こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

韓国の英語熱とネオリベラル主体

以下の本を読みました。

  • Park, Joseph Sung-Yul. (2021). In Pursuit of English: Language and Subjectivity in Neoliberal South Korea. Oxford University Press.

本書の概要は,出版社のウェブサイト にあるとおりだが,さらに要約すると,韓国の英語学習熱・英語教育熱を,ネオリベラル主体という視点から明らかにしたものとなる。

ネオリベラル主体」もごく簡潔に要約すると,経済・雇用の不確実性のなかで(まさに韓国は1997年に金融危機を経験),自分自身を「英語が使えるグローバルな労働者」として自己規定し,その方向性に「成長」「自己変革」するように自己を奮い立たせていく性向のことである。

もっとも,これだけなら,単なる禁欲的努力や根性論みたいなものだが,韓国という文脈における英語・英語力は,「頑張って学び続ければ成功が約束されているパスポート」では決してなく,むしろ幻想の類であるというのが著者の見立てである。

つまり,韓国の労働者や若者を取り巻く厳しい状況は,政治経済的な問題に由来するものであるにもかかわらず,英語習得程度で挽回できると考えさせてしまうサクセスストーリーはまさに幻想にまみれているう。しかも,英語は第2言語として,押し付けられているものに過ぎない。つまり,母語話者優先主義という現実の前では,最初から重いハンデを背負わされている。にもかかわらず,こうした幻想を「胡散臭いもの」と跳ね除けず,むしろ進んで内面化していこうとする態度こそが,ネオリベラル主体である。

英語熱の分析として

私は,日本の英語熱の分析をしてきたので,英語熱「先進国」である韓国の諸現象を分析した本書は非常に興味深いものだった。他方で,英語熱の実在・程度を所与の前提にしたまま,英語熱に自身をしむける主体を分析している方法論的作法は気になった。

たしかに,韓国社会が英語に熱狂している社会だということは国際的常識であり,当の生活者にとってはおそらく空気のように自明な「事実」だろうが,実際のところ,「みなが自明だと思っている」以上の根拠が示されることは稀である。現に,本書の著者も,エピソード的な根拠しか示していない。

日本ではすでに周知されつつあるとおり,英語に関して当然のように言われている言説は,エンピリカルなデータ(たとえば社会統計)をふまえると,必ずしもそう言えないということはしばしばある(英語熱もそのひとつ)。著者は,客観化されたデータ・概念に対し,ことあるごとに批判的な態度を取っているが1,英語熱のような重要事象については,容易に実在を仮定してしまっているし,そればかりか,エピソードのようなエンピリカル未満のものすらも根拠にしている。

なお,それとはずれるが,第5章の保守系および左派系新聞にあらわれる英語言説の分析も,(典型的な実証的メディア分析の領域であり)やろうとおもえば実証分析ができそうであるにもかかわらず,エピソード的な根拠がふんだんに引用されている。このあたりは,実証研究を避けたい何か強いこだわり(?)が感じられるが,正直,かなり謎である(少なくともエピソード的な論証より,実証分析のほうがマシではと思うのだけど)。

比較可能性のからの離脱?

もう1点,印象に残ったのは,「これは国際比較研究じゃないんだ」と何度も明示的に書いている部分。「国際比較じゃないので,比較可能な概念や枠組みを抽出したりはしない。ただ,韓国人の英語に対する主観的な意味づけ過程を見ていくのだ」という主張が続く。

この理屈は正直よくわからない2。 比較可能な概念を抽出したら,そのリサーチクエスチョンの検討ができないわけではないと思うのだけど。 そもそも,主観的な意味付けを解釈するには,メタ概念が必要で,そのメタ概念自体は比較可能性が担保可能(というか,理論的貢献を考えるなら担保すべき)だと思う。

国際比較研究ではないし,ということはある種の地域研究(Korean Studies)でもないということだと思うが,実際,韓国社会研究に関する引用文献が少ない気がする。韓国社会に関する記述は,結構,エピソード的なものが多い。韓国社会について興味深い考察は多数あるものの,こうした考察をどういうスタンスで理解したらよいか,私のようなガチガチのエンピリカル主義者にはややわからない。


  1. フーコー流の分析をすると明示的に宣言し,構築過程を重視しており,いわゆる「実証主義的分析」に対して批判的である---批判的応用言語学者の典型的な立場である。
  2. わからなすぎて,査読者に向けたディフェンスなのかなとさえ思ってしまった。