こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

広田照幸 (2007). 「教育社会学はいかに格差−不平等と闘えるのか?」 『教育社会学研究』第80号 pp.7-22.

不平等をめぐる三つのレベル(ブラウン(2005, p.50)によるまとめ)

  1. 政治の領域における、「実現可能な複数の価値の優先順位をめぐる論争」
  2. 政治哲学などの領域での、「議論における使用言語を明確化するという、哲学的・論理学的に厄介な知的作業に関わる論争」
  3. 「刻々と変化する社会的世界の経験的事実に即して、どのようにして理論を構築していくか、という辛気臭い作業をめぐる論争」

三つの格差分類

1 世代内 相対的不平等
2 低所得層に関する不平等
3 世代間 階層再生産

社会の二極分化に関する2つの言説

  1. 正社員 vs. 非正規雇用 という二極分化(山田昌弘, 2004)
  2. IT長者などの一部のエリート vs. そうでない大半の人(木下武男, 2006)

若年失業の問題の原因に対する見方

「構造的問題」(e.g., 本田由紀) vs. マクロ経済問題(原田泰ら)

研究の難しさ

  • 特定の主題に関する変数が、対象の外―つまり、教育現象以外のもの―にある。(雇用、社会保障など)
  • 目の前の経済格差に対して教育ができることは限定的である。本格的名問題解決は雇用や福祉にゆだねるべき

研究者が考慮すべき点

  • 教育の結果が、「格差」として顕れるとき、少なくとも数年後である
  • 教育内部に問題をとどめてしまうこと

橋本健二(2006, pp. 191-193)は、「学力低下」を教育政策や学力など教育内部の要因に求める苅谷剛彦らの議論を批判して、「教育が敵誤謬と呼ぶ。「教育学者たちが、自らの専門領域でありテリトリーでもある学校教育内部の要因を重視し」て、「その結論を一般化して、社会経済的格差の拡大全般を論ずる」ことがはらむ誤謬である。フリーターや若年失業者問題を当事者の教育の問題に帰してしまいがちな研究姿勢についても同様の誤りに陥っている

    • 教育の改善を通して達成できることとできないことの線引き、つまり教育社会学研究の限界点をきっちりと設定すべき