こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「なんで英語やるの」問題になぜ関心を持ったか


2013年3月に東京大学大学院総合文化研究科に博士学位論文を提出した。タイトルは、「新制中学校英語の『事実上の必修化』成立に関する実証的検討 ――《国民教育》言説および社会構造の変化との連関を中心に――」である。
(ちなみに、これをベースにした書籍が2月24日に発売される →こちら参照:http://www.kenkyusha.co.jp/purec/#ISBN978-4-327-41088-9


一言で言えば、「なんで中学生全員に英語をやらせるようになったのか」を、実証的に検討したものである(一見すると、もうすでに解明されつくされていそうなテーマに思えるかもしれないが、狭い意味での先行研究はほとんどなかった)。方法論はとくに大それたものではなくて、「たくさん史料を読んで、たくさん統計・調査を集めて、各証拠を論理的につなぐ」というものである。あえて名付けるなら、歴史社会学的アプローチといえるかもしれないが。


応用言語学や英語教育研究の世界において、私のテーマはよほどマニアックなのか ――そして実際マニアックなのだけれど―― なぜこの問題に興味を持ったのかとしばしば聞かれる。もし「私は子どもの頃から英語が嫌いで、どうしてみんなが英語を学ばなきゃならないのかずっと疑問だった云々」などと答えられたのなら、「なんで英語やるの?」問題の研究者としてうまくストーリーにはまるのだろうが、実際は、英語嫌いではなかった。10代のころの私にとって英語は、好きでも嫌いでもない、「どうでもよい」存在だったからだ。


私がこのテーマで博論を書くに至ったのは、一言で言えば、紆余曲折の結果である。学部時代の私は、英語英文科や英語教育コースではなく、いわゆる「ゼロ免」の教育学専攻に所属していて、研究テーマも、英語教育ではなく、外国人児童生徒の二言語併用教育をめぐる政策だった。この問題を言語習得理論の観点から深めようと応用言語学系の大学院に進学したが、紆余曲折を経て、修士論文は英語教育政策について書いた*1


博士課程進学後は、当時隆盛をきわめていた格差社会論に安易に(?)乗って、英語格差(English divide)の問題を取り扱うことにした。家庭環境によって英語力の学習機会が左右されるとすれば、これはきわめて深刻な問題だと思ったからである。ここには、私自身の劣等感も大いに関係している ――農家出身の私の周りには「英語」的な雰囲気がなかった。


しかし、「英語格差の実証分析をもとに教育政策に警鐘を鳴らす若手教育社会学者」という当初の自己象は、私自身の研究結果によって華麗に裏切られた。たしかに、英語の学習機会が家庭環境によって明確に左右されることは明らかにできたが、だからと言って、それに起因した英語力の差が「富の格差」を生むことまでは確認できなかったからである*2。英語(だけ)ができても収入が際立って増えるわけでもなければ、就職のチャンスが飛躍的に広がるわけでもない(なお、英語力と収入の間に相関があることは事実だが、それは学歴・学校歴や職種による擬似相関に過ぎないだろう)。一部の英語教育関係者には驚くべきことかもしれないが、多くの教育社会学者 ――そして、日本社会の生活者として普通の感覚を持った一般の人々―― にとって、ごく当たり前の事実が明らかになったのに過ぎなかった。


こうした「発見」を前に、私の問いはまったく違う方向に変わらざるを得なかった。それは、英語力の差によって富の差が生じるわけでもないのに、なぜ英語学習の機会の差は不公平感を生むのか、という問いである。現に、1980年頃の中学校授業時数削減や、近年の小学校英語導入に際し、こうした不公平感が頻繁に表明されてきた。さらに、現代よりもはるかに大きな英語学習の機会の格差が存在した戦前・戦後初期、なぜ人々はそれほど不公平感を抱かなかったのかという点も、解明する意義のある「謎」に思えた。こうした教育機会をめぐる一連の疑問に触発されるかたちで、「英語をすべての生徒が学ぶ」という、ある種の「機会均等」が、いかに現れてきたかを検討することとなった。


「英語格差」のテーマを選んだ当初、周囲の人から、いろいろ心ないことを言われたが(今から振り返っても見当違いの「言いがかり」が大半だった)、結果的にはこれを選んでおいてよかったと思う。研究を進めていくうちに、問いは徐々に洗練されていくはずだからだ。なので、荒削りなテーマでも思い切って踏み出せばいいと思う。責任はとらないけれど(笑)

*1:寺沢拓敬, 2007,「小学校への英語教育導入に関する論争の分析―1990年代から現在まで」東京大学大学院総合文化研究科2006年度修士論文

*2:Terasawa, T., 2012, ``English Divide in Japan: A Review of the Empirical Research and Its Implication,'' {\it Language and Information Sciences}, 10: 109-124.→論文のPDF