いま書いている論文(非査読)の下書きを貼っていきます。
1. はじめに
本稿の目的は、日本の英語教育政策に関する先行研究についてとくに方法論的な面から批判的に検討し、ありえるべき方向性を示すことである。 なお、主たる検討対象は、日本の初等中等教育における英語科教育に関する政府(中央政府・地方政府)の政策に関する学術研究である。
1.1. 先行研究
日本の英語教育政策を対象にした研究は、国内外ですでに数多くなされてきた。 代表的なもの(査読論文、およびそれに準じる学術系著書)1に限定しても、Koike & Tanaka (1995), Butler & Iino (2005), Butler (2007), Seargeant (2008), Hashimoto (2011), Machida & Walsh (2014), Poole & Takahashi (2015), Imoto & Horiguchi (2015), Ng (2016), 山田 (2003), 奥野 (2007), 矢野 (2011), 寺沢 (2014), 広川 (2015), 江利川 (2018), 寺沢 (2018KATE), 寺沢 (2020) などがある。
このうち、非常に長いタイムスパンを対象にした政策史的研究(江利川 2018) と、戦後初期に焦点化した歴史的事例研究(寺沢 2014, 広川 2015) を除けば、ほぼすべてが1980年代以降の改革を対象としている。 なかでも2000年代以降の事例が大半を占める。 実際、2000年以降、英語教育改革は急加速し、いくつもの英語教育改革案が物議を醸したことは記憶に新しく(たとえば、英語第二公用語論、「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」、公立小学校への英語教育導入)、 こうした「目立つ」政策の出現が、日本国内のみならず国外の英語教育・言語政策研究者の目を日本の事例に向けさせた一因だろう。
1.2. 類型化:「記述 vs. 規範」および「過程 vs. 内容 vs. 影響」
英語教育政策研究の視点・切り口は多岐にわたるので簡単に整理しよう。 整理の上で便利な基準の一つが、人文社会科学で広く用いられている、規範的 vs. 記述的である(それぞれ「どうあるべきか?」「実際どうなっている(いた)のか?」という問い)。 もう一つが、政策の一連の流れの中でどの側面に注目するかという観点であり、3つの理念型が指摘できる。 第一に、ある政策が生まれるまでの過程・経緯(政治学の政策過程論における狭義の「政策過程」だけではなく、歴史的なダイナミズムもここに含まれるだろう)、第二に、その政策内容そのもの、そして第三に政策が実施された結果として生じた様々な影響である。
以上の2種類の類型を組み合わせたものが図NNNである。 影響に関する規範的研究だけは現実に想定できないため、図の右下は空白になっているが、それ以外の計5つのパタンに類型化できる。
5つのうち、より基礎的なものが、政策内容の記述的研究である。 なぜなら、検討の対象とする政策において具体的に何が提案されているのかを確定しない限り、他のタイプの検討は不可能だからである(図の矢印は、各研究の前提・基礎をなしていることを表している)。 ただし、この記述作業は、要するに、政府が宣言したことの(著者なりの)紹介・整理に過ぎないわけで、学術的新規性は必ずしも高くない。ゆえに、査読誌等の質の高い研究がこれのみに終始することはほとんどないだろう2。 以上の理由から、図ではこのカテゴリを点線で表現した。
残る4つは、過程の記述的研究、過程の規範的研究、内容の規範的研究、そして、影響の記述的研究である。 このなかで、数として多く、かつ、日本で最も存在感が高いと思われるのが、内容の規範的研究であり、これはいわゆる政策批判である(対照的に、過程の規範的研究は、政策決定の手続きに関する批判である)。
また、影響の記述的研究には、たとえば、 (a) 実施状況の事例研究(例、当該施策は実際のところどのように実行されたか?)、 (b) 当該プログラムの成果検証(例、児童生徒の英語力等は向上したか?)、 (c) 悪影響を含めた意図せざる結果の分析(例、施策を導入した結果、何が起きたか?)、 (d) 関与するアクターの政策受容(例、教育現場や子どもはどのように受け止めたか?) など様々なものが含まれる。(a) 以外のもの(とくに (d) )が、狭義の政策研究(公共政策学)に含められることは必ずしも多くないだろうが、言語政策研究では一般的にこれらも言語政策の一要素と見なされる(Hult & Johnson, 2015)。
過程の記述的研究は、特定の英語教育政策がどのような審議過程・経緯で生まれてきたのかを記述するものであり、必然的に、当該政策が作り出された原因(背景要因)は何かという因果的説明を前提にする。 国際誌における日本を対象にした英語教育政策研究の多くはこのタイプである(e.g. Butler, 2007; Seargeant, 2008). この理由として、国際誌では、特定の国の政策を対象にした規範的研究よりも、果的説明を抽出する理論志向の研究が好まれやすいという説明が考えられる。
ただし、説明モデルを提示するからこそ、このタイプの研究は規範的研究の基礎となりえる。 たとえば、政策批判は、実質的には政策意図の批判である (逆に言えば、文章批判・文体批判などではない――「この政策文書の日本語がおかしい」「文体に格調がない」などといった批判はナンセンスである)。 そして、政策の意図は、それまでの経緯を把握していなければ確定できない(たとえば、学習指導要領の文言は非常に抽象的・玉虫色であるため、文言だけを眺めていても、政策意図を明確に読み取るのは難しい)。 過程が的確に理解されているほど、政策批判の鋭さは高まり、逆に、政策意図に対する理解が大雑把であれば、政策批判は「毒にも薬にもならない」ものになったり、最悪の場合、的外れなものになってしまう。
このように、過程の記述的研究は、国内外の英語教育政策研究において、特に重要な位置を占めている。 しかしながら、後述するとおり、このタイプの先行研究は多くの問題点をはらんでおり、多くの改善が必要である。 以下、本稿では、過程の記述的研究に焦点を当て、先行研究にはどのような問題があるか、そして、それをどのように修正していけばよいかを論じていく。
(つづく)
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ただし、日本の英語教育政策(研究)を論じる上で、査読論文・学術系著書のみに限定するのは慎重でありたい。第一に、研究者による政策論は様々な媒体で発表される事が多く、その中には一般書やオピニオン誌での記事、紀要論文なども含まれる。第二に、狭義の英語教育政策研究者だけでなく、元・英語教育政策関係者とも呼び得る教育関係者(たとえば、教育行政出身の大学英語教員)が商業誌などで政策論を展開することも多い。↩
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実際、紀要論文や商業誌の記事では、この手のもの――学習指導要領やその解説を右から左に流しただけのようなもの――はしばしば見かける。しかしながら、例外的に学術的価値を期待できる研究も想定可能である。それは、既知ではない政策に関する記述的研究である。たとえば、特定の地方自治体や他国の英語教育政策を記述的に紹介する場合がこれに相当する。一方、日本政府の政策を対象とした研究であっても、学習指導要領などではなく予算措置のような注目が集まりづらい部分に注目した研究は、記述だけでも十分価値のあるものになるだろう。↩