こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

飯田浩之 (2007). 「中等教育の格差に挑む―高等学校の学校格差をめぐって―」『教育社会学研究』 80号 pp.41-60.

  • はじめに
  1. ラッキング研究としての学校格差研究
    1. 学校格差研究の始まり
    2. 学校格差研究の展開
    3. 学校格差研究の成果と限界
  2. 学校格差と教育改革
    1. 学校格差への対応としての教育改革
    2. インプット・コントロールとしての入学者選抜制度の改革,進路指導の改善
    3. スループット・コントロールとしての高校改革
    4. 教育改革の効果と限界
  3. 学校格差の社会的文脈
    1. 研究と改革の相同性
    2. 格差の社会的文脈とそれへの挑戦

「トラッキング」概念の転換

もともとトラッキングは、オープンなカリキュラム・システムが生徒たちにオープンな進路選択をさせているようでありながら、その実、彼らの進路を制約していることを暴露する概念であった。それが我が国の高等学校に適用されるに及んで、学路的な意味ではなく現状記述的に用いられた。つまり、既に存在する進路の制約―生徒の進路選択の機会と範囲を制限する、裁可された序列化されたトラックの存在=学校格差―を、そのまま表現する概念として使われた...(p.42、強調引用者)

学校格差研究の展開(その研究対象)

  1. 高等学校の格差が、より下の段階の学校・生徒に及ぼすインパク
  2. 学校格差が、高等学校のフォーマルな学校経営・教育指導を規定し、それが生徒の生活・意識・進路形成に与える影響
  3. 学校格差が、学校のインフォーマルな側面を媒介しつつ、結果として生徒の生活・意識・進路に与える影響
  4. 下位の学校が、下位に位置することにより、学校経営・教育指導をどのように特徴付け、結果として将来の進路を含めて生徒をどのように導くか

ラッキング研究:生徒の内面への焦点化

...トラッキング研究としての学校格差研究は、内へ内へと向かうベクトルを持っていた。トラックの内側へ、そして生徒の内面へと探求を深めることになっていった...
...生徒の主観的な過程において探求するというスタンスに立つことによって、学校格差研究は、一つには格差の存在を学校の外部社会との関連において問う視点を後退させていく...

当初はトラッキングの効果を明らかにしようとしていた研究が、次いで、トラッキングの効果を生じさせる学校内の社会過程へと研究の焦点を移していく。そして、次第に格差―トラッキングという問題の文脈を切り落として学校内で展開する社会過程そのものの研究へと転化していく(pp.45-6)

高等学校の格差、その3パターン:

  1. 入学生徒の学力の格差(インプット面の格差)
  2. 学校が生徒に提供する経験の格差(スループット面の格差)
  3. 生徒の卒業後の進路の格差(アウトプット面の格差)

「アウトプットについては結果であって如何ともし難いが、インプットとスループットについては政策的にコントロールが可能である」

  • インプットをコントロールする改革
    • 学区制および選抜方式をあらためる(例、東京都の学校群制度
    • 選抜基準・選抜資料に関わる改革(例、学力検査実施の弾力化、推薦入試)

個性重視による「格差への対応」の後退

80年代後半の個性重視の教育改革(臨教審)→「個性、興味・関心に応じた進路選択の問題に変換され、「格差への対応」としての課題性を失っていく」

  • 研究と改革の同様の方向性
    • 研究:生徒のアスピレーションや学校適応を問題とする
    • 改革:生徒の選択や個性を問題とする

改革の限界

  • 学校の内部過程(生徒の主観的働きかけなど)を変えることで、学校間の構造的問題である「格差」を縮小できるのか?
  • 本来のねらいは、「学校格差」の縮小ではなく、「学校格差の弊害」の除去にあったのではないか?

*1:伝達される知識の境界、単位区分

*2:必修科目の削減、選択科目化、単位制高校