こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

De Swaan: 世界言語システム論と Q-value

Abram de Swaan の Words of the World を読了。

Words of the World: The Global Language System

Words of the World: The Global Language System

  • 作者:De Swaan, Abram
  • 発売日: 2002/01/21
  • メディア: ハードカバー

アブラム・デ・スワーン、オランダの社会学者。言語社会学者というわけではなく、広い意味での比較社会学の研究者らしい(この著作以前には福祉制度比較の研究をしていたとある)。また、タイムリーにも今月に日本語訳が出版される本は、ジェノサイドをテーマにしている(『殺人区画』アブラム・デ・スワーン(著) - 法政大学出版局 )。

De Swaan の世界言語システム/グローバル言語システム論1は、日本の英語教育学者/社会言語学者にはほとんど知られていないようだ(Google Scholar を検索したことによる印象)。自分も、5年前にとあるハンドブックを読むまでは知らなかったので人のことは言えないが、日本の学者は結構好きそうな議論のような気がするので意外。

世界言語システムとは何か

読み終わってから気づいたのだけど、ウィキペディアにものすごく親切丁寧な記事があった。

こんな良い仕事をしたのは誰!?これじゃ、本を読む必要がなくなっちゃうじゃないか(笑)

細かい論点は上の記事に譲るとして、世界言語システム論の基本的なアイディアは、かなり経済学寄りで、言語は超公共財 (hypercollective goods)であるというもの2。 言語能力は所有/非所有をコントロールできる財ではなく、かつ、自分以外の他者が所有するとむしろ利益が上がる(ネットワーク外部性)。 だから、人々は、ネットワーク外部性の観点から利益が上がりそうな言語を予想(expect)し、言語選択(L2としての学習言語の選択、子供への言語継承等)を繰り返すというもの。

各言語のコミュニケーション価値を表す指標、Q-value

世界言語システム論の唯一無二の特徴(議論の余地のある特徴でもある)が、Q-value である。各言語のコミュニケーション価値を相対的に表す指標である。この数値が高い言語は低い言語よりも、コミュニケーション可能な人口が潜在的に多いことを意味している。 そして、「価値が高い」と人々が認識される言語ほど、人々の言語選択が増える。

Q-value のアイディア自体は明快かつ説得的だが、問題はその定義である。

以下が、 言語_i のQ-value Q_i)の定義である。(言語が n 個あったとすると、Q-value Q_1, Q_2, ... Q_n と n個がアウトプットされる)

\displaystyle{

Q_i = 話者シェア_i \times 中心性_i

= \frac{話者数_i}{全話者数} \times  \frac{複言語話者数_i}{全複言語話者数} \\

}

計算方法は小学校の算数レベルだが、その実質的な意味がよくわからない。「全人口に占めるX話者の割合」と「全多言語話者人口に占める〈X語を話す多言語使用者〉の割合」の で表現するところはよくわからない。なぜそこが掛け算?3

頻出するアノマリー

定義からして違和感のあるQ-value だが、実際、うまく説明できない場合があることはデ・スワーンも認め、詳細に分析している。

その代表として本書で事例研究が行われているのは、ルワンダボツワナである。

両国とも、国内住民の多くがローカル言語(それぞれルワンダ語・ツワナ語)に通じており、Q-value旧宗主国の言語(フランス語・英語)よりも圧倒的に高い。にもかかわらず、国内の公的機能のほとんどが旧宗主国言語で行われている。

デ・スワンは、こうした事例を「アノマリー」(理論的予測から逸脱する部分)と呼び、詳細に分析している。歴史的・社会的機能がこのアノマリーを生じさせたとしている(それ自体はきわめて納得の行く説明である)。

しかし、そもそも理論がカチッとしていない以上、これはアノマリーなのだろうか?もともとの理論に歴史的・社会的要因を含めていれば「アノマリー」にはならなかったのでは?という違和感のほうが強い。

非常にざっくりしとした印象

Q-value の明快さは魅力的だが、あらゆる言語共同体におけるあらゆる言語レパートリーに関するコミュニケーション価値という指標は野心的すぎるのではないかと思った。というのも、グローバル化以前も以後も、言語選択において言語共同体は閉じてはいないわけで(とくに近代化が進んだ地域の場合)。常に、国際的な(=共同体外の)言語状況を見ながら人は各言語への「期待 (expectation)」をふくらませるわけなので。

言語を固定するか、共同体を固定するかしないと、無難な指標はできないんじゃないかという気がした。


  1. この用語から明らかな通り、ウォーラステインの世界システム論をベースにしている。

  2. もっとも、言語は “hypercollective goods” であるというアイディアは、比喩ベース、常識ベースの議論にとどまる。集合財に関する経済学の理論研究や実証研究の成果に基づいて精緻化されているわけではない。

  3. 一応、「中心性はウェイトだよ」みたいなことが書いてあったが、このウェイトという説明もわかるようでよくわからない。実質的にどういうウェイト?