体的・非決定論的な見方を対置したのが、トランス系の言語概念の意義である。

あえて「増殖」と形容したとおり、こうした新語・新概念の増加は、その豊かな潜在性と同時に、批判的検討の必要があるというのが著者のPennycookのスタンスである。 そもそも彼自身は、metrolingualism を提唱してきたこともあり、こうした言語観に対して親和的だが(もっと正確に言えば、Pennycook こそが、アンチ伝統的言語能力・使用観の諸学派を引っ張ってきた理論的リーダーである)、だからといって、手放しで礼賛しているわけではない。実際、トランス系の概念が、'neologisms' (造語癖)や 'barren verbiage' (不毛な言葉遊び)につながりかねない危険性を丁寧に指摘している。

結局、優等生的なまとめ方になってしまうが、「この概念はだめ、この概念はすばらしい」というようなクリアな線を引けるはずもなく、それぞれの概念の理論的バックグラウンド・分析事例・分析の切れ味・発展性・発見的性格などを総合的に考慮する必要があるだろう。

個人的には、応用言語学界の様々な新語群にほとんど魅力を感じていないので、結局、是々非々の態度で理解していかなければならないなという気持ちを強くした。

Metrolingualism: Language in the City

Metrolingualism: Language in the City