こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

僕に一回だけあったコイバナ

僕が二十歳くらいのころは、個人情報が簡単に流出していたらしく、携帯電話にしょっちゅう大学生向けセミナーの勧誘の電話がかかってきた。

男子大学生向けの場合、たいていこうだ。

電話を取ると第一声、若い女性の声で「●●くんの電話ですか?」と聞いてくる。やさぐれ力が低かった当時の僕は、「はあ?あんたが先に名乗れよ」とは言えず、反射的に「はい」と答えてしまう。

そこから、すごく馴れ馴れしくセミナーの紹介(だいたいタメ口)。乗り気じゃないそぶりを見せると、もっと説明したいから「会って」話をしたいと言い出す。あるときは、「会いたい!渋谷の事務所まで来て!」などと言われたので、「事務所じゃなくてバーで話そうよ」と言っても、「事務所から持ち出せない資料がある」とか何とか。


そんなある日、ある女性からの勧誘電話でストーリーははじまる。電話をとったとき、僕は多摩川で釣りしていた。生憎ぜんぜん釣れておらず、暇だからいいかと思いずっと彼女の話を聞いてあげていた。成績不振でけっこう大変らしい。まあ、だからと言って僕が高額のセミナー契約をするはずもないのだが。

そのときだ。釣り竿が水面にめり込むほど大きくしなった。

釣れた!

「ちょっと待ってて!」と電話を置き、僕は魚と格闘した。

釣れたのは50センチオーバーの鯉。個人新記録だ。もちろんこの程度のサイズはけっして大物というほどではないが、それでも野鯉の力は半端なく強く、釣り上げるまでには10分以上かかった。

さすがにこんなに待たせていたら彼女は怒って電話を切ってしまったに違いない。そう思って携帯を見ると画面はまだ「通話中」だった。彼女は待ってくれていたのだった。

「釣れたよ!でかい!」

電話口に向かって僕はそう伝えた。

10分以上待たせたことを詫びもしないで。

僕はまだ子どもだった。彼女がこの興奮を分かち合ってくれるなどとナイーブに信じていた。

彼女は冷たく「ウソつかないで」と言った。

10分以上の死闘を繰り広げた後についに釣り上げた個人新記録のサイズの鯉。僕は彼女とこの喜びを分かちあいたかった。しかし、10分以上待たされていた彼女との間には、深くて暗い川が流れていた。多摩川だけに*1

(了)

*1:ただし、多摩川は基本的に浅い。