こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語ができると賃金が上がるのか、インドの場合

読んだ。

書誌情報


Azam, M., Chin, A., & Prakash, N. (2013). The returns to English-language skills in India. Economic Development and Cultural Change, 61(2), 335-367.


ざっくりいうと、無作為抽出によるインド人間開発調査(IHDS)を分析し、英会話力と時間当たり収入の関係を見た論文。

英語で会話ができないインド人男性と比べて、流暢にできる男性の収入はプラス34%、少しできる程度の人はプラス13%という結果だった。擬似相関の除去のため、共変量(職歴・学歴・潜在能力の代理指標)を統制した上でのOLS推定。

共変量の調整が甘い気がするが、そのような甘い共変量調整にもかかわらず、流暢な英会話力を持っている労働者の賃金が37%しか上昇しないというのはかなり意外だった。インドなのに。

というのも、ポストコロニアル地域における英語力の有無は、しばしば社会の格差の象徴として扱われるからだ(少なくとも社会言語学では)。しかし、実際、格差がその程度の度合しかないということは、英語格差の大部分は教育格差の副産物にすぎないのかなあとふと思った。後述する通り、教育レベルに起因する英語力格差はたしかにすごい。

なお、結論部分に「英語力に賃金上昇効果が見られた。ところで、最近、ローカル言語による教育の徹底を叫ぶナショナリズムが流行ってるけど、そんなことしたら大きな経済的損失になるよ」とあるけれどこれは変な話。労働者単位で経済的効果が見られたからと言って、社会レベルで見られるわけじゃないだろう。極端な例でいうと、「経済的利益を生み出す英語」という資源の総量がまったく変化しない場合、国内の労働者がこぞって英語力アップを達成してもパイの取り合いになるだけで、国家単位での経済的利益はまったく生じないからだ。

むしろローカル言語(子どもの母語に近い言語)による教育を充実させて、識字能力や自然科学的・公民的知識へのアクセス障壁を下げたほうが、よっぽど経済効果(外部経済の正の影響)が高い気がする。

インド人の8割は英語ができない

以下、話の本筋ではないが興味をもった部分。IHDSによると、「英語で流暢に会話ができる」と自身の英語力を評価した人は、たったの4%。「少しできる」と答えたのが16%。逆に、会話できないと答えた人は約80%とのこと。一応、ランダムサンプリングの学術的社会調査であり(したがってどこかの業界とベッタリというわけではない)、どこぞの営営利企業が行っている「実態調査という名の事実上の販促広告」などよりはよっぽど信頼できる。。

この「少しにせよ出来る人、2割」は、インド人英語話者の一般的なイメージよりずっと小さい値だと思う。イメージのギャップは、階層格差の大きさが原因かもしれない。同じくIHDSによれば、大卒で英語で会話できると答えた人は約89%なのに対し、初等教育卒者だとわずか1%。

当然といえば当然だが、日本は(そしておそらく英米の旧植民地ではなかった他の地域も)、たとえ大卒でも英語のできる人はぐっと少なくなるので、これほど顕著な格差は出ないはずだ。ちなみに、カーストによる英語力格差も大きい(これは教育レベルとの原因でもあり結果でもあるが)。

超余談

あと、「労働者の教育年数に反映されない『潜在的な能力』の代理指標として父親の教育年数がよく使われるから、俺らも使う」と著者は言ってるんですが、これは結構よくあることなんですかね? >識者のみなさま