こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

言語政策における量的研究 (2):大量観察

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大量観察ではじめてわかること

数値的に現象を要約することの最大の強みのひとつが大量観察である。我々が研究対象とする知識には、大量に観察することではじめて理解できるものがある。言語政策の例で言えば、ある言語の話者の数や、特定の言語上・言語学習上のニーズを持った人の数を把握することがこれにあたる。もっとも、これが数十人規模であれば、個々の人々に丁寧に聞き取りするなど、質的に理解したほうがよい場合も多いだろう。このほうが、「○○語話者」や「✕✕のニーズ」のリアリティを一元的な数値に押し込めることなくその多様性・複雑性をある程度維持して理解できるはずである。

しかし、質的な要約で対応できないほど大量の人口を相手にする場合には、何らかの静的・固定的な基準を採用して、数値に要約しなければならない。このとき、定義はある程度は恣意的なものにならざるを得ない。

第二言語英語話者の数の推定を例にとる。「あなたはどれくらい英語が話せますか?」という質問紙調査の設問に「よくできる」「少しできる」と回答した人を、「英語話者」と定義すると、一応、英語話者数が計算できる。しかしながら、この基準は決して絶対的なものではなく、多くの留保がつくだろう。たとえば、(a) この「英語話者」の定義は、回答者の主観に基づいたものであり、客観的にみて英語話者と見なせるのかは疑問、(b) 「少しできる」を英語話者に含めるのは不自然、(c) 英語力を話す力だけで代表するのはおかしい、など。

これらは、いずれももっともな指摘である。したがって、私たちは具体的な数値を得たとしても、その数値は、特定の測定に依存した数値であることを常に念頭に置かなければならない。分析者が注意することも重要だが、数値を発表するときは、読者にも注意を喚起すべきだし、逆に、他者の研究を読むときは数値と測定方法を常にセットで理解するべきである。

多くの留意点の一方、具体的な数字が手に入ることのメリットも大きい。第一に、具体的な数値はしばしば規範的判断(政策的判断もここに含まれる)のための重要な情報になる。たとえば、同じ「✕✕のニーズを持つ人が多い」であっても、その割合が 30%の場合と95%の場合とでは、取るべき施策が大きく変わるはずである(後者は、速やかな対応を示唆する数値である。また、実施に向けた合意形成は、前者ほど、難しくないだろう)。

第二に、具体的な数値は、社会間比較を可能にするというメリットもある。たとえば、質的な先行研究によれば、英語話者の多い国だと考えられていたX国とY国について、実はX国のほうがずっと英語力が高かった(正確に言えば、高い数値が得られた)ことを明らかにできる。この例が示すように、私たちの直感や解釈は、「多い/少ない」は判別できたとしても、「ものすごく多い/多い/まあ多い」を区別することはしばしば容易ではない。このような区別が重要な研究にとって、数値的な要約は強力なツールになる。もっとも、前述の通り、このアプローチには、質的要約以上に、恣意性がつきまとう。その恣意性を考慮に入れてもなおメリットが重要であると判断した場合にのみ、このアプローチは採用されるべきである。

つづく