こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語教育政策論 (3):英語教育政策をめぐるイデオロギー

某授業で作った英語教育政策概論のハンドアウトを,こちらに少しづつアップしていきます。きちんとした文章化はしていませんので,理解しづらい部分があったらすみません。質問があったら遠慮なくコメント欄にどうぞ。

一連の記事はこちら

イデオロギー

  • イデオロギー ideology とは
    • 互いに類似した観念・アイディア (idea) を統合するもの(メタ観念)
    • 特定の人間観・社会観に由来するものであり,同時に,その方向が「善である」ことを前提にするもの
    • マルクス主義の用語として一般化し,その後,非マルクス主義的な文脈にも浸透。
    • (重要な例外もあるが)通常は,事実認識を装っているが,実際には,現実を反映しておらず,意図的あるいは無意識的に事実を歪めた認識,というネガティブなニュアンスがある。虚偽意識。

イデオロギーの再生産作用

  • プロセスレベル:イデオロギーが,特定の英語教育政策を進める。あるいは,ある政策を事後的に正当化する。
  • プロダクトレベル:ある政策(政策文書や施策)のなかにイデオロギー的表現が(まるで事実のように)埋め込まれる。
  • 循環作用:上記の結果,特定の人間観・社会観・教育観が自然化する(=自明な事実として受け入れられてしまう)。すると,ますますそのイデオロギーに偏った政策・実践・表現がまん延する

英語教育政策とイデオロギーの関係

便宜的に3つに分解可能(ただし,相互に大きく重複・影響しあっているため,「分類」することにはあまり意味がない)

  • 政策とイデオロギー
    • 社会はどう成り立っているか,社会をどう作っていくか,社会問題をどう解決していくか,等
  • 教育とイデオロギー
    • 学習者はどのように育つか,どのような指導・学習が効果的か,教員はどのように行動するか,等
  • 英語(英語教育・学習)とイデオロギー
    • 英語をなぜ学ぶ/教える必要があるのか(英語拡大)
    • 英語はどのように学ぶ/教えるべきか(指導法・指導者・学習開始時期)
    • 言語習得とはどういうものか(言語学習ビリーフ)

英語教育政策におけるイデオロギーいろいろ(各論)

英語教育で重要なイデオロギーとして以下のものがある。

  1. グローバル化イデオロギー
  2. 新自由主義イデオロギー
  3. ナショナリズムイデオロギー
  4. 英語帝国主義イデオロギー
  5. 英語帝国主義を正当化する諸イデオロギー
  6. 言語学習に関する誤信念

以下,個別に見ていく。

グローバル化をめぐるイデオロギー

英語教育政策に見られる「グローバル化イデオロギーの例

リストアップできないくらい膨大にある...。(重要文献:Seargeant, 2011. English in Japan in the Era of Globalization

  • 日本

  • 諸外国

    • グローバルトレンド(波及)としての早期英語教育(Enever, 2019)
    • グローバルビジネスの拡大(という認識)により,グローバルリンガフランカ(global lingua franca)に対する学習熱が拡大。
      • → 日本以上に,外国企業の進出度合いの大きい国,国際的取引の大きい国,ローカル言語の市場価値が相対的に小さい国などでは,この「グローバル英語=収益増」という認識=イデオロギーは強い

新自由主義 neoliberalism

  • 表面的な定義
    • 伝統的に政府の役割とされてきた領域(例、公教育、福祉、インフラ整備)を、市場(=人々の自由な選択)に移管すると,経済的効率性が向上し,社会全体が豊かになるとする考え方
  • 批判的な定義(ハーヴェイ, 2007)
    • グローバル資本家階級(多国籍企業等)の利益にかなう形で様々な制度(例、教育)が市場化されること
    • グローバル資本家にとって各国政府の規制は障害
    • 各国政府もグローバル資本家に逃げられては困るので,ドメスティックな制度の市場化・国際化を推進して,必死にアピールする
  • 基本的に,他者を批判するために用いられる用語であり,自称ではあまり用いられない。新自由主義者として名指しされる人が,自分のことを「新自由主義者」と呼ぶことは稀。

    • この点で,分析概念として完全に確立しているわけではないことには注意。むしろ政治的なキャッチフレーズ(罵倒語)としての側面や,「何でも説明できる」(つまり反証可能性が乏しい)万能概念=無能概念の側面もあるので,慎重に取り扱うべし。1
  • 新自由主義的な経済・社会に対応を余儀なくされる労働者 (新自由主義的統治 neoliberal governmentality)

    • 雇用の流動化に柔軟に対応するために,学び続けられるしなやかな個人。
    • 人的資本論の内面化。自分に投資することで自分の労働市場的価値を高める。(論理的コミュニケーションの能力とか感情マネジメント能力とか色々あるが)その一つが英語力。

英語教育政策の事例

注意すべきポイント

  • グローバル化」と違い,前述の通り「新自由主義」はある種の蔑称なので,自らそう名乗る政策はほぼゼロ。分析のためには,政策の背後にある意図を読み取る必要がある。
  • 市場化・自由化は,表面上は,個々の学校現場が自主的に進めた形が多く,その点で,個々の施策を,政府の政策的介入という枠組みで扱うのは難しい面もある。
    • ただし,政府介入によって,市場化・自由化という大きな流れが誘導されていることは事実である。
    • つまり,ミクロとマクロで評価が変わる。
      →個々の英語教育施策は現場の自律性の結果かもしれないが,他方,そう仕向けた構造的条件は政府の介入の結果。

事例

  • 市場化は初等中等教育よりも高等教育が顕著

    • 一部の教育(外国語教育,キャリア教育等)のアウトソーシング
    • アドミッション施策(入試)の一部をアウトソーシング化。
      • 例,英語外部試験で代替
    • (英語教育そのものにはあまり関係ないが…) 大学の国際化(具体的には国際ランキングの上昇のための外国人教員・留学生増)
  • 「企業進出しやすさランキング」を上げるツールとしての英語教育早期化

    • メキシコの公立小学校英語政策(Sayer, 2015)
      • グローバル市場を利する労働者(いわばグローバル人材)の創出を目的として、小学校英語が導入
      • ただし、学校リソースに予算を大規模に投入したわけではない(→小さな政府)。
      • むしろ,改革の「足かせ」になり得る教員組合を再編成(→「自由な教育」の矛盾。政府が積極的に介入して,自由化への障害と見なされたものを取り除く)
  • 英語教育政策自体が,新自由主義的な労働政策と親和的

    • 日本におけるグローバル人材育成
      • ただし,実際の議論では,論理的思考やタフネス,異文化対応力などの汎用スキルのほうが重視されており,英語力育成の優先順位は比較的低い。こうした複雑性を考慮しないと,「何でもかんでも新自由主義で説明する」という万能概念=無能概念の罠に陥りかねない。
    • 韓国の労働市場と英語力
  • 現代の (so-called) global workers の言語能力観

    • Kubota, R. and Takeda, Y. (2021), Language-in-Education Policies in Japan Versus Transnational Workers’ Voices: Two Faces of Neoliberal Communication Competence. TESOL J, 55: 458-485. https://doi.org/10.1002/tesq.613

ナショナリズム/ペイトリオティズム

  • ナショナリズム nationalism / ペイトリオティズム patriotism

    • 国益重視論:国力を増強すべきだ
  • 学校教育は,概して言えば,国家(and/or 社会)のため。

    • 有能な労働者(→経済成長)
    • 民主的市民(→社会の安定)
    • 秩序に対し従順な市民(→社会の安定)
    • 文化的一体感の醸成(→社会の安定)
  • 外国語教育は,本質的に,コスモポリタン的な志向性があるので,上記のナショナリスト的な目的から少しだけ(あくまで少しだけ)ずれる。

    • 「外国語(外国文化)」の教育に,ナショナルなものだけではカバーできない価値を託す
    • ただし,非ナショナルな価値の部分的・限定的取り入れ(和魂洋才,中体西用等々)
    • 経済的に強い外国語(典型例は英語)は,こうしたジレンマが生じにくく,よりストレートに国益的価値観と結びつく
  • 関連概念:文化本質主義

    • とくに日本社会の文脈においては,文化本質主義としての日本人論・日本文化論も重要(英語圏の文献でも Nihonjin-ron と表現されている2
    • 日本文化や日本人の行動様式は世界的に見ても独特だ(ポジティブな意味でもネガティブな意味でも)とする一連の言説群。
    • 文化本質主義・日本人論が,明示的に 英語教育政策文書に表現されることはあまりない。
      • ただ,何らかの「文化接触/衝突」が生じる文脈において,暗示的に述べられることはある。
      • たとえば,外国人指導者(および指導助手)を歓迎する文脈(典型的には JET Programme)や,訪日・在日外国人の増加を英語教育と結びつける文脈など。
      • 「暗示的」だけに,政策文書の行間(隠された意図)および余白部分(文書化されない政策背景)を読む必要がある。それだけに,狭い意味での実証性は一見,低下しがち(だからといって,「見えるところだけ見る」では分析にならないことも多いのでバランスが重要)。

英語帝国主義

  • 英語帝国主義とは:(言葉自体は昔からある3が)大衆化に貢献したのは,Phillipson's (1992) Linguistic imperialism. (OUP)
  • 暫定的な定義(注意:以下は寺沢の私見=オリジナル)

言語に関連する様々な価値判断を行う際に,英語をめぐる事象をそうでない事象よりも不当に優先・優越するものとして捉える。その結果,それが後者の事象に関わる人々を不当に抑圧すること,および,その状態。

  • 定義の注釈
    • 「言語に関連する様々な価値判断を行う際」→英語帝国主義の射程は広い。たとえば…
      • 英語母語話者の特権性(メディア表象,英語教師,情報アクセス,コミュニケーション効率等)
      • 英語使用者(L1, L2)の特権性(同左)
      • 学習言語(家庭内言語,個人の履修希望言語,教育機関の提供言語)として英語の選好
      • 使用言語(公共空間,社内,私的会話等)としての英語の選好。
    • 「不当に」:不正義・不公正を前提にする。
    • 「抑圧する」:価値判断に伴う単なる偏見だけでなく,実害が発生していることを前提にする。
    • 「~すること,および,その状態」:日本語の「主義」(志向性)だけでなく,「状態」も含意する(-ism という語の多義性)

政策事例

  • 英語教育推進の結果として引き起こされた数世代にわたる言語シフト(例,英語圏国内部の少数言語話者コミュニティ,シンガポール
  • 英語教育推進によって,他の言語や教科の教師が解雇あるいは配置転換される(冷戦崩壊後の旧共産圏)

英語帝国主義を正当化するイデオロギー

  • 英語帝国主義自体がイデオロギーだが,同時に,それを正当化する別のイデオロギーもある(深く関連しているが,一応独立していると概念化できるイデオロギー
  • 「正当化」がポイント。英語関連事象への優越を,自然で,合理的で,非抑圧的で,有益的なものとして理解させる理論・レトリック。

英語の言語社会学的位置づけに関するイデオロギー

英語話者に対する見方

  • 英語母語話者の能力
  • 英語話者と人種(白人性)

政策事例

英語教員採用に蔓延する母語話者主義

言語学習ビリーフ

  • 英語教育研究で比較的周知がなされている誤信念
  • 誤信念=イデオロギー
    • イデオロギーを「そう信じることで,結果的に特定の集団の利益になるもの」という比較的無難な特徴づけをするなら,単なる誤信念と利益誘導の関係は不明なことがあり,イデオロギーとは守備範囲がずれる場合がある
    • もっとも,より上位のイデオロギーと接続して理解可能なものもあれば,単なる誤信念としか言いようがないものもあるが・・・
  • 誤信念の例(上掲,大津本より抜粋)
    • 誤解1「英語学習に英文法は不要である」
    • 誤解2「英語学習は早く始めるほどよい」
    • 誤解3「留学すれば英語は確実に身につく」
    • 誤解4「英語学習は母語を身につけるのと同じ手順で進めるのが効果的である」
    • 誤解5「英語はネイティブから習うのが効果的である」
    • 誤解6「英語は外国語の中でもとくに習得しやすい言語である」
    • 誤解7「英語学習には理想的な、万人に通用する科学的方法がある」

政策事例

  • 英語教育の早期化(世界的トレンド)
  • 英語圏国(+英語プログラムを推進している大学)の留学生呼び込み政策

  1. ただし,新自由主義概念の無軌道な拡大に対する経済学からの批判: Rajesh Venugopal (2015) Neoliberalism as concept, Economy and Society, 44:2, 165-187, DOI: 10.1080/03085147.2015.1013356]
  2. Kawai 2007; Liddicoat, 2007; Kubota 1998; 2002
  3. 例,宮沢俊義 (1966) 「英語帝国主義」『世界』(242)