こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

平泉・渡部論争における「知的訓練」、そして義務教育における正当性


執筆中の博論の断片をコピペするシリーズ!!!


この記事は、先々週書いたこの記事

の続きです。


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平泉・渡部論争において、外国語(英語科)科教育が、果たして義務教育に値するのか、という点が大きな論点のひとつとなっていた。この論点を、(ゆるやかな意味で)《国民教育》をめぐる問いだと考えて、両者の議論を見ていきたい。そのうえで、便利な参照点となり得るのは、先日記事にもした加藤周一らの英語科の義務教育化反対論争で抽出した三つの論点である。すなわち、

(1) 英語の実用スキルの普遍性
(2) スキル以外で英語科が提供する様々な価値の普遍性
(3) 英語教育の機会均等論


である。結論から先に言うと、この論争では(2)だけが争点となった。その一方、(1)と(3)には、ほとんど関心が向けられなかった。以下、順番に見ていく。

「平等」をめぐる問いの欠如

まず、(3)については、この論争には、全体を通して、教育の平等が争点になっている部分はほとんどない。平等をめぐる論点は、論争の前半・中盤には一切登場せず、初めてみられるのは論争の末期、鈴木孝夫(慶応大学教授・当時)を司会に迎えた鼎談においてだが、これが最初で最後である。ここで、渡部は、数ある必修化の根拠のひとつとして、「教育の機会均等の根源的な意味においても、[英語を]やる価値がある(153)」と主張しているが、この点に対する平泉からの回答はなく、また、渡部も以後この主張を繰り返すことはなかった。このような意味で、平等をめぐる論点は、平泉・渡部論争においてごく周辺的だったものだということがわかる。これは、渡部の政治的立場を考慮すれば、納得のいくことである。一般的に言えば、「教育の平等」を主張するのは左派系の論者だが、当時すでに、保守論壇の一員であった渡部に、「教育の平等」のような「国民の権利」を前面に出した論拠に則る必然性はほとんどなかったと考えられる。むしろ、英語学習を「上から国民全員に課す」ような「国民形成」的な論拠のほうが、はるかに渡部の思想と適合していた。じじつ、以下に見ていくとおり、渡部が必修化擁護のために再三持ち出している論拠は、「知的訓練」という「国民形成」的なものである。

共有されていた「英語スキルが役立つのはごく一部」という認識

同様に、(1)の「英語の実用スキルの普遍性」も、たいした争点とはならなかった。「わが国では外国語の能力のないことは事実としては全く不便を来さない(p. 9)」と「試案」内で明言している平泉は当然だが、渡部ですら、かなり限定的にしかこの普遍性を認めていない。たしかに渡部の発言には、「平泉試案」に反論し、英語が「国民生活に必要な知識(p. 36)」だと主張している部分はあるが、その内実をみると、ごく初歩的なレベルの「知識」しか想定していないのである。たとえば、渡部は、「新幹線の座席はABC」「ラジオ[の表示]もonやoff」という根拠を出してアルファベットの知識の必要性を主張している。また、「[日本語に浸透している]仮名書きのもとになった外国語の一つぐらいは国民に教えるのが国家の義務である(p. 40)」というように、外来語を理解する必要があることを強調している。このようなごく低いレベルでの普遍性しか主張できないことを考えれば、渡部も、基礎的なレベルの英語運用能力ですら、その普遍性をほとんど認識していなかったと考えられる*1。つまり、森(森常治 1979、「平泉試案の今日的意義」『英語教育問題の変遷』)が指摘しているとおり、「卒業後、英語スキルが必要になる学生は少数」という認識は両者に共有されていたのである*2。こうした事情から、(1)「英語の実用スキルの普遍性」は、主要な争点とならなかった。

「知的訓練」論

では、主要な争点となった(2)スキル以外で英語科が提供する様々な価値の普遍性について、議論を見ていきたい。平泉・渡辺論争において、これに相当するキーワードは、「知的訓練」である。前述のとおり、渡部は、国民に義務的に外国語教育を課す根拠として、外国語教育の知的訓練としての側面を強調していたが、これはスキル以外の面を重視する立場として典型的な主張のひとつである。ただし、加藤周一らの議論で見られた(2)の論点と異なる点は、渡部は一貫して「知的訓練」上の意義のみを主張し、その他の非スキル面の価値 ---たとえば、英米の文化吸収や国際理解--- を強調することはなかったことである。渡部の主張は、しばしば、平泉の「実用的価値」と対比されて、「教養的価値」重視とまとめられることがあるが、(渡辺武達著『ジャパッリッシュのすすめ』、朝日選書、1982)、国際理解や文化吸収という価値にほとんど言及しないという点で、それ以前の「英語教育における教養的価値」論よりも、かなり限定的な意味で理解すべき性格のものだろう。もちろん、「国際理解」「文化吸収」という英語教育目的論は、表現に多少の差はあるものの、戦前から流通しており、論争のあった1970年代も例外ではなかった。渡部が、「知的訓練」だけに限定して立論したのは、彼の国粋主義的な政治意識があった ---つまり、「世界から学ぶ」ことや「世界平和」を前提にした目的には抵抗があった--- からなのかもしれない。その点からも、渡部の議論を「教養的価値」重視の立場と安易に同一視するのは慎重であるべきだろう。


では、具体的に、渡部の「知的訓練」論を見ていこう。渡部の最初の「平泉試案」批判の論文から、「知的訓練」論に該当する箇所を、少し長くなるが引用する。


この見地から見ると、平泉氏が「その成果は全くあがっていない」という戦前・戦後の外国語(英語)教育もそれはど捨てたものでないことがわかるであろう。少くともそれは日本人に母国語と格闘することを教えたからである。単なる実用手段としての外国語教育は母国語との格闘にならない。その場合は多くが条件反射の次元で終わるからである。「格闘」という言葉はおだやかでないが、英文和訳や和文英訳や英文法はことごとく知力の極限まで使ってやる格闘技なのである。そしてふと気がついて見ると、外国語と格闘していると思ったら、日本語と格闘していたことに気付くのである。(pp. 32-3)


…昔の日本人が返り点をつけて漢文の書き下しをやったのも、漢文を一度粉砕して、日本語のシンタックスに並べかえる作業だったのである。このようにして日本人の知性は啓かれたのだ。そして敢えてつけ加えておくならば、ゲルマニアブリタニアの森から出てきた蛮族が、西ヨーロッパ文明を作るようになったのも、古典語と直面して、われわれの先祖が漢文を読んだように、緻密にギリシャ・ラテンの古典を読んだからである。…丁度、明治までの日本の青年の教育が漢文を読むことにほとんど尽きていたように。またわが国の旧制高校の教育が「原書」を読むことにはとんど尽きていたように。(pp. 34-5)


この部分を要約すると、外国語との「格闘」は認知的負荷が大きく、だからこそ、「母国語」である日本語を基礎にした知力の育成に寄与するということを意味する。これは、戦後の英語教育論においてけっして珍しいものではない。じじつ、加藤周一らの「英語の義務教育化」論争における「英語学習は合理的な思考を育成する」論も、「知的訓練」論と同種の主張だろう。ただし、渡部の主張の大きな特徴は、社会階層における上位層の学習者が伝統的に実践してきた「外国語/日本語との格闘」を想定している点である。というのも、渡部が外国語学習の「知的訓練」の事例として引いているのは、漢学者たちの古典中国語との「格闘」だったり、西欧の学生の古典語との「格闘」、あるいは、戦前の旧制高校生の外国語や漢文との「格闘」だからである。つまり、全「国民」からみたらごく一部のグループ ---いわば「知的エリート層」--- の外国語学習実践を、義務教育全体に一般化するというロジックである。


このように、漢学者や旧制高校生の事例に依拠している点は、渡部の「知的訓練」論の強みであり、同時に、弱点である。強みは、単に「知的訓練」とだけ言った場合ごく抽象的でイメージ喚起力に乏しい主張に、「日本人」の学習の「伝統」 ---もちろんこれは特定の社会階層の「伝統」にすぎないが--- を重ね合わせることで、具体的なイメージを提示し、リアリティを増大させる効果がある点である。一方、弱点といえば、特定の階層の知的営みを強調しすぎるために、義務教育との断絶を引き起こすことである。たとえば「旧制高校の論理を、戦後の義務教育に適用することはできない」という反論を容易に呼び込むことになる。以上を踏まえれば、両者の対立構図は、

渡部 vs. 平泉
旧制高校的な『知的訓練』で新学制の中学高校の英語教育も正当化可能 そのような目的論は当時の義務教育の現状と乖離しており正当化不可能

となるだろう。


ここで、「義務教育の現状」とは、端的に言えば、高校教育・高等教育の大衆化である。周知のとおり、高校進学率は1960年代に大幅に上昇したが、試案提出の前年(1973年)には 89.4%に達していた。つまり、高校教育は当時すでに準・義務教育化しており、これが平泉に「試案」を提出させた最大の要因のひとつだった。一方、渡部は、この点に関する言及がほとんどない。平泉や鈴木孝夫(論争終盤の鼎談における司会)に何度も問いただされているが*3、正面から答えている様子はない。そもそも、旧制高校等の「伝統」に依拠した渡部の主張は、《国民教育》の対極に位置する「エリート教育」のロジックを用いて《国民教育》としての英語科教育を正当化することと等しく、大きな矛盾をはらんでいる。こうした矛盾点から明らかなとおり、「知的訓練」論は、「知的」の程度を高く見つもれば見つもるほど、《国民教育》から乖離していくという性格を持っている。しかしながら、想定する「知的」の程度をあまりに下げすぎても、加藤周一に痛烈に批判されたように、「大げさすぎ」る話しだと見なされてしまう。中学校レベルの機能面を中心にした言語学習と、「知的訓練」から想起される学習のイメージに、相当なギャップがあるからである*4


平泉にせよ渡部にせよ(そして鼎談の司会を務めた鈴木孝夫にせよ)、外国語学習に「知的訓練」としての側面があることに異論を挟む者はいなかったが、それが「国民」すべてに義務的に外国語を課することの根拠となるかどうかという点になると意見が真っ向から対立した。渡部は、「知的訓練」としての意義を、とりわけ旧制高校における外国語との「格闘」を例に説き起こすことで、抽象的になりがちな「知的訓練」論を具体的に詳述したが、反面、「旧制高校=エリート教育 vs. 新制中学高校=大衆教育」というような学習者層の断絶を引き起こしてしまったのである。

*1:渡部は、「平泉試案」の「わが国では外国語の\bou{能力}のないことは事実としては全く不便を来さない(p. 9、強調引用者)」という主張に反論し、このような例をあげて、英語の「知識」の有用さの普遍性を主張したわけだが、「試案」とはかなりずれた「能力」観に立っていると言えよう。というのも、「外国語の能力」があると言った場合、日常語の感覚からいえば、ある程度オーセンティックな英語が理解・産出できることを意味するはずだからである。渡部の主張のように、アルファベットが読めることや日本語化した外来語の語源を知っている状態を「外国語能力がある」と呼ぶことはまれだと考えられる。つまり、「平泉試案」の「能力」という語を、「(初歩的な)知識」というように過度に低く読み替えているわけだが、この渡部の「反論」は、「反論のための反論」のような苦しい印象を免れない。じじつ、これは、有効な反論にはならないと見なされたのか、それ以降、この論点が渡部から提起されることはなかった。

*2:森は、両者の共通認識として、「平泉・渡部両氏ともども、日本国内で英語が生活の用具として使用される可能性は、特殊な職業にたずさわる者を除いてほとんど存在しない、と考えている(143)」点をあげている。いわば、「実用英語の享受者の限定性」である。ここには、現在しばしば聞かれる、「多くの人が社会に出たら英語を使わなければならなくなる。したがって、学校英語教育は『実用』的な目的を重視するべきだ」というような「社会の必要性」を前提にした実用英語論は見られない。

*3:たとえば、平泉は、「[渡部]先生は二言目には漢文ということをいわれる。しかし江戸時代の漢文は、当時の国民の何パーセントがやってましたか(p. 156)」と問い、学習者層の相違を問題にしている。また、鈴木孝夫も、次のように、渡部が応答していない論点を指摘している。

現在のように高等教育が大衆化した時代に、それ[=渡部のいう「知的訓練」]だけを英語教育の柱としていいものかどうか。つまり過去の功績の認知以外に、現在もまた将来もそれでいいのかどうか。今まで渡部先生が書かれた二回の反論には、それについて発言がないわけですよ、わたしが見たところでは。(p. 141)」

*4:該当する加藤周一による批判を再掲する:「中学校の英語の教科書を手にとってみながら、そのジャックやそのベッティ[=どちらも当時の中学校英語教科書の登場人物]に対し、合理的な思考…[の育成]と来ては、少し話が大げさすぎはしないかという気もしてくる。(加藤周一 「再び英語教育の問題について」 『世界』 1956年2月号 pp. 144-5)