言語政策研究(者)の発展史として有名なものに、ポスト植民地プロジェクト期→近代化の失敗への反省期→ポストモダニズム期というのがありますが、じゃあ日本の英語教育政策研究に限定したらどうなるの?というのを考えてみました。
異論は認めます。
第1世代 政策研究をしていない先生
そもそも英語教育政策の研究をしていない。論文も書いてない。英語学や英文学、英語指導、英語教材作成が専門の人たちなので政策の話は余技みたいな感じ。声が大きかったりグローバル社交性が高いので政策会議に呼ばれたり、海外の政策関係者と交流をするので政策通とみなされがち。繰り返すが、論文は書いてない。
第2世代 調べ学習中心の先生
院生時代は英語英文学、英語教育学だが、テニュアをとってから政策にも興味が出てきた。研究もしているし、論文は書いている。政策研究出身ではないので、理論は弱め。重要だとおもった英語教育政策について「調べてまとめる」という感じ。得意なメソドロジーは、海外の英語教育を調べてまとめるアプローチ。海外視察によく行く(コンプライアンスが甘めだった時代だからといって「観光旅行が目的でしょ」などと言ってはいけない)。現地語は喋れないので、現地の英語話者にコーディネートを依頼することが多いので、どうしても英語話者・英語教育推進者目線になることは仕方ない。
第2.5世代 英語圏言語政策研究出身の先生
院生あるいは比較的若いころから英語教育政策の研究に取り組んでいる。英語圏の言語政策の理論や研究事例にも詳しい。ただ、いかんせん、英語圏の言語政策がベースなので、社会言語学バイアスがつよく、「教育」政策理論や日本社会研究にも疎い場合がある。
第3世代:ELEP研究出身の先生
院生時代から英語教育政策研究に取り組み、英語教育政策固有の自律的な枠組みを吸収している。一見理論派だが、特定の社会事情(ドメイン知識)の重要性も理解している。猿真似でポストモダン言語論を展開しない。読んでもいない哲学者を引用しない。方法論にも詳しい。経済学にも(以下略)