日本社会において英会話がいかに趣味として消費の対象となっているかを、英会話学校や英会話サークルの参加者へのインタビューをもとに分析した論文。
「趣味で英会話をやる」という話、日本に住んでいる人からしてみたら、なんだ当たり前じゃないかと感じるかも知れない。しかし、このブログでも以前からちょくちょく書いているとおり、ESL(第2言語としての英語教育)を前提とした学問体系のなかでトレーニングを受けた研究者からすると、不思議なものに見えるらしい ---と、単純にまとめてしまっているが、この「不思議なニッポン」という話は実のところ、オリエンタリズム/セルフオリエンタリズムが絡んでいていろいろ複雑。
ESLの環境では、「英語の必要性」がかなり直接的・直線的に英語学習に結びつくからである。逆に言えば、「趣味としての英会話」は、必要を特に感じてないのに、なんで英語学んでるの?という話になるらしい。
著者は、R. A. Stebbins による「真剣な余暇活動 (serious leisure)」と「気軽な余暇活動 (casual leisure)」という区別(定訳不明)を採用しているが、英語学習を分析するうえで、かなり重要な区別だと思った。というのも、趣味としての語学といっても、その学習イメージにはかなり幅があるからだ。「茶飲み友達」が欲しいから英会話サークルを利用しているだけの人もいれば、英米文化に強いあこがれを持って学んでいる人もいる。極端な例としては、「英語修業」などといって他人が見たら苦行のようなものを自分に課して楽しんでいる人もいる(修業は、定義上、他人から見れば「苦行」)。
本論文にも、その両極端の事例が登場する。ただし、「真剣←→気軽」の軸だけでなく、さらにそこに、文化消費の話とか、恋愛的憧れ(romantic akogare)の軸も入り込むので複雑である。ちなみに、「文化消費」の話がでてきたが、ブルデューが引用されていないのは ---著者は他の論文ではよく引くのだが--- ちょっと不思議。
ついでにちょっと営業しておくと、来年4月に出る拙稿*1で、「おけいこごと」や「生涯学習/成人学習」としての語学・英会話が、社会的にどのような位置を占めているか分析してます。戦後(1960年代〜2000年代)の世論調査を2次分析して、「英会話」の付置状況を検討してます。
構成は以下の通り。
Introduction
Imagined community and language learning as investment
Language learning as leisure and consumption
Purpose, research site, and method of data collection
Profile of eikaiwa lessons
Language learning as a hobby
Language learning as romantic akogare
Comodified eikaiwa, whiteness, and native speakers for consumption
Discussion