英語が公用語として使われていると聞くと、国民の多くが英語を話すというイメージを抱く人も多いだろう。
実際、日本でも2000年に英語の第二公用語化が論じられたことがあり、この議論でも英語公用語化は日本人総バイリンガル化と同一視されていた(「21世紀日本の構想」懇談会最終報告書にはまさに「日本人全員が実用英語を使いこなせるようにする」という文言がある。)
御存知の通り、インドの公用語も英語である。インドの人々とビジネス等で議論したことがある人のなかには、彼ら彼女らの凄まじく流暢な英語に驚いた人も多いだろう。こういった「英語=公用語」および「インド人ビジネスパーソン」のイメージから、インド人は皆(と言わないまでも多くの人が)英語を話せると考える人がいても不思議ではない。
しかしこれは実態とは異なる。2005年に実施されたインド人間開発調査(IHDS-2005)では英語力が尋ねられていたので、その結果を見てみよう(データの詳細:http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20140927/1411822310)。なお、この調査は無作為抽出調査であり、インターネット調査のようなサンプルに偏りのある調査に比べるとはるかに信頼性が高い。
まず、全回答者に占める英語話者のパーセンテージに注目しよう。「英語で流暢に会話ができる」と答えた人はたったの4%。「少しできる」と答えた16%を加えてやっと2割に届くレベルである。逆に言えば、インドの人口の約8割は「少し」ですら英語ができると思っていないのである。
これは考えてみれば当然である。インド人の多くは英語が母語ではなく、学校で英語を学ぶ(あるいは英語「で」学ぶ)。したがって、就学期間が短ければ英語をマスターできる確率も下がっていくのである。
実際、上のグラフにも教育レベルによって英語話者の割合が大きく変動していることが示されている。インドでは2010年代になっても高等教育に進学する人は2割程度と少数派であり*1、こうした教育格差が英語力格差(一部の人はネイティブ・スピーカー以上に英語をバリバリ操る一方で、多くの人は英語が話せない)という状況を生んでいるのである。
余談。冒頭に示した「公用語=英語話者が多数」というのは、そもそも「公用語」の本来の機能を誤解している。公用語とはあくまで公的サービスの提供の際に用いられる言語に過ぎない。したがって、たとえば英語が公用語の一つになったとしても、その社会の英語話者数とは直接関係ない(まったくいないことはありえないが、多数存在することを保証するわけではない)。もし英語だけでなく他の現地語も公用語に制定されているならば、英語を解さない人々が多くなることも自然である。