こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

小学校英語とエビデンス、再び


先日、「小学校英語エビデンス」という一般向けの記事を書いた。
小学校英語とエビデンス(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース


その内容をアカデミックなものに大幅に書きなおしたものが以下の論集に掲載されたので紹介したい。
英語教育学における科学的エビデンスとは?:小学校英語教育政策を事例に | Takunori Terasawa - Academia.edu

書誌情報


寺沢拓敬 2015. 「英語教育学における科学的エビデンスとは?――小学校英語教育政策を事例に」『外国語教育メディア学会(LET)中部支部外国語教育基礎研究部会2014年度報告論集』 pp. 15-30.


論文は上記のリンク先からダウンロードできる。なお、当該ファイルを開く際にはウェブサイトに掲載されているパスワードの入力が必要なのでご注意を。

政策科学としての英語教育学


本論文は、啓蒙を目的とした論文である――自分で言うのは若干おこがましいのだが、実際問題として啓蒙の切迫した必要性があるんだからしょうがないじゃない。


具体的には、社会科学・政策科学的な考え方の啓蒙である。


拙著『日本人と英語の社会学』でも再三述べたことだが、現在の日本の英語教育学は、言語習得論や教育方法論の点では高度な実証性を築いた一方で、社会科学・政策科学の面ではまだかなり弱いと思う。


ただ、そのような状況にもかかわらず、政策について素朴に語りたがる英語教育学者は多い。もちろん「政策研究のトレーニングを受けていないなら政策的な発言は控えるべし」と言うことも可能である。ただ、それはちょっと後ろ向き(?)すぎるので、私はもっと前向き・建設的に、「こうすれば妥当な政策語りができるよ!」と論じてみようと思ったのである。

エビデンス


なお、この論文のキーワードは、「エビデンス」である。


個人的には、近いうちに「エビデンス」が教育業界のプチ流行語になると思う(「ビッグデータ」のときのように)。もしそうなれば、これはどちらかといえば歓迎すべきものだと思うけれど、単に古い考え方を新しいキーワードで言い換えただけにならないかという危惧もある。


おそらく英語教育学は教科教育学のなかでも最も科学化が進んだ分野である(「科学」志向の強い言語学・心理学から大いに影響を受けてきたのがその原因である)。その意味で、英語教育学は、エビデンスベーストという点では優等生だと言えるだろう。


ただし、エビデンスベーストアプローチは、意思決定に関する考え方である以上、従来の科学――典型的なのが理論言語学的な「科学」――とはある程度異なる科学観に立脚している点は、いくら強調しても強調し過ぎということはない。


たとえば、主流のエビデンスベーストアプローチでは、重要なのはエビデンスの「ある/なし」ではなく、エビデンス強弱である。つまり、どれだけ根拠が信頼できるか、その程度が重要なのである。


たとえば現在、脳科学の科学性は疑いようがないが、教育的エビデンスとしての信頼度の点では最低ランクの評価を受けている。実際の教育現場と距離がありすぎるためである。(そもそも脳科学者は教育のために研究しているわけではないのだから、これは脳科学への非難でも何でもない)


しかし、このような根本的な考え方がが理解されないまま、「エビデンス」が従来通りに理解されたままでプチ流行になったりすれば、「エビデンスに基づく英語教育を」と題したワークショップなどで、脳科学者が「脳科学的に見た効果的な英語指導」のような講演をしたりするようなことになるだろう。


このような悲喜劇は非現実的にも見えるが、欧州発のCEFRが曲解に曲解を重ねて日本版CEFRとして「日本化」された現状を見るにつけ、まったくありえないことでもないように思う。そのため、早めに先手を打っておいたほうがいいと思った次第。