こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「『全員が英語を学ぶ』という自明性の起源」(「論文でました」的な宣伝)

先週発行された『教育社会学研究』(日本教社会学会編)に拙稿が掲載されました。



寺沢拓敬(2012)「『全員が英語を学ぶ』という自明性の起源 ―《国民教育》としての英語科の成立過程」『教育社会学研究』第91集、pp. 5-27


中学校英語(正式名称「外国語」)が「必修科目」になったのはいつからなのかご存じでしょうか?


答えは「2002年度から」です。多くの方はおそらく中学に入ると必ず英語を学ばなければならないようになっていたと思いますが、この教科は、実は、「選択教科」でした。


なぜこうも長く「選択教科と称する事実上の必修教科」だったかかというと、新制中学発足当初の名残が原因のひとつです。終戦直後には名実ともに「選択教科」だった英語科ですが、1950年代・60年代を経て、「事実上の必修教科」に変貌していったという経緯があります。


「事実上の必修化=1950年代・60年代」という話はわりと不思議ではないでしょうか?貿易額も出入国者も70年代に比べればずっとわずかだった時代です。しかも、高校進学もまだ普遍化しておらず、大半の生徒が高校入試のために英語を学んでいたというわけでもありません


しかも、1960年代の必修化完了を支えたのは、進学率が低い農山漁村の中学生たちでした(地方の中学生の英語履修率が60年代前半に急増)。これはなぜかということを、英語教育関係の文献を「できるだけたくさん読む」という手法(?)で明らかにしようとしたのが拙稿です。


教育社会学研究 第91集

教育社会学研究 第91集