こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語教育学における質的研究の難しさ


先日書いた以下の記事の続き。
今年度から英語教育学を志すM1の皆様へのメッセージ - こにしき(言葉、日本社会、教育)


前回の記事ではちょっと「統計びいき」過ぎる記述だったかもしれません。先日の記事で「その問いが統計分析でできるかどうかまず考えるべし。最初から質的研究ありきで進めるなかれ」と言いましたが、なぜそのようなことを言ったかというと、質的研究にも色々難しい事情があるからです。

「なんでわざわざ質的研究やるの?」問題

英語教育学の院生の中にたまに「質的研究ありき」で研究をはじめてしまう人がいます(正確に言うと、欧米の学者の中にもそういう人はいると思います)。そのなかには、傍から見る限り、計量分析でやればもっと簡単に答えがでるのにと思えてしまう研究もすくなくありません。


これは統計分析向きの研究対象を質的研究で検討してしまうという問題だと考えています。つまり、対象と手法のミスマッチです。

「人類学における質的研究」?

他の学問領域に目を向けてみると事情はけっこう違います。「どうしてわざわざこのテーマを質的研究でやったんだろう???」という疑問を、社会学の質的研究に関して抱いたことはほとんどありません。そして、これはさらに容易に納得できることだと思いますが、人類学の発表であればそのような疑問はおそらく皆無でしょう。そもそも人類学内部の議論で「質的研究」などとわざわざラベルをつけられることはあまりないと思います。質的に研究することは当然ですから。


とりあえず統計分析と質的研究が併存している社会学に話を限定します。社会学でなぜミスマッチが起きにくいかといえば、社会学が取り扱うトピックには質的研究と相性がいいものが多いからだと思います。たとえば、体験とかアイデンティティなどは社会学のメイントピックですが、このような個人の意味付けに関わる概念は質的研究の得意領域でもあります。これ以外にも、社会学は伝統的に質的研究と相性が良い対象を多数扱っているので、ミスマッチが起きにくいのでしょう


一方、英語教育学には統計分析と相性が良いトピックがけっこうあります。その代表格が「効果」でしょう。英語教育学は、その存在意義みたいなところも関係しているはずですが、「どうしたら効果的な英語学習・英語教育になるか」ということを考えてしまいがちです。「ソトから現象をただ眺めてメカニズムを記述して終わり」という冷めた態度にはなれないところがあります。


「効果」は統計分析とたいへん相性が良いトピックです。統計分析を得意とする教育心理学や教育経済学は、特定の介入の効果を見事に数値で明らかにします。反面、「効果」は質的研究と相性が悪いわけです。ですから、「質的研究でX学習法の英語習得上の効果を明らかにしたい」という問の立て方はけっこうな悪手なのです。

英語教育学で質的研究は難しい/チャレンジング

ここまで読んでもらえれば「社会学の質的研究は優れている!英語教育学の質的研究はクオリティが低い!」と主張したいわけではないとわかってもらえると思います。社会学はそもそも質的研究と相性が良いのでミスマッチを免れやすいが、英語教育学はミスマッチの危険性を常にはらんでいるという趣旨です。その点でいえば、もし英語教育学がミスマッチの危険性を常に意識しつづけることができたのなら、他のどの分野よりも方法論的に成熟することができるという可能性を秘めています。何も考えないでやっている人々より、常に自問自答している人々のほうが、理論的に強靭ですから。