ChatGPT の英文出力を初めて見た時,「あ、これ、複雑系・スーパーダイバーシティ系・ポストモダン系の応用言語学の論文でよくみた感じの文章だ!」という変な感覚に襲われた。
「言語現象は静的なものではなく動的なシステムだ」「社会との複雑な相互作用を見るのが大事だ」「言語使用にはつねに権力作用が伴っている」という当たり触りのないことを、ポストモダン理論などを表面的に引用しながら、誰にも批判できない自明なトーンで論じる,という特徴がそっくり。
そもそもポストモダニズムは,こういう「シンプルな要約」に抗うところが重要な役割だったのに,批判的応用言語学では (詳細なテクスト批評ではなく)Literature Review の一角で簡潔に整理されちゃっているのはなんとも皮肉なかんじ。
Linguistic Diversity
つぎのはもっとすごくて笑う(笑えない)。
Bourdieu's linguistic capital
ブルデューの linguistic capital の使い方は、応用言語学者より、むしろ ChatGPT のほうが正確(原典に忠実)という興味深い例・・・。
いや、ChatGPTは当たり障りのない抽象的な表現に終止しているため、一部の応用言語学者のように人的資本と混同するような過剰読み込みをしておらず,結果的により正確になっているといったほうが実態に近いか。
Discourses and critical applied linguistics
ChatGPT をつかうと、やっぱり、「言語はダイナミックだ」「言語使用は複雑だ」「アイデンティティは重層的だ」みたいな自明な話をポストモダン理論の表面的な引用と結びつけるだけのポストモダン言語論(制限用法)みたいな文章が簡単に生成できますね。
真面目にやってる批判的応用言語学者にとって、これは朗報なのか悲報なのか…。