こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

今後の研究:批判的応用言語学など

今年度より、外国語教育学・応用言語学・言語政策研究におけるクリティカルスタディーズの理論的研究を本格的に進めていく予定である。

院生の頃からこのテーマはずっと(ほそぼそと)研究してきたが、今年度、以下の科研がとれたことをきっかけとして、本格的に着手していく。

政治的・社会科学的な英語教育学の体系化:批判的応用言語学の理論的研究を中心に (KAKENHI-PROJECT-18K12480)

 

クリティカルスタディーズ

正直なところ、なかなか厄介な用語だ。「クリティカル」という用語は、応用言語学では(というより、英語圏の人文社会科学のうちネオマルクス主義の影響下にある諸領域では)、日常語の 批判的/critical の意味とかなり乖離している。また、近年、流行語になりつつある「クリティカルシンキング」とも違う。

ここでは、一見すると非政治的に思える諸現象のなかにも、政治的力学が働いている、それを明るみに出す研究 程度の意味である。たしかに日常的用法とものすごく違う。

→参考:批判的応用言語学の「批判的」に関する誤解 - こにしき(言葉・日本社会・教育)

こういう誤解の多い用語法をむやみに続けるのもディスコミュニケーションという不幸の温床なのだけど、(1) 英語圏の応用言語学では既に確立した用法である、(2) 「批判理論」や「批判的教育学」などの学説的系譜から見れば必ずしも逸脱用法とは言い切れないという点を考慮して、私も使っていこうと思う(もっといい言葉が発明できれば、それにこしたことはないけれど)。
 

主眼は「政治的力学」の理論化

なお、私の関心は、クリティカル概念そのものにあるわけではない。主たる関心は、上の暫定的定義にも書いたような政治的力学にある。

つまり、従来、応用言語学では政治的力学の研究が(「非政治性」信念のために)適切に行われてこなかったという現状認識を前提に、そういった研究を進めるための認識論的・方法論的土台、および社会理論・政治理論の土台を整備しようという意図である。

そういう意味で、「クリティカル」の用法の交通整理には、正直、あまり関心がない。クリティカルシンキングの話も、少なくとも政治的力学を主題としないものについては関心がない。

 

言語現象を対象に

科研申請のタイトルには、英語教育を前面に出しているが、これはある種の申請上の戦略であって、実際には、もう一段抽象レベルの高いところを狙っている。つまり、英語に関する現象に限定せず、あるいは、言語 教育 に関する現象にも限定しない。言語と社会の関わりを扱う現象一般について、クリティカルスタディーズがいかに可能かを理論化する。

私の知識は、今までの研究歴上、圧倒的に英語教育に偏っている。だからといって、これを国語教育や日本語教育、他の外国語の教育の知識収集に安易に手を広げるのも、なんだか違うような気もする。

英語教育という 具体的事例 と、言語の政治的現象という 抽象理論 との往復運動が大事なのであって、「いろんな具体的事例を目配せしていますよ」「言語教育の諸現象の最大公約数を見つけますよ」というのはあまり良い手ではない気がしている。

とはいっても、先日、こういう研究会には行ったけれど。 批判的言語教育国際シンポジウム 未来を創ることばの教育をめざして 内容重視の批判的言語教育(Critical Content-Based Instruction: CCBI)のその後

 

理論的研究

理論的研究に取り組むので、いままでたくさんやってきた実証的研究は少しあるいは大幅にペースダウンすることになりそう。分析可能なデータも――最近の調査事情の苦境により――なさそうだし。

 

さいごに

というわけで、応用言語学分野でクリティカルスタディーズ/批判的研究に関心のあるみなさん、ぜひ情報交換しましょう。