以下の論文の読後ログ。
- Butler, G. Y. (2015). English language education among young learners in East Asia: A review of current research (2004-2014). Language Teaching, 48(3), 303-342. https://doi.org/10.1017/S0261444815000105
内容
過去10年に東アジア(中日韓台)を対象に行われた幼少期英語教育研究のうち、英語で書かれた査読論文をレビューした論文。
次のようなカテゴリごとにレビューを行っている。
- Curriculum policy
- Access policy
- Personnel policy
- Methodology and materials policy
- Resource and community policy
- Evaluation policy
なお、このカテゴリは、Baldauf & Kaplan がよく使っているもの(たとえば、これ)。
いずれも policy という文字があり、抽象的な意味での 幼少英語学習というよりは小学校での英語教育政策の面がつよいカテゴリだろう。
1つ目のカリキュラムポリシーの枠組みであげられているのは、幼少期における言語面・情意面の発達の研究で、いわゆるカリキュラム論からはだいぶ遠い。そもそもカリキュラム論は、規範的に研究せざるを得ない面が多い分野で、実証研究のレビューでカバーするのはなかなか難しいだろう。
また、カリキュラム論は、その主たる読者は第一に現地人であり、おそらくローカル言語で書かれることが多いはず(少なくとも日本はそう)。その点で、英語論文のレビューは相性が悪そうだと思った。さらに勝手な推測を付け加えれば、カリキュラムの話は書籍で展開されることも多そうなので、査読誌レビューとの相性もけっこう悪いかもしれない。
また、2番目・5番目のアクセス(格差)の問題やリソースの問題については、ピックアップされている文献の数は少ない。たしかに、日本にはこのテーマで研究らしい研究はほぼない。著者の文献収集が妥当だとすれば、中韓台も似たような状況ということであり、残念な状況である(ただし、こちらも前述の「執筆言語は英語か現地語か」問題があるが)。
とくに、リソースの問題に関して。Baldauf & Kaplan の枠組みではリソースとはつまり財政政策のことだが、本論文にはそのタイプの研究がピックアップされていない。代わりに、学校外英語学習への投資に関する研究が紹介されている。たしかに、日本の小学校英語学者(と呼び得る人)を思い浮かべると、財政政策に関する研究を行っている人はほぼ皆無である。
コメント
本論文を読んで、小学校英語研究を体系化するうえでのハードルについて考えた。
上述したように、既存の研究には明らかに空白部分がある。カリキュラムや財政政策、そして格差に関する論点は(少なくとも国際的な学術フォーマットにおいては)研究がほとんどない。したがって、こうした空白部分を適切に埋めていく必要がある。
ただ、どんな研究分野にも「真の意味での研究の空白部分」と「無意味だから誰も研究していないだけの部分」というものがあり、前者を後者から峻別する必要がある。峻別のためには、小学校英語教育研究の見取り図が必要になるが、そもそもこれがない。まず、ここをどうにかしないとならないだろう。
そして、上記の指摘を踏まえれば、執筆言語を問わずに(多くの場合は「英語あるいは現地語」となるだろう)、地域別にレビューをする必要がある。とはいえ、母国語&英語ならまだしも、第3・第4の言語で学術論文をすらすら読みこなせるトリリンガル・クヮドリンガルはあまり多くはないだろうから、一度に東アジア比較といった枠組みは難しいかもしれない。それぞれの地域語に堪能な研究者が個々にレビューを積み重ねていくのが現実的に思う。