こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

学会発表に望むこと


学会シーズンが近づいてきたので、学会で口頭発表をする先生・院生の皆さんに望むことを書いておきたい。「質疑応答の際は質問に真摯に向き合うべし」云々のような精神論ではなく、ものすごく具体的な話を書く。

こういう話を学会後に書くと、「こ、これは誰々の発表への当てこすりか!?」と勘ぐられる恐れがあるので、シーズンが始まる前に書く。

あと、こういう学術的に問題がある発表を見たら、研究者は「ダメな発表だな」などとSNSで陰口を叩くだけでなく、きちんと批判してほしい(まあ、これは別に院生や実務家でもかまわないが)。学会発表のクオリティの低さは、そこの学会会員が今までいかにダメなものを見て見ぬふりをしてきたかのバロメータでもあるはずだから。

1. 無意味なテキストマイニングは禁止

アルゴリズム/機械を経由させれば「科学的」になると思っている人がいるが、テキストマイニングに関しては大間違いである。(そしてこういう人の「科学的」の意味は非常にゆるい)

学術研究でテキストマイニングが輝くのは、人間の意味処理能力では不可能なほど大量の文字情報から意義のある知見を取り出す場合である。

だから、たとえば計1万字にも満たないアンケートの自由記述欄を分析するなら人力のほうが圧倒的に性能が高いはず。

この記事の再掲)

2. 量的研究の利点を「一般化できること」と言うのは禁止

量的研究の利点として「知見が一般化できること」をあげる人がいる。おかしい。一般化可能性はランダム化に由来するものである。ランダム化をしてない計量分析(教室アンケート調査等)は、質的研究と一緒でケーススタディの一種と考えるべきだと思う。

この記事の再掲)

3. 質的分析手法を長時間説明するのは禁止

質的研究を使った発表で分析手法を5分も10分も説明する人がいる。もったいない。

量的分析の「メソッド」とちがい、どんなに権威ある質的データ分析メソッドも「こうやるとうまくいきやすい」というレシピみたいなもので、別に科学性や論理学的正確さは担保しないわけである。

いかに正統な方法で分析したかなんてことは、一言添える程度でいいのではないだろうか。

それよりも、実際にどういうデータがとれたのか、そしてそこからどのような(興味深い)知見が導き出せたのかに議論を割いたほうが生産的である。。

この記事の再掲)

5. 「日本文化は○○だから日本人は〜しやすい」という説明は禁止

詳細
「日本文化はハイコンテクスト」には実証的根拠がない - こにしき(言葉、日本社会、教育)

7. その研究の新しい点・興味深い点・重要な点を明示的に言ってほしい(希望)

「分析して終わり」という印象を与えてしまう発表がたまにある。

分析者はものすごい量を分析し過ぎているせいで重要性が自明になっているのかもしれない(アナライザーズ・ハイ?)のでそれはそれで事情はよくわかる。

しかし、その内容を初めて聞くオーディエンスはふつう分析結果だけ提示されてもなかなかその背後にある重要性にまで思考がまわらない。なので明示的に、「この結果は、○○の点で新しい/興味深い/重要だ」と言ってほしい。

「自分で "Interestingly, ---" なんて言っちゃうのはアレだ」派の人もたまにいるので、まあそこは好みの問題といえばそうなんだけど・・・

8. 未定義で「グローバル化」という言葉を使うのは禁止

英語教育学では「グローバル化が進展して云々」は枕詞になっているが、いやだからこそ、多くの人はその言葉を定義しない。さらに、引用文献にグローバル化理論の文献を引いている人はほぼゼロである。教科書とか基礎的古典ですらない。

グローバル化」が「地球は丸い」くらい、(厳密ではないけれど)おおよその共通理解が得られている言葉ならいちいち目くじらを立てるほどでもない。しかし、グローバル化はそうではない。

グローバル化に対する立場の有名な3類型に、「ハイパーグローバリスト(楽観派・悲観派)」「懐疑論者」「変革論者」というものがある

英語教育学では、ハイパーグローバリスト的用法がほとんどではないだろうか。印象では楽観派が9割、悲観派が1割、しかしいずれにせよハイパーグローバリスト、つまりグローバル化を所与の前提にしていることに違いはない。

一方で、現在のグローバル化の意義を「歴史的に見てそれほど大したことはない」とか「政治経済・文化・社会システムの根本的な変革につながるほどのことでもない」と考える懐疑論者・変革論者的な理論には一切言及がない。たぶん知らないのだろう。

シンポジウムの表題に「グローバル化」とデカデカと掲げる先生方もいるが、グローバル化理論に関する基礎的な教科書の1冊や2冊くらいは目を通してしかるべきではないか。

参考
JASELE2015発表資料(英語教育学における「グローバリズム」理解の問題点) - こにしき(言葉、日本社会、教育)

9. 比較対象がないのに因果関係や効果を論じるの禁止

データ上の比較対象(いわゆる対照群)であれ、理論上の比較対象(先行研究・理論)であれ、比較対象を用意しないのに、因果関係(すなわち、ある介入Xの効果)を論じてはいけない。

「指導法Xを受けた生徒は○○が伸びた」という時、比較対象がなければ、「放っておかれた生徒も○○が伸びた」とも言えるし、「放っておかれたほうがもっと伸びた」とすら言える可能性がある。

もちろん、実験デザインの実務上、比較対象を用意できないという事態はある。その場合は、「できないからしょーがないじゃん」と安易に開き直ってはいけない(英語教育学会はこの「開き直り」が伝統化しつつある気がするが)。開き直るんではなくて、効果という概念を引っ込めて、ある学習者集団の発達過程・状況に関する事例研究として発想を転換させる必要があるだろう。