こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

村上・橋野著『 教育政策・行政の考え方』は名著

本書は8月-9月にオンライン読書会で検討しましたが、名著です。名著過ぎて(重要な記述が多数ありすぎて)、簡潔に要約できませんので、読書会に向けて書いたメモを転載します。

ただ、数多ある名著ポイントをひとつだけここで指摘するなら、「比較」、つまり、比較教育行政学・比較政治学の観点でしょうか。従来の教科書は、私の限られた知識ですが、比較教育と教育行政は分離しているように思います(一冊の本のなかに同居していたとしても、異なる章で別々に扱われてきたことが多いように思います)

日本の英語教育政策を研究する研究者・院生は、絶対読むべきです。テーマが、政策とゆるくかすっているくらいの人でも、日本の教育が対象であるなら、できればよむべきです。そうそう、日本語が読めなくても、日本の英語教育政策を研究する研究者・院生ならば、絶対に読むべきです(むしろ読めないということは日本の教育行政に関する理論的知識がないわけなので、そういう人こそ絶対に読んだほうがいい)。DeepL・みらい翻訳・同僚翻訳(ボランティア!?)などを駆使して絶対読むべきです(そういう人が知り合いにいたら、お伝え下さい)。



:以下には、本書のまとめはほとんどありません。「本書の記述は、言語教育政策に引き付けたらこう考えられるんではないか」というメモです。


第1章 自由と規制

公教育、憲法上の教育を受ける権利、社会権などをめぐって

主に日本国籍者を対象としている言語教育政策と、それ以外。

北欧諸国:雇用可能性重視→「教育内容選択の自由」の制約

伝統的に雇用可能性(実態および言説)と結びつかなかった日本の学校外国語教育

第2章 量的拡充と質的拡充

公的教育費支出の国際比較

国際的にみると平均的な対初等教育支出。小学校英語をはじめとする初等教育における「予算がつかない」問題は、はいったいどこに瑕疵があるのか。で、他国はどうやりくりしているのか。 https://twitter.com/tera_sawa/status/888699777268957184

財政主体

財政支出に責任を持つアクターについて、(複雑だが)統一的に理解できる学校外国語教育(主に英語)と、錯綜している日本語教育

p. 50 教育費支出を巡る政策選択。競合性・非競合性

(7) 学校外教育費:たとえば、英語外部試験入試の批判的論点のひとつは、「学校外でスピーキングを学べる家の子供は有利」というもの

p. 53f 配分をめぐる政策選択

人件費を教職員だけに割くか、それ以外の人、つまり、ALT、支援員、有償ボランティア等にも割くか。

第3章 投資としての教育と福祉としての教育

人的資本論

  • 英語力と人的資本論ということでFYI: 寺沢拓敬 2017「経済学から見た言語能力の商品化 : 日本における英語力の賃金上昇効果を中心に」『ことばと社会』19, 59-79.

p. 72 価値への干渉

雇用可能性を重視する現代の福祉国家は, 実学的色彩の 強い高等教育・後期中等教育と親和的であり, そうしたスキルの向上を前提と して財政負担による 「社会的投資」 が正当化されているとも解釈できる。

→実務的なのか教養的なのか微妙な位置の外国語教育

第4章(教員の)選抜と育成

「入口」管理

英語教員免許とALT問題

JETプログラムやALT制度を扱った研究は、日本人によるものであれ当事者(ALT経験者)のものであれ、ここでいう制度比較の話は薄い印象。むしろ、「クリティカル」な分析という免罪符を得たのか、お気持ちベースの制度批判とかその背後にあるイデオロギーへの批判などにスライドしがち。

「鍛錬志向」:印象論だが、最近の英語教育学会は、「鍛錬」の話がすごく増えている気が。(先日のJASELEでは、「指導主事のための研修機会が足りない」云々のような話すらあった)

p. 85f. 教職への進路選択に影響を与える要因、

(1) 資質能力の性質、(2) 採用競争度、(3) 他職との取り合い、(4) 他職の雇用慣行

p. 88 数学教員の質的水準保証、17カ国比較

英語(EFL)教員については、伝統的に国際比較の重要なターゲットである米国と英国が落ちるのでややこしい面があるが、とくにTESOL研究は、米国の教員需給・教員養成システムの諸前提にひきずられてはしないか。←→日本的雇用慣行

第5章 教育における自由と平等

(日本において)英語力形成の格差をどう考えるか

実証レベル

1) 個人の英語力 = 生まれの要因 + その他(本人の努力・偶然など)
2) 個人の英語力 = 一般的な学力形成・学歴達成 + 英語力固有の生まれの要因+その他

1) は経験的データでほぼ確実に存在することが明らかになっているが、2) はけっこう微妙。 一方で、2) こそが、英語格差論議で注目されるロジック。たとえば、「英会話・塾に通わせられる家庭とそうでない家庭で不公平が...」とか。(このレトリックは、韓国のほうが日本よりも顕著)

2000年代以降の多様化・弾力化(グローバル化/グローバル言説の蔓延)が、2) のメカニズムを駆動させている可能性は高いが、データがまだそろってないのが苦しいところ。

「不平等」と価値判断する根拠←本書には(たぶん)ない視点

  • ある能力・資質の獲得に系統的な差があったとき、これを教育機会の問題として概念化するには、それを単なる差ではなく、不平等と価値判断するための補助理論が必要である。
  • たとえば、戦後前期の道徳教育の必修化は、機会均等のためではなく、国民形成(特定の望ましさの押し付け)のため。
  • 英語力は、その点で、非常に微妙。英語力が職業的成功やQOL向上につながっているのであれば、その差は「不平等」。一方、つながっていないのなら、単なる「差」。英語教育を通した育成されたコスモポリタニズム度合い(or グローバル市民度合い)に差があったとして、それは「格差」と呼べるのか。

第6章 投入と成果

学術的知見と政策決定の近さ・遠さ

[教育財政訴訟の文脈] アメリカ的司法積極主義もあいまって,学術的知見が,政府の政策のお墨付きにも,あるいは反対に,それに抗する社会アクターの政治的武器にも容易に転化しうることを示している。p.132

エビデンスに基づく教育」先進国のアメリカでも、エビデンス・チェリーピッキングは起きるという好例?日本ほどではないにせよ。

第7章 事前統制と事後統制

統制の仕方、いろいろ(市場の限界)

「教育は、市場による統制が弱い分、他の手段で質確保が必要」という視点(市場では完全には統制できないという大前提を出発点にしないと素朴市場原理論と話が合わなくなってしまう)p. 140

  • 「準市場」にゆだねる (p.143):(学校教育とちがって)日本国内の日本語教育はそう?というか、移民統合的な意味の強い言語教育(アメリカのESLとか)もこんなかんじ?

一教科の事前統制は意外と難しい?

日本は、「文科省→学校現場」支配といった事前統制のイメージが強いが、(少なくとも)英語科では意外と統制するチャンネルが少ない。

  • 学習指導要領:象徴的統制。指導要領には(全体としてはともかく)個別の項目に法的拘束力はなし(そんな判例なし、学説上もたぶんなし)
  • 教科書経:学習指導要領解説→教科書会社の忖度→教科書検定→個々の教育現場
  • 教育委員会・学校管理職経由:中央研修などで(伝言ゲーム式に)idea/ideology を教育現場に周知する

2010年代頃から出てきた、事後統制風象徴的統制?→いろいろな調査結果・テスト結果を(場合によってはランキング風に)提示して自治体を(自主的に)競わせる。(ローステイクスなので、事後統制にはなりきれない)

NPM

  1. 148 諸外国の事例に比べると日本のNPMは限定的

  2. 日本の公務員数の小ささ、仕事の無限定性

  3. p.152NPM の成功例。もともとマイナスのものをプラスに改善するのには有効とか?

column 5:なぜ教育学者はEBPMを嫌うのか。

  • 介入・アウトカムの定義・測定に対する合意形成に対する不信感(たとえ構成概念の設定が大雑把でも、合意形成さえできれば、EBPM的なレトリックは駆動可能)
  • 教育制度設計一般と個別教科の事情
  • 数値(厳密には「因果関係に関する学術的知見」)の抑圧機能を、解放機能よりも重視。たとえば、『教育学研究』エビデンス特集にも寄稿している内田良氏の行ってきた一連の仕事は、エビデンスの解放的機能を重視したものだとみなせる。まあ、内田氏は「教育学者」とは自己規定していないと思うが・・・)

第8章 権力の集中と分散

集中・分散の帰結

権力集中であれば漸増主義的な政策形成は弱まり,与党の政策選好が実現しやすくなることは直感にも合致し,実証分析も行われているが,問題はそれが教育政策にとっていかなる点で短期的,さらには中長期的な影響を及ぼすかである。これまでの研究では,教育支出への短期的な影響などは明らかになっているが,例えば政治への市民参加の態様などの政治行動や,カリキュラムや教科書など,特定の政党や政治的勢力の影響が強くなることが危惧される教育政策・実践への影響はほとんど明らかになっていない。例えばこうした教育政策について権力集中・分散による影響が明らかになれば,教育政策にとって望ましい政策形成の在り方についても示唆を得ることができよう。

小学校英語に関する教育改革の停滞・加速の事例(https://t.co/an5auKgKr5)は、ここの例外的事例に入れてもらえるだろうか。

第9章 集権と分権

  • p.175 全国学力調査

    • 全学テで味をしめた英語教育実施状況調査?
    • 自治体独自のスピーキング調査(英検IBA
  • p.178 「2000年代に入ると・・・教育行政においても地方政府の自律的行動が存在することを明らかにした研究が現れた」 および p.179 国と地方の相互依存モデル(村松岐夫) →逆に90年代以前の教育行政学は何を見てたのかという素朴な疑問。

  • p.179 地方分権改革後の評価

    • 本書には言及がないが、カリキュラム内的な地方分権・学校分権の象徴として導入された総合学習の評価はいかに?
    • 外国語(多言語教育)は局所的には地方色が出せたらしいけれど、全体的にみれば英語一辺倒で、かつ英語は教育内容的にローカル色は出しづらい?

第10章  統合と分立

FYI: 松川禮子『教育長4000日』Kindle自費出版https://www.amazon.co.jp/B07L9RJR4W/

第11章 民主性と専門性

  • 英語教員の専門性に対する不信 (p.216):英語ができる保護者の増加、英語ができるインフルエンサーの言うことを真に受けた生徒

  • 「準専門職であるとの見方がある(教育学などでは異論もある)」(p.216) → ここの「異論」を具体的に知っている人?>識者のみなさま

第12章 個別行政と総合行政

  • この章は、日本語指導が必要な子どもの教育は重要な章か。一方、初等中等英語教育ではなかなか事例が見つけにくい。総務省(旧自治省)・外務省・文科省が相乗りのJET Program とか。

  • FYI:階層社会学における職業威信スコア(理論上の中央値、最小値、最大値はそれぞれ 50, 0, 100)

  • 首長部局の総合調整機能。外国人児童・生徒・成人に対する日本語指導は、総合調整機能が必要か否か。

  • 国における行政の総合化 (p. 234)。昨日の教育社会学会で議題に上がったが、学力調査機構の必要性。まあ、これは文科省の枠内で考えられるか・・・。

  • p.237 伝統的な専門職と「反省的実践家」(Shoen 1983) とは。

  • p.238. 「現代における高度な専門性とは、単に分野固有の知識に詳しいだけではなく、その知識の重要性を広く訴えることができる能力も含まれると考えられる」→理念的にはよくわかるが、「広く訴えることができる=訴え成功」の判断を第三者的にしてくれるレフェリーがいないと、結局、お気持ちで専門性が値踏みされかねない気も。