ソーシャルメディアで定期的に話題になる「純ジャパ」という用語について。
いつも議論がすれちがっているように思うので、最低限切り分けるべきポイントをメモしておく。
本ブログでの過去の言及は以下: 純ジャパ の検索結果 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
こちらも拙著:アメリカ応用言語学会で聞いた「純ジャパ」論 (寺沢拓敬) - Yahooニュース(個人)
特定の言葉は、しばしば、「差別語であり使うべきではない」として批判の的にされることがある(そうした批判を疎ましく思う人からは「言葉狩り」と呼ばれる)。
ただし、「使うべきではない」とされる根拠は、実は一枚岩ではなく、概略、つぎの3つのパタンがある(まだあるかもしれないがメジャーなものを3つ)。
- (a) その言葉には差別的な意図が込められているから、使うべきではない。
- (b) その言葉の語形成のせいで、知らない人が聞くと差別語に感じるから、(「差別語を平気で使う人」と思われたくなければ)使うべきではない
- (c) その言葉が対象にしている人あるいは対象とされていない人が不快に感じているから、使うべきではない
上記を「純ジャパ」でパラフレーズすると次のとおりである。
- (a') 「純ジャパ」は差別的な意図で使われているから(少なくとも使われた歴史があるから)、使うべきではない
- (b')「純+ジャパ」「純粋なジャパニーズ」という語形成のせいで、知らない人が聞くと差別語に感じるから、(差別者だと思われたくなければ)使うべきではない
- (c') 非・純ジャパが、不快に感じるから、使うべきではない
とくに、いい意味でも悪い意味でも「無邪気」にこの言葉を愛用してきた人たちの反応でありがちなのが、「差別の意図で使ってないもん!」「人種的な意味じゃないもん!」というタイプの擁護である。
仲間内でキャンパス・ジャーゴンで楽しく会話してきただけなのに、とつぜん「ソトの人」から「そんな言葉を使ったらあかんよ」と言われるのが気に入らないという気持ちはわかる。わかるが、反論としては、的を外している。a' の論拠で批判している人はすくないからだ。
また、 c' もまだ中心的な論拠にはなっていないように思われる。というのも、この言葉の流通量がまだ限定的で、「被害を受けた当事者」は規模としては多くはないからである。ただし、実際に不快に感じる外国籍者等はすでに存在するので、その数が多くなっていけば、あるいはこの語がキャンパスジャーゴンから大衆語に成長すれば、近い将来、c' も重要な論点に含まれるようになるだろう。
というわけで、「純ジャパ」の語が批判されているポイントは、上記の b' の話である。
つまり、人種的な語形成の言葉で、非人種的な話をするのは、下品だ/頭が悪そうだ/鈍感だという美意識に基づく批判である。直接的な被害者がいるという意味での差別語ではないが、差別語に聞こえかねない語を平気で使うその人の資質を問題にしている。ただし、前述の通り、早晩、「直接の被害者を生み出す差別語」に進化する可能性も秘めている。
ちょっとわかりづらいと思うので、あえて比喩ると、子どもに「だれにでも等しく優しくできる人になりますように」という願いをこめて「優等人(ゆうと)」と名前をつけた。家族はみんな「いい名前!」「超イカしてる!」と盛り上がっている。しかし、部外者が、「そ、そんな名前…。ああおぞましや…。」と眉をひそめる、、、というのに近いだろうか。