こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

国際英語の既存の規範を言語差別・マイクロアグレッションと厳しく批判する論文(かどや,2023)

以下は,かどやひでのり著「英語のなにが問題で,なにがなされるべきか―国際英語における言語規範の自律化と解放」(『ことばと社会 多言語社会研究』25号[2023年]所収)の論文評である。

かどや論文(以下「同論文」)は,一言でいえば,国際英語に関する既存の諸議論(以下,若干ミスリーディングではあるが,簡便のため,「英語論」と表記する)に対する,言語差別に反対する立場からの異議申し立である。 結論からいうと,評者の評価はきわめてポジティブである。 以下で見ていく通り,同論文は,既存の英語論が気づいていなかった(あるいは気づいていたが見えないふりをしていた)急所にきちんとメスを入れ,非常にラディカル=論争的な提言を行っている。 論文の結論を,とても受け入れられないと感じる人(とりわけ英語教育関係者)も多いと思われる。 しかしながら,同論文の論証手続き自体は,決してラディカルというわけではない。 つまり,同論文が述べているのは,差別観・社会観をめぐる特定の前提を採用するならば,当然の論理的帰結として,これこれこういう(一見受け入れがたい)結論になると述べているだけであり,その論の運びはむしろ穏当な部類に属する。 同論文の真にラディカル=論争的な点は,むしろその前提の部分である。 つまり,特定の必ずしも自明ではない前提をあぶり出していること,そして,その前提に則るならば既存の英語論を根本から批判するような提言が導かれることを示している点である。

最初に断ったように,評者の評価は基本的にポジティブなので,この論文評は,かどや論文を正面から批判するものではない。 むしろ,同論文の評者なりの文脈化を中心に据える。 文脈化は概して2つの観点から展開する。

  1. 反差別主義の応用言語学の潮流と,同論文はどのような位置関係にあるのか。 (とくに英語圏における)反・差別的な英語教育(anti-racist English language teaching)の先行実践・先行研究と,同論文はいかに接点を持てるのか/持てないのか。
  2. 論文著者が提示する反言語差別の国際英語論はメリトクラシーをどう乗り越えられるか。評者は,同論文が指摘していない暗黙の前提として,メリトクラシーの重要性を指摘し,そのうえで,メリトクラシーの諸問題に対処しない限り,同論文の提言は有効に機能しない可能性が高いことを論じる。反面,そもそもその対処自体が現代社会にとっての難問であるというジレンマも指摘する。

論文の概要

上記2点を詳述するまえに,同論文の概要を示す。なお,著者と出版社との契約によりオープンアクセスになっている(らしい)。読者は論文本体(https://researchmap.jp/kadoyah/published_papers/43711866)を直接読めば良いので,詳細なレビューは不要だろう。 以下では,後の文脈化のために最低限必要な情報を示したい。

同論文の章立ては,以下の通りである。

  • 1 問題の所在
  • 2 英語同化主義,英語帝国主義から節英論
  • 3 国際英語の再定位
  • 4 英語とマイクロアグレッション
  • 5 何がなされるべきか―言語規範の解放
    • 5.1. 英語を二分化する必要性
    • 5.2. 多様性の僭称
    • 5.3. 国際英語における差別行為
    • 5.4. 反差別運動としての国際英語論:英語母語者のディスエンパワメントへ
  • 終わりに

提言部分は,実質的には上記の第5節である。 それまでの節で,既存の英語論(国際英語論,World Englishes 論,英語帝国主義論)が,英語をめぐる差別の解決にいかに有効でなかったかを論じている。 そして,続く5節で,それを乗り越えるための方策として,英語に対する規範をラディカルに修正=脱差別=解放することを提言している。

その具体的な提言を,5節の構成にしたがって見ていこう。 第一に,内輪英語 (B. カチルの Inner Circle の意味)と国際英語を厳密にわけ,前者の規範を後者から完全に締め出すことを論じている(5.1節。この前提になる議論は論文の第3節)。 この提言は,既存の国際英語論が黙殺するかあいまいにぼかしてきた問題に対する鋭い異議申し立てになっている。 たしかに,国際英語に関する諸議論(World Englishes, リンガフランカ論にくわえて,反・英語母語話者主義論 anti-native-speakerismも含む)では一貫して内輪英語規範からの離脱を訴えてきた。 しかしながら,問題は,この離脱が規範の中立化をまったく意味しなかった点である。つまり,離脱と言っても,内輪英語規範を廃止して国際英語規範「だけ」を打ち立てるという完全離脱ではなく,あくまで「そこそこの離脱」であり,したがって,内輪英語規範の影響力は根強く残ることになった。 これは,既存の英語論にとって不可避なジレンマだったと言えよう。 なぜなら,人工的=運動的に国際英語を設計せず,自然言語としての英語(正確には「自然に習得された」と集合的に観念された言語)に,概念的・学術的・政治的に多くを依存してきたからである。「自然言語としての英語」をめぐる概念的・政治的リソースを提供してきたのが,まさしく内輪英語話者の日々の営みである。 論文著者の提案は,こうしたジレンマを直視し,そのうえで,国際英語を人工的=運動的に設計すべきだという主張である。

第二の指摘が,国際英語論の唱える多様性の尊重は,言葉の正確な意味での多様性の尊重ではなく,あくまで条件付きの尊重に過ぎないというものである(5.2節)。 つまり,様々な英語表現・英語使用を前にして,教育上や伝達上の効率性の観点から,「こちらの表現・使用は英語の『多様性』として容認するが,あちらの表現・使用は『逸脱』として排除する」という分別作業が行われており,それはしばしばかなり恣意的な線引きである――そもそも教育・伝達上の効率という価値判断は,多様性尊重という価値判断とは相性が悪い。 なお著者が,多様性尊重という言葉の使用自体をやめるべきだと言っているのか,使ってもいいがその限定性を自覚せよ程度でとどめているのかは書き方からはわかりづらいが,おそらく前者だと思われる。

第三に,上述した事情から,たとえ国際英語を掲げたコミュニケーションであっても,母語話者と非母語話者の間には拭いがたい権力勾配が存在しており,それは言語差別・マイクロアグレッションであると明確に概念化すべきであると指摘している(5.3節)。そして,マイクロアグレッションと認める以上,マイクロアグレッションの源泉たる母語話者の特権性を剥奪(ディスエンパワメント)しなければならないと述べる(5.4節)。 この点も,内輪英語規範から独立したものとして国際英語規範を人工的=運動的に設計してこなかった既存の英語論の急所である。 このマイクロアグレッションという概念化は,既存の英語論が避けて通ってきた重要な論点に光を当てている。それは,国際コミュニケーションの失敗・逸脱を解決する責任が誰にあるのかという点である。 この問いに対し,内輪規範からの「そこそこの離脱」をモットーとしてきた英語論は,当然ながら,母語話者・非母語話者双方の責任であるとするだろう(共同・協働的な対話構築というハーモニアスな社会観・コミュニケーション観)。 しかし,コミュニケーションには母語話者・非母語話者間の差別構造が埋め込まれており,それが不成功・逸脱として表出するのはマイクロアグレッションの一形態だと考えるならば,この状況は加害者・被害者構造と理解できる。その必然的な帰結として,問題解決の責任を負うのは,「加害者」たる母語話者側であり,そのディスエンパワメント(特権剥奪)がなされるべきだという結論が導かれる。

まとめると,内輪英語規範を差別・マイクロアグレッションの表出形態として国際コミュニケーションから締め出し,そのためのアプローチとして内輪英語規範(母語話者および内輪英語規範を内面化した第二言語使用者もふくむだろう)のディスエンパワメント(特権剥奪)が必要だという提言である。

以下,執筆途中(2024年9月11日午前11時)

ネット調査(など)の補正が応用言語学調査でも可能なのかを論じた論文が出ました(Research Methods in AL)

私の論文が、Research Methods in Applied Linguistics に掲載されました。

こちらのリンクから期間限定でオープンアクセスで読めます(10月上旬頃まで)。 それ以降は,こちらのDOI→https://doi.org/10.1016/j.rmal.2024.100152

ネット調査などランダムサンプリングをしていない調査を、まるでランダムサンプリング調査をしたかのように補正する方法が「理論的には」存在します。ただし,あくまで「理論的には」です。この補正が理論通りにいくには,実際にはかなり高い運用上のハードルがあることがわかっています。では,この手法は,応用言語学調査において,実際にどれくらい妥当で,どれくらい現実的なのでしょうか。この問いを,英語使用調査を素材に検討しました。結論は、「今回のわたしのデータではまあまあ成功したけど、一般的にはそれなりに制約は多そう」

アジア30カ国の英語格差を比較計量分析した論文が出ました(World Englishes 誌)

アジアバロメーターを使ってアジア30ヵ国の英語格差の程度とパタンを比較した論文が出版されました。興味がある方はメッセージくださればPDFをお送りします。


Terasawa, T. (2024). Relationship between English proficiency and socioeconomic status in Asia: Quantitative cross-national analysis. World Englishes, 1–24. https://doi.org/10.1111/weng.12705

ドラフトバージョンは、ResearchGateに置いてあります。こちらはDM不要で読めます。

基本的には記述的な分析が中心です。ただ,一点,論争になりそうな論点として,既存の批判的英語研究の英語格差 (English divide) 言説に対してささやかな異議申し立てをしています。韓国の英語教育研究が典型ですが,ここ20年の批判的英語研究では,英語格差(英語教育および英語力による社会格差の増幅)が,揺るぎない真理のように扱われています。しかしながら,多くの先行研究は,事実(格差があること)と言説(格差があると言われている/懸念されていること)の区別が結構あいまいなまま,議論されています。

本論文で私は,既存の英語格差言説に反し,韓国の格差の度合いは,比較的マイルドであることを明らかにしています。そのうえで,韓国の英語格差は,その実態以上に,言説のせいで増幅されている可能性を示唆しています(第7節参照)。

なお,この増幅効果は,格差研究・批判研究のもつ逆説だと思います。「格差があるぞ!」と多くの人が叫べば叫ぶほど,事実がどうであれ,格差があることが自明視されるからです。しかも,「格差があるぞ!」の根拠が,「誰々も言っている」「社会問題になっている」というエピソード的な証拠に基づくことが多い質的事例研究においては,より注意が必要なポイントでしょう。

記述的な分析に関しては,とりあええず,図だけ見ても要点はわかると思います。

英語力とジェンダー

英語力と教育レベル

英語力と職業カテゴリ(3水準)

英語力と居住都市規模

英語力と各社会階層変数の相関係数,箱ひげ図

相関係数をもとに30カ国を分類(階層的クラスタ分析)

ゼミで実験的にCDA実習を行いました。

私の社会学部のゼミ(社会言語学/言語社会学)では,今年度,新趣向として実験的にCDA(批判的ディスコース分析)を取り入れています。

CDAのよいところは以下。

  • 実際に経験的分析を行わせやすい
  • 他方で,人対象の調査ではなくドキュメント分析が主であるため,調査倫理に抵触しにくい(ある種の「調査レディネス」がまだの受講生でも一応やらせることは可能)
  • 社会言語学の他のトピックの中でも,社会学と重複する部分が大きい。これまでの社会学部での学習(社会理論,社会思想,社会問題)と連続性がある

デメリットは略。

スケジュールがギッチギチなので,CDA基礎文献購読は3回のみ。(他の回は社会言語学の概論書1を読む)

この3回のあとに,ミニレポートを書くというスケジュールです。→ 分析・執筆のガイダンスに授業2回,さらに,執筆・提出後のフィードバックに2回を用意というスケジュール。

扱った文献リスト

扱った文献リストを紹介します。 あくまで実験的・試行錯誤・手探りなので,これ以外におすすめ文献があればぜひご教示ください。

選書のポイントは以下です。

  • 実際に,ディスコースの分析を行っている。できれば,表象レベルの分析や報道内容の分析よりも,狭い意味での言語使用に注目した分析が私の好み(かつ,ゼミの趣旨に合っている)。
  • 扱っているトピックに,受講生が馴染みがある
    • CDAには,(和文文献だったとしても)海外事例を分析する論文が結構あってこういうのは使いづらい
  • 文章がわかりやすい
    • 理論的な部分は簡潔に説明できていないなら不要(F氏はこう言っている,W氏はこう言っている,D氏はこう言っている,的な先行研究のダラダラしたまとめはけっこうある)


第1回. 教科書にあらわれるイデオロギー

練習問題

まず,任意の教科書等を入手する。そのうえで,「◯◯は,こうであるべき」といったイデオロギー規範意識が教科書本文にどのように現れているか分析する。

補足

ここでいう「教科書等」は広義。大学教科書や,バイト先・職場・団体のマニュアル類でも良い。 分析対象の教科書をゼミ当日に必ず持ってくること(電子ファイル可) 分析テーマを直接対象としていない教科書等を選ぶこと。たとえば,ジェンダーディスコースを分析するのなら,ジェンダー論以外の教科書(例,外国語の教科書,就活マニュアル)を選ぶ。 分析テーマは,なんでもよいが,本論文をお手本にするならば,異性愛規範あるいはジェンダー規範が入門しやすいかもしれない。


第2回. 翻訳にあらわれるイデオロギー

練習問題
  • ① 本論文で紹介されている事例(言語使用データ)を,批判的ディスコース分析の枠組みで分析してください。
  • ②原文では必ずしも明らかではなかったイデオロギーが,翻訳によって明るみに出た事例は他にどんなものがあるだろうか。
補足
  • ①に関して。本論文は典型的な批判的ディスコース分析ではない。なぜなら,ほとんど「批判的」枠組みへの言及がないからである。つまり,不正義・不平等・差別・権力からの分析がほとんどない(せいぜい「ステレオタイプ」への言及があるのみ)。ただし,紹介されている事例は,問題なく,批判的ディスコース分析の枠組みに当てはまるものである。自分なりに,どのような不正義・不平等・差別・権力が言語使用から解釈できるか分析すること。
  • ②に関して。近年の技術革新による翻訳(例,YouTube の自動翻訳)は中立的な訳を生成しやすい。翻訳によるバイアスが出やすいのはむしろ,本論文の事例のような「人による伝統的な翻訳」かもしれない。このように,バイアスが出そうな種類の翻訳は何か考えながら,事例を探すことをおすすめする。


第3回. レトリックの批判的分析

  • 対象文献:テウン・ヴァン・デイク 2006 「談話に見られる人種差別の否認」植田晃次・山下仁編『共生の内実:批判的社会言語学からの問いかけ』三元社
練習問題
  • ① 本論文の5節・6節で検討されている談話表現を簡潔にリストアップして下さい。似たようなものはひとつにまとめてもよい。
  • ② 上記でリストアップした談話表現のひとつに注目し,自分自身で批判的ディスコース分析を行って下さい
    • 分析観点は,人種差別だけでなく,ジェンダーセクシュアリティルッキズム,障がい,精神主義・努力主義,日本的企業慣行など何でもかまいません。
    • 対象とする媒体は,新聞,映像メディア,文学・漫画,広告,日常会話などなんでも構いません。出典が明記できるものが望ましいですが,どうしても思いつかなければ「架空の例」(例,架空だが現実にありそうな会話)でも構いません。

検討していた文献リスト

扱おうかどうか迷っていた文献が以下。 都合,文献購読が3時間より多く確保できたのなら,以下からいくつかピックアップしていた予定だった。

  • 名嶋義直 2018 『批判的談話研究をはじめる』(ひつじ書房

    • 特に,「4章 宜野湾市長選をめぐる新聞記事の批判的談話研究」「5章 萌えキャラのポリティクス―その支配性」が,CDAのデモンストレーションとして扱いやすい。
  • 坂本佳鶴恵 2006 「メディアが編む国家・世界そして男性:サッカーゲームの言説分析」佐藤俊樹・友枝敏雄 編『言説分析の可能性:社会学的方法の迷宮から』東信堂

    • 中心的な枠組みはナショナリズム
    • 分析や目的は非常にわかりやすい。
    • メディア分析が中心。言語使用(ワールドカップ報道における言葉の使われ方)の分析は少しはあるけど,あくまで少し
  • 宮崎康支 2016 「日本の新聞にみる『発達障害』 概念の使用:1984 年から2014 年までにおける『朝日新聞』および『毎日新聞』の関連記事に対する定量・定性的分析より

    • 定量・定性の分析の見通しがわかりやすい
    • テーマもそこそこ学生の関心とあってる(たぶん)
    • 紀要だが査読つき
  • 斉藤正美1998 「敗戦直後の新聞にみる「女性参政」―ディスコースジェンダー―」『女性学』

  • 斉藤正美 1998 「クリティカル・ディスコース・アナリシス : ニュースの知/権力を読み解く方法論 : 新聞の「ウーマン・リブ運動」(一九七〇)を事例として」『マスコミュニケーション』研究
    • 事例がかなり古いが,かといって廃れた問題というわけでは決してない(受講生にアピールしなそうであることが唯一の心配)
    • 分析はお手本的で非常によい。ちなみに,査読付き。
    • どちらもCDAを明言しており,CDA導入としても最適

  1. 岩田祐子・重光由加・村田泰美著『改訂版 社会言語学 基本からディスコース分析まで』ひつじ書房 https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1143-4.htm

6月23日,CELESで「英語力ランキング批判」という共同発表を行います

6月22-23日に富山大学で行われる中部地区英語教育学会で,奥住さん(埼玉大学)・浦野さん(北海学園大学)と「英語力ランキング批判:EF-EPI,TOEFLスコア,英語教育実施状況調査」という口頭発表を行います。内容は,タイトルそのまんまです。

タイトル

英語力ランキング批判:EF-EPI, TOEFLスコア,英語教育実施状況調査

要旨

近年、英語教育に関する議論において、英語力ランキングが頻繁に持ち出される。たとえば、EF社の英語能力指数(EF-EPI)やTOEFLスコアを流用した国際ランキング,あるいは,英語教育実施状況調査を流用した都道府県ランキングである。本発表では、こうしたランキングは、科学的・統計学的に正しくないばかりか、政策形成にとっても現場の実践にとっても負の影響が大きいことを論じる。先行研究にも、TOEFLスコアランキングのような「統計の誤用」を方法論的な観点から批判したものはある。しかしながら、この現象を広範な社会的文脈に置きながら、誤用の蔓延の背景およびその影響(主に、負の影響)を批判的に検討した研究はまだない。そこで本発表では、日本社会において英語力ランキングがどのように生み出され、どのように私たちに影響を及ぼし得るのかを批判的に検討する。具体的には、次の点を論じる。第一に、EF-EPIやTOEFLスコアを用いた国際英語ランキングがいかに統計学的に間違っているかを論じる。第二に、英語教育実施状況調査を用いた都道府県ランキングをめぐる,測定上および調査実施上の問題を指摘する。第三に、こうしたランキングが実際にどのような負の影響を及ぼし得るのかを、教育実践への影響、政策への影響、そして英語教育学コミュニティへの影響という3つの観点から検討する。

共著論文出ました:大学英語入試改革(四技能試験)の政策過程分析

私たちの論文が Current Issues in Language Planning から出版されました。筑波大院生の須藤爽さん,ブリティッシュコロンビア大学PhD Candidates の梶ヶ谷毅さん・青山 良輔さん,同大教授の久保田竜子さんとの共著です。

  • Terasawa, Takunori, So Sudo, Takeshi Kajigaya, Ryosuke Aoyama, and Ryuko Kubota. 2024. “Slogans as a Policy Distractor: A Case of ‘Washback’ Discourse in English Language Testing Reforms in Japan.” Current Issues in Language Planning, June, 1–24. doi:10.1080/14664208.2024.2355016.

https://doi.org/10.1080/14664208.2024.2355016

2022年のサバティカル(@ブリティッシュコロンビア大学)の成果のひとつです。

実は,共著論文としては,10年ぶり2本目。共著筆頭著者としては人生初です。共著マネジメントがとても勉強になりました。いろいろ失敗もしましたが(Googleドキュメントでファイルの書式がぜんぶ飛んだり…)。

内容はというと,2010年代後半の大学入試改革――いわゆる「四技能型外部試験」の導入をめぐる改革(結果的に導入失敗)――の政策過程を分析したおそらく初めての国際誌論文です。とくに,政策過程における「試験のウォッシュバック(波及効果)」言説の役割(主に悪影響)に焦点をあてています。

「ウォッシュバック」はもともとテスティング研究(妥当性検証)の用語ですが,教育プログラム改革(つまり意思決定)の言説にルースに概念拡張され,政策過程を混乱させたのではという分析です。その意味で,応用言語学における科学的(ディス)コミュニケーションの事例として読むことも可能です。

Draft Version (Academia.edu)

久保田竜子先生講演会(6月8日,土曜日)

2024年6月8日(土)の関西学院大学大学院言語コミュニケーション文化学会2024年度講演会において,ブリティッシュコロンビア大学の久保田竜子先生に講演頂きます。 タイトルは「言語教育における人種とことば:交差性に根ざす正義を目指して」。一般参加も可能とのことです(要申込)。是非お越し下さい。

www.kwansei.ac.jp