こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語社会学について(その3) ---英語(使用・学習)の社会的位置

これのつづき
「英語社会学」について(その1) - こにしき(言葉、日本社会、教育)
「英語社会学」について(その2) - こにしき(言葉、日本社会、教育)


前の記事から20日以上あいた。一度はあきらめかけた(飽きかけた)が、がんばってまた続きを書きたい。


今回から各論。今日のテーマは、ある社会の中で英語がどういった位置をしめているのか、という話。僕は日本のことしか知らないので、以下は、日本社会を例として考えてみたい。


「日本社会における英語」といっても、ちょっと抽象的過ぎる。抽象的なのでどんな話にももっていける。たとえば、うわー!黒船がやってきたよー!キャー!精神的に犯されたー!アメリカに頭があがらないー!英語にも頭が上がらないー!みたいな、どうやったら実証したらいいかわからないような話でも、りっぱ(?)な「英語と日本社会」論だ。まあ、黒船のくだりは、冗談じゃなくて、津田幸男氏が大真面目に書いているんだけど(以下の文献)。

英語支配への異論―異文化コミュニケーションと言語問題

英語支配への異論―異文化コミュニケーションと言語問題



黒船英語論のような話は極端にしても、フィリップ・サージェント(Phillip Seargeant)がやっているような、日本社会に於ける英語の「記号」的側面を分析するといった話(P. Seargeant 2009 "The idea of English in Japan" 概要 - こにしき(言葉、日本社会、教育))なんかも、社会における位置づけを論じたものだろう。


これもたぶん「英語社会学」に含めることは可能なんだろうけれど、とりあえず今回はもうちょっとハードな方法論で。

「行動」で測る

黒船ショックのような「象徴的原体験」みたいなのや記号的意味みたいなのを測定するというのは、ほぼ不可能に近い。やろうと思えばできるだろうが、多くの人から「そんな測り方じゃ納得いかない」というような不満がでるはず。一方で、行動ベースで測定すると、かなり客観的だなあという気分になる人が多いので、みんな黙ると思う。


その点で、英語使用とか英語学習というのは、けっこう「客観的」で扱いやすい変数である。

英語学習をする人/しない人

当たり前の話だが、英語教育学は、確率的に考えて、英語ができる人がもっともたくさん存在する分野である。それだけでなく、日常的な英語使用者、そして英語好きの人も多いはずだ。しかしながら、英語ができる・日常的に使う・英語好き英語教育学者が、「日本社会における英語」を考えようとすると、ほおっておくと、かなりバイアスがかかるだろうというのは容易に想像できるだろう。なぜなら、「類は友を呼ぶ」の理屈で、おそらく周りには英語ができる人(同僚・同期・留学中に知り合った友人など)がかなり集まるからである。その「類友」状況を、バイアスだと認識せず、「日本社会のふつうの現実」などと思ってしまうと、実態よりも過大に「日本社会の英語化・グローバル化」を喧伝したりしかねない。


というわけで、「日本社会という英語使用/英語学習」のような問題設定をする場合、きちんと「非使用者」も枠組みに入れなければいけない。(そういえば、以前「グローバル人材に英語の重要性を尋ねたら9割以上が英語は大事だと言った!」みたいなアンケート調査結果をみたが、あれは一体何を測りたかったんだろうか。英語の日常的な使用者が、英語が重要だと考えるのは当然だからである)


ちなみに、大学院などの英語教育学(TESOL)の一般的なカリキュラムには、実験計画法や統計解析の授業はよくあるが、対照的に、社会調査や社会統計の授業はない。その点で、いまのところ、英語教育学と「社会における英語使用を測定する」ことの距離は、けっこう遠い。

世論調査の2次分析

営業臭がしてきて恐縮だが、以上のような問題意識から、世論調査を2次分析したことがある(「戦後日本社会における英語志向とジェンダー世論調査の検討から」『言語情報科学』11号、2013年. →初校のPDFはこちら)。


以下は、内閣府が1981年に行った「社会意識に関する世論調査」をもとに、外国語学習を含む12の成人学習項目の経験(および「しなかった」)と、基本属性の関係を見たものである(図示は対応分析という手法だが詳しいことは論文を参照)。この分析は主にジェンダーに焦点があるので、ジェンダー+世代・学歴という、最低限の基本属性との関係しか見ていないが、それでも1980年前半の日本社会における「英語(学習)」の(相対的な)位置は見えてくるはずである。



おおざっぱにいえば、(1) 外国語学習は、主に高学歴者ばかりがやっているかなりハイソな学習だったこと、(2) しばしば「女性=英語志向」と雑にまとめられるが、1980年代にはそうした特徴はまったく見出せないこと(どちらかと言えば男性寄り)ということがわかる。


基本属性でもこれだけのことが言えるが、社会学の超重要概念である「社会階層」との関係をみると、またけっこうおもしろい結果がでるはずである。それはまた次回(がもしあれば)