こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

言語経済学と言語能力の商品化:日本における英語力の賃金上昇効果を中心に

※以下は,こちらの原稿の下書きです。

1. はじめに

本稿では、言語の商品化を構成する諸現象のうち、言語能力に注目する。つまり、「言語能力の商品化」を検討する。

言語の商品化と一口に言っても多様な現象を含む。ただ、諸現象が必ずしも厳密に区別されているとは言い難い。たとえば、著名な言語学者であるデボラ・キャメロンは『オックスフォード英語史ハンドブック』の中で、「言語の商品化」という、本書の主題そのもののをテーマとした章を執筆しているが (Cameron 2012)、「御大の風格」を感じさせるいささか流麗に過ぎる論述であり、諸概念を明確に区別した厳密な枠組みに基づいて議論されているようには見えない。たとえば、どのようなものを「商品」と見なすかは、財の性質が場合によって大きく変わる以上、明確に区別が必要であろう。たとえば、次のような区別は最低でも必要であると考えられる。

  • ① 言語サービスの商品化
  • ② 言語教育の商品化
  • ③ 言語能力の商品化

第一の例は英文校閲や翻訳、第二の例は教材や教育プログラムの売買である。これらは金銭の支払いを伴うのが普通なのでまさに商品のイメージと合致している。

一方、「商品」という概念を理論的に拡張する必要があるのが、第三の言語能力である。例えば、英語力を持った就労者Pと英語力を持たない就労者Qがいて、PのほうがQより英語ができるゆえに仕事の生産性が高いという状況があったとする。この時、Pは英語力という「商品」を労働市場で売ることで、Qよりも多くの就労上の利益(たとえば高賃金や「良い仕事」へのアクセス)を得ることができたことになる。

「商品」概念をこのように拡張するのは、経済学概念の逸脱的使用などではまったくない。むしろ、後述するように、このような理解は、経済学の重要な理論の一つである人的資本理論の根幹をなしている。さらに言えば、経済学的に見てもユニークな論点を含むのが「商品としての言語能力」であるとも言える。なぜなら、言語経済学者フランソワ・グランも指摘する通り (Grin 2003: 23-24)、第1・第2の論点は、サービスや製品の取引という通常の経済学の枠組みで考察可能であり、その点でユニークさはないからである。一方、言語能力は、製品・サービスと性格が異なるのは当然として1 、典型的な人的資本(例えば、職業教育)とも異質と考えられる。例えば、第2言語能力は、努力によって身につけられる人的資本でありながら、「生まれ」の段階ですでに所有を運命づけられている「母語話者」という存在もある。このようなユニークさの点で、理論的貢献度のより高い分野であると考えられる。

言語能力の商品化は、他の2つの商品化と密接な相互作用がある。X語の言語サービスに対する需要が増えるほど、(L1であれL2であれ)X語ができる人の労働市場での需要は高まる。同様に、X語教育の需要が増えても、X語話者の需要は高まる。さらに、逆の因果も存在する。X語能力が労働市場で有利だということが周知されれば、X語学習・X語教育の需要は高まる。 実際、以下の事例で見ていく通り、「言語力の商品化」言説を流通させているのは労働市場そのものをビジネスの対象としている人々(例、就職情報産業)にはとどまらない。教育関係者もこの言説の重要な流通者だからである。以上の議論から明らかなとおり、言語能力の商品化は、言語の商品化をめぐる他の様々な現象と密接に関連しており、言語教育や社会における言語のあり方を考えるうえで重要性が大きいテーマだと言える。

本稿は、以下より、日本に焦点を絞り、「言語能力の商品化」の代表である「英語力の商品化」を検討していく。構成は次のとおりである。第2節で、「英語力の商品化」言説の現状を確認する。第3節で、「英語力の商品化」言説に密輸入されている前提を、経済学のことばに置き換えることによって、浮き彫りにする。その上で、経済学的なモデルに基いて実証分析を行う。第4節で、その結果を元に、「言語能力の商品化」研究の今後の展望を論じる。

2. 「英語力の商品化」言説

本節では、日本において、英語力がいかに商品として概念化されているか、近年の英語言説を見ていきながら検討する。結論的に述べれば、英語力の商品化言説は「英語を身につけてキャリアアップすべし」といった類の言説である。キャリアアップの中身に注目すると、「英語力上昇 → 賃金向上」と「英語力上昇 → 就業機会の向上」という2つのパターンに分けられる。 ただし、前者のほうがより「商品化」のイメージに近いだろう。なぜなら、自分の英語力が労働市場を経由することで賃金という金銭的価値に変換されるからである。したがって、本稿では、英語力と賃金の関係について中心に検討していく(英語力と就業機会の関係については、寺沢 (2015: 11章)で検討しているので参照されたい)。

2.1. ビジネス言説としての「商品としての英語力」

労働市場が前提である以上、「英語力の商品化」言説の主たる舞台がビジネス界、とくに就職・転職情報産業であることは不思議ではない。実際、ビジネス書やビジネス誌には、「英語力を磨いてキャリアアップ」といった言説が溢れている。 たとえば、『プレジデントファミリー』の2008年5月号には、「英語が喋れると、年収が高くなるのか?」と題した特集がある。概要を引用しよう。

このたび編集部では、「英語力と年収」の関係についてアンケート調査を行った。調査対象は英語ができ、かつ仕事をしている全国の30代、40代の男女。…[TOEIC760点以上]TOEFL540点以上、英語検定準一級以上のいずれかを持つ人にアンケートを実施した。すると「英語ができる人の年収は、同年代の平均的な年収よりも高い」という結果が出たのである。平均年収との差、なんと209.4万円!(プレジデントファミリー 2008 p. 37)

実は調査方法自体に多々問題点があるのだが2 、ここでは「英語力で収入に大きな差がつく」という認識を大前提にしている点に注目したい。こうした認識に基づくからこそ、「英語力という商品に磨きをかけて、労働市場で戦おう」という扇情的なメッセージが意味を成すのである。 上記のような「英語力で収入が増える」という話はビジネス言説では頻繁に見かける。そのいくつかを以下に掲げる。見出しを一瞥するだけでもだいたい何を主張したいのかよくわかるだろう。

  • 英語力のある人の給料は、平均の2倍以上!?:50代後半では約800万の差が――「マイナビニュース」2013年11月12日 (マイナビニュース編集部 2013)
  • 英語力のあるなしで年収は30%も違う!?――「ダイヤモンド・オンライン」2012年7月23日 (高野 2012)
  • 英語力が将来の年収に影響...50代女性は3倍の開き――「リセマム」2014年9月19日 (奥山 2014)
  • 平均年収に約137万差、英語学習の開始時期が影響――「リセマム」2016年12月21日 (荻田 2016)

2.2. 英語教育の商品化との結びつき

上述の言説は就職情報産業の売り文句であることはあ事実である。就職情報産業は、人々の転職意識が高まれば高まるほど利益を得られるので、このような刺激的な文言を好んで使う。ただし、これが就職情報産業の専売特許かと言えば、そんなことはない。英語教育関係者もしばしばはこの手のセンセーショナルな物言いをするのは周知のとおりだからである。以下に、その例をいくつか示そう。

たとえば、この種の言説を盛んに拡散している教育企業が、EF Education First (以下EF社)である。留学サービス・語学サービスを主に取り扱うこの会社は、もともとスウェーデンの一企業だったが現在では世界中に支社を持つグローバル企業である。同社は、世界中で展開しているオンラインテストに基づいた独自の国別英語力指標(EF English Proficiency Index)を構築し、定期的に発表している(要は、「A国の英語力は何ポイント、B国の英語力は何ポイント…」といった類のものである)。さらに、各国の英語力指標と経済指標の関連性についての報告書「英語と経済、生活の質」も発表している3。EF社の英語力指標や報告書は、ウェブメディアを中心に日本のみならず世界中の様々なメディアで引用されている。

同報告書では、英語力の経済的収益性を端的に述べている部分がある。引用する。

英語能力と一人当たりの国民純所得[図1参照]には好循環の相互作用があります。英語能力の向上によって給与が上がり、政府や個人による英語トレーニングへの投資が増えます。多くの国々では、若年層における英語能力の高さと失業率の低さに相関関係があります。このことから分かるように、英語は国家の経済成長の鍵なのです。


図1 EF社報告書における「英語力と経済力の相関」の図示(出典 http://www.efjapan.co.jp/epi/insights/english-economics-and-quality-of-life/

EF社のこの解釈は、典型的な統計学的誤謬をいくつも含んでいるが (寺沢 2017)、その点はここでは問わない。注目すべきは、英語力が経済力向上に寄与するという因果関係を自明視している点である。そしてこの種の見解は、何もEF社の「発明品」などではなく、「英語と開発」の領域では古くから表明されてきたものである(cf. アーリング & サージェント 2015)。

日本の英語教育関係者に目を転じてみよう。上述のような見解を公表している語学産業は多々あるが、もっとも意外に思われるのが英検である。英検の正式名称は、公益財団法人・日本英語検定協会であり、紛れもなく公益性の高い非営利組織であり、したがって、発言内容は他の営利企業と一線を画すように思われる。しかし、「英語力の商品化」という点に関しては、次のように大差ない。英検は、2016年12月、独自の調査に基いた「英語力とQOL (クオリティ・オブ・ライフ) の関係性調査結果」(日本英語検定協会 2016) という報告書を発表した。本稿の主題と関係する部分を引用する。

英語学習を早くスタートするほど、将来的な平均年収は高くなる
英語学習開始時期と、現在の平均年収の相関については、40代、50代男性においては小学生以前に学習を始めたグループは、中学生以上から学習を始めたグループに対して、平均年収が約137万円高いことが分かりました。

この結論にも統計分析の点で看過し難い問題点があるが (寺沢 2016)、ここでは論じない。重要なのは、英検のような非営利的な組織ですら、いまや英語力で収入が左右される労働市場になっているという認識を披瀝している点である(なお、前述の「平均年収に約137万差、英語学習の開始時期が影響」という記事 (荻田 2016) はこの調査報告書をもとにしたものである)。

2.3. 「商品」の2つのタイプ:言語教育と言語能力

以上からわかるように、英語「教育」を商品として売り出す企業は、英語「能力」の商品化にも親和的である。言い換えれば、言語教育の商品化は、「言語能力 = 労働市場で売買できるもの = 商品」という意識と強く結びついている。なぜなら、英語力を向上させるインセンティブがあるからこそ、英語学習を提供する教育サービスの価値も向上するからである。英語力の商品化は、英語教育の商品化と密接に結びついている4

3. 言語経済学における「言語能力の商品化」言説

前節における「英語力の商品化」言説の概観を受けて、本節では同言説の妥当性を経済学の観点から検討する。言語を対象とする経済学の一分野に言語経済学という分野があり、英語力の商品化の問題はほぼ完全にカバーされている。以下、言語経済学を参照枠としながら検討したい。

3.1. 言語能力が賃金に与える影響

「英語ができるようになると給料が増えるのか」という問いは、少々通俗的に響くものの、言語経済学の主要なトピックの一つである。 言語経済学者として最も重要な人物の一人に、フランソワ・グランというスイスの経済学者がいる――実際、彼のPhDは経済学であり、「経済についても語る言語学者」ではなく経済学者である。グランは、2003年、言語経済学をめぐる70ページにもおよぶ展望論文のなかで、その主要なトピックを5つ上げている (Grin 2003)。その5つ5の中で彼が筆頭にあげているのが言語能力と労働者の所得の関係である。

このテーマを、グランはさらに次のように分類している。

  • (1) 第一言語の違いで所得に差が生まれるか
  • (2) 第二言語能力は所得を左右するか(これはさらに2aと2bに分類される)
    • (2a) X語が日常的に使われている社会で、第2言語としてのX語能力は所得を左右するか
    • (2b) X語が日常的に使われていない社会で、第2言語としてのX語能力は所得を左右するか

以下、グランの記述にしたがって説明していく。上記 (1) は第一言語の違い、つまり所属する母語コミュニティが異なるかどうかで所得に差が生まれるかという問いである。第一言語は、理論上、個人の意志で選択できないので、言語集団間の経済的不平等に関する問いと親和的である。

一方、(2) は第二言語能力に注目したものである。当該社会の社会言語学的状況により、さらに2つのパターンに大別される。(2a) はいわゆる「第二言語環境」を想定している。たとえば、米国に移住した非英語母語話者移民の所得は英語能力に左右されるか否かという問いを扱う。一方、(2b) はいわゆる「外国語環境」である。たとえば、日本国内で働いている日本語母語話者の所得は英語ができるかどうかで差があるかという問いである。この意味で、日本国内の「英語力の商品化」言説は、ほぼすべてが (2b) の問いである。

第二言語能力は、第一言語能力と違い、「生まれ」から理論上独立している(もちろん、あくまで理論上の話であり、実際には大きな影響を受けているが)。したがって、(2) は (1) のような集団間不平等の視点は相対的に弱くなり、代わりに、後述する「人的資本」形成の意味合いが強くなる。つまり、自身の第二言語能力に投資し、労働市場での自身の価値を高めることで、より多くのリターンを得るという考え方である。

3.2. 人的資本理論から見た「英語力の商品化」言説

人的資本という概念は、労働経済学・教育経済学の最重要概念の一つであり (小塩 2003)、人間自身を「資本」と見なす考え方である。つまり、将来的なリターンを期待して工場や生産装置に投資する設備投資と同じように、人間自身も投資の対象と考えるわけである。自分に(あるいは子どもに)教育投資をし、たとえば学力や知識、そして英語力などを蓄えることで、生産性を向上させ、その結果、賃金という形でリターンを得るという考え方である。

このように、人的資本理論の観点から「英語力の商品化」言説を眺めることで、言説の背後の重要な仮定が明らかとなる。それは、英語能力を人的資本として取引する労働市場が成立しているという前提である。この前提は、第二言語環境(上記の 2a の状況)では成立していることが多いと思われるが、外国語環境(2b)では微妙な問題を含む。この点を、日本社会における英語力の例で考えよう。「英語力=人的資本」という図式が成立するのは、英語力が仕事の生産性を直接的・間接的に向上させていて、かつ、それが賃金等に反映された場合である。逆に言うと、英語力が生産性に対して因果的な効果を持たない場合、それはもはや人的資本としては認められない。日本における仕事の多くも英語と無縁のものが多いと考えられるため6、就労者の大部分にとって、人的資本モデルは当てはまらないと言えそうである。

3.2.1. シグナルとしての側面

注意が必要なのは、英語力と生産性の間に因果関係がなくても、何らかの相関関係は想定できる点である。たとえば、業務内容は英語とまったく関連せず、英語と生産性は無関係な仕事があったとしよう。このとき、雇用主が「語学は粘り強い努力が必要だ。だから英語ができる人間はそれだけ粘り強く仕事ができるはずだ」という信念(誤信念でも構わない)を持っていて、英語ができる人間に大きな価値を置いた場合、英語力と賃金の間には正の相関が期待できる。さらに、この信念が妥当だった場合、仕事の生産性とも相関する。

つまり、生産性を左右する真の要因を被雇用者が持っているかどうかわからないとき、雇用主はわかりやすいシグナル(この場合は「英語力がある」)で判断するということである。雇用主は被雇用者の能力がわからないという情報の非対称性に起因した賃金上昇効果は、シグナリング理論と呼ばれ、人的資本理論とは厳密に区別される。

3.2.2. 第三の変数による擬似相関

さらに複雑なことに、仮に情報の非対称性がなかったとしても英語力と賃金等の生産性は擬似的な相関関係を示すことである。ありえない仮定ではあるが、雇用主が被雇用者の「粘り強さ」などを完全に把握できるとしよう。こうなれば、雇用主は英語力というシグナルに注目する必要がなくなる。しかし、ここで問題になるのが、英語力と強く相関する人的資本(の候補となるもの)が存在する点である。

その筆頭が学歴である。人的資本理論の枠組みでは、学歴が高まること、言い換えれば追加的に教育を受けることは、それだけその人の生産性を高めると仮定している。これが事実だとすると、「学歴→賃金」という因果関係は妥当である。一方、日本社会では多くの人が学校教育期間に英語力(の少なくとも基礎)を形成し、実際、高学歴であるほど英語力が高いことがわかっている (寺沢2015: 1章)。このとき、「学歴→英語力」という因果関係も成立する。これらが合成されると、英語力と賃金の間に因果効果が存在しないにもかかわらず、相関が生じることになる。

3.3. 「英語力の商品化」の理論的整理

以上の理論的前提を踏まえたうえで、「英語力の商品化」言説の妥当性を検討しよう。英語力と生産性(賃金等)との関係は次の3つが想定できる 。それぞれを図示した図2も参照されたい。

  • (A) 人的資本理論
  • (B) シグナリング理論
  • (C) 第三の変数を介した擬似相関

図2 英語力と生産性の関係

まず、理論上の妥当性を考えてみよう。結論から言えば、すべてのモデルが日本にあてはまる可能性がある。Aの人的資本理論はまさに「英語の商品化」言説が述べているものである。近年のビジネス言説でよく言われる、被雇用者の一人ひとりの英語力向上が国際競争力を高め、仕事の質を押し上げるという説(いささか「風が吹けば桶屋が儲かる」感のある推論だが)が事実だとすれば、あり得ない話ではない。

Bのシグナリング理論も一応もっともらしい。日本では英語を必要としない業務が多数派であり、高度専門職者にも英語を一切必要としない者は多い(例えば、福祉サービス産業や保険産業など。詳細は寺沢 (2015: 8章))。その点で、英語力そのものが生産性を向上させている状況が想定できない場合も多い。他方、英語力にシグナルの面があることは事実だろう。実際、英語力、とりわけ学力としての英語力は、一般的学力の高さや勤勉さ、努力への耐性などの代理指標としばしば見なされてきた(例えば、平泉・渡部 (1975, pp. 43–5) における渡部昇一の発言)。したがって、雇用主側が、意識・無意識にかかわらず、英語力の高い就労者の職業能力を高く評価する可能性もある。

Cの第三の変数による擬似相関も十分考えられる。最もありそうな第三の変数が、前述の通り、学歴である。つまり、「学歴→英語力」と「学歴→生産性」の合成で、賃金差の大部分を説明できてしまうかもしれない。

実証分析でBとCを弁別するのは現状ではきわめて困難だが(情報の非対称性の指標となる変数が入手できない)、Aか否かは、寺沢 (2015: 10章) が、日本の就労者データを計量分析することですでに検討している。本稿の目的は「英語の商品化」言説の検証であり、その点でもAかどうかが検証できれば十分と考える。以下、その実証分析の結果を見ていき、人的資本としての英語力というモデルが妥当かどうかを論じたい。

3.4. 分析モデル

寺沢 (2015: 10章) が行った「英語力=人的資本」を判別するアイディアについて説明する。この弁別のために、次の仮定を導入した。

  • 仮定「必要性と人的資本は対応する」(needs–human-capital correspondence: NHC)
  • NHC-1:英語使用の必要な職場で英語は人的資本として機能する
  • NHC-2:英語使用の必要ではない職場では、英語は人的資本として機能しない。

したがって、NHC-2の状況でたとえ英語力による賃金差が確認できたとしても、他のメカニズム(シグナリング or 擬似相関)によるものであると考える。さらに、次の仮定を入れる。

  • 仮定「いずれの環境でも、賃金への擬似的な効果は一定程度働く」

つまり、NHC-1の環境でも、NHC-2で確認された疑似効果と同程度の疑似効果が働くということである。つまり、NHC-1における英語力による賃金差は、「人的資本の効果」と「擬似的な効果」に分解できると考える。

この議論を図示したものが図3である。この図をもとに、あらためて整理しよう。英語力がない人(図中の①)は英語力以外の様々な要因(例、学歴・経験年数・年齢)で賃金が形成されていると考えられる。そして、英語力はあるが英語使用の必要がない人(図の②)の場合、英語力は人的資本として働いていないので、②から①を引いた上昇分が疑似効果と考えることができる。さらに、英語力があり、使う必要もある人(図③)の賃金にもこの疑似効果は同程度含まれるという仮定なので、③から②を引いた上昇分が人的資本としての効果と見なすことができる。


図3 賃金の構成

以上のモデルが意味することは、「英語力」「英語使用の必要性の有無」そして「賃金」という少なくとも3つの変数が測定できれば分析可能だということである。ただし、実際には所得はこれ以外の多くの要因、例えば経験年数や年齢、職種や産業によって決まる。とくに学歴は、英語力との相関が高く、擬似相関の恐れの大きい要因なので、分析モデルに投入することは不可欠である。結局、以下の実証分析では、次の変数を分析モデルに含めている:年齢、年齢の2乗、仕事の経験年数、経験年数の2乗、就学年数(学歴の代理指標)、職種、外資系か否か、産業、事業所規模、雇用形態(正規か非正規か等)。

3.5. 実証分析

以上のモデルに基いた寺沢 (2015: 10章) の分析を紹介したい。寺沢の分析では、次の2つのデータが用いられている。1つ目が、リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査」2000年版であり、母集団は首都圏・中京圏・関西圏の18-59歳の就労者である。分析ではさらに正規雇用の就労者に限定し、年収への効果を推定している。2つ目が、日本版総合的社会調査の2006年版・2010年版で、2つの年次のデータを合併して分析した。この調査の母集団は、調査時に日本国内に居住する日本国籍保持者である。分析対象はあらゆる雇用形態の就労者サンプルである(年収を時給に変換したうえで比較した)。

以下、人的資本の効果だけに絞って紹介する。表1は分析結果を整理したものである。表の数値は、前述のモデルを仮定したときに推定された人的資本としての効果である。当該のレベルの英語力を保持していると保持していない場合と比較して何パーセント賃金が上昇するかということを意味している。たとえば、0.04 は、推定の結果 4%の賃金上昇が確認できたという意味である。


表1 分析結果の概要(出所:寺沢2015: 10章)

まず、ワーキングパーソン調査の結果を見ていこう。「日常会話程度」の英語力の人的資本としての効果は男性が4%, 女性が3%である。男性の効果は統計的に有意なので、ある程度信頼性のある結果と判断できる。一方、女性の場合は、ケース数の少なさもあり、推定値のブレが大きい。つまり、実際には3%よりももっと高い効果だったかもしれないし、あるいはもっと低かった(あるいはマイナスだった)かもしれない。一方、よりハイレベルな英語力、つまり「仕事上の交渉or通訳ができる」レベルの英語力については、男女いずれも12%である(ただし、男性だけが有意)。これらの結果が示唆するのは、少なくとも男性については、それほど大きなものではないものの、人的資本としての効果が確認できることである(効果の大きさについては後述)。

次に、比較的新しく、色々なタイプの就労者をカバーする日本版総合的社会調査(2006年・2010年)の結果を確認しよう。表1によると、男性はマイナス18%、女性はプラス29%の推定値が得られたが、いずれも統計的に有意ではなく、信頼性は乏しい。前述のワーキングパーソン調査の結果よりも推定値が両極にふれ、しかも有意ではないのは、ケース数に起因していると考えられる。つまり、同調査における英語力保持者の絶対数が少なかったため、推定精度が悪くなってしまったと思われる。

3.6. 「英語力の商品化」言説は実態を反映しているか?

以上の賃金上昇効果は、「英語力の商品化」言説を考える上でどのような示唆があるだろうか。以下、推定精度が比較的良好である、ワーキングパーソン調査における男性の結果を前提に論じたい。この結果によれば、日常会話程度の英語力は4%、仕事上の交渉が可能な英語力では12%賃金を押し上げることになる。年収500万円がそれぞれ520万円、560万円への増加である。英語力(とくに高度な英語力)の希少性――つまり、習得に大きな経済的・時間的・精神的コストがかかるため一部の人しかアクセスできない――を考えると、一見わずかな差のようにも感じる。

ただし、生涯賃金を考慮するなら必ずしもそうとは言い切れない。仮に生涯賃金が2~3億円だとすると、4%の上昇は800~1200万円、12%の上昇は2400~3600万円である。このとき、経済的コストは、英語教材や英会話スクールなど英語学習に支払った総額に、機会損失(つまり、英語学習に費やした時間を賃労働に当てていれば得ることができたはずの利益)、そして、機会損失の利子を足し合わせたものである。機会損失の正確な推算は難しいが、たとえば時給2000円の就労者が英語学習に1000時間かけた場合、機会費用の損失は200万円である。この損失額は、上記の800~1200万円よりもまだかなり距離がある。その点で、英語の人的資本としての上昇効果は、劇的なものではないが、ある程度は認められると考えられる。

ただし、ここで示した利益は、ある程度割り引いて理解すべきものでもある。なぜなら、分析ではきわめて重要な変数である学校歴(卒業した大学・高校)を統制できていないからである(いずれの調査にも設問が含まれていなかった)。学校歴は英語力と賃金の双方に影響を及ぼし、疑似的な効果を増幅させる要因である。たとえば、選抜度の高い大学(つまり、いわゆる高偏差値の大学)の卒業生は、平均的英語力も平均賃金も、そうでない大学の卒業生よりも高いはずである。したがって、この変数がもし統制できた場合、上記の4%・12%という数値はさらに小さくなることは想像に難くない。 また、本分析で示された「マイルドな」効果は、「英語力の商品化」言説の誇張ぶりを際立たせている。第2節で引用したものを今一度引用する。

  • 英語ができる人の年収は、同年代の平均的な年収よりも高い…平均年収との差、なんと209.4万円!
  • 英語力のある人の給料は、平均の2倍以上!?―50代後半では約800万の差が
  • 英語力のあるなしで年収は30%も違う!?
  • 英語力が将来の年収に影響...50代女性は3倍の開き
  • 平均年収に約137万差、英語学習の開始時期が影響

ここで紹介されている「英語力から得る利益」は、本稿の推定結果よりも明らかに大きい。実際、上記の調査報告は、英語力と賃金の2変数の関係しか見ておらず、人的資本として働いていない可能性、第三の変数による擬似相関の可能性をまったく考慮していない。この意味で、「英語力の商品化」言説は、現在流通しているものに限ってみれば、現在の日本社会の労働市場にほとんど当てはまらないと言える。そして、大前提として、前述の通り、日本社会での仕事での英語使用ニーズは限定的であり、大部分の就労者には「英語力の商品化」は当てはまらないということも押さえておくべきである。

4. 結論

本稿は、言語の商品化について、労働市場で売買される言語能力の観点から検討した。とりわけ、日本における「英語力の商品化」、つまり「英語ができるようになれば賃金が上がるのか」という問題を検討の俎上に載せた。この問題は、言語経済学の枠組みから眺めることで、英語力が人的資本として機能しているか否かという問題であると整理できることを確認した。さらに、寺沢 (2015) が行った実証分析を紹介し、日本社会において英語力の人的資本としての効果は、ないとは言い切れないが必ずしも大きなものではない――少なくとも、就職・転職情報産業や英語教育関係者が喧伝するほど劇的なものではない――ことを論じた。

次に、この日本の結果を、他国の結果と比較し、より一般的な示唆を考えたい。海外にも、第二言語としての英語力の賃金上昇効果を検討した先行研究が存在する。3.1節の類型化で見たとおり、英語圏における研究 (3.1節の分類における2a) と、非英語圏における研究 (2b) の2つのパタンがある。本稿では、日本の状況により近い後者にフォーカスして、議論を行いたい。

英語圏においては、移民を対象にした研究によって、英語力に賃金上昇効果があることは長らく知られていたが (例Chiswick & Miller 1998, 1999, 2002; Miller & Chiswick 1985; 松繁 1993)、近年、非英語圏にも同様の現象があるらしいことが示されている。非英語圏における英語力の賃金への効果を初めて実証したのが前述のフランソワ・グランである (Grin 2001)。グランは、スイスの就労者データ(1994-1995年調査)を用い、他の要因(教育レベル・勤続経験等)を統制してもなお英語力が賃金を上昇させるかを検討した。その結果、英語が流暢な人は、英語力がない人と比較して、男性で1.31倍、女性で1.22倍、賃金が高かった。グランはこの結果から、非英語圏においても、(生活言語ではなく)国際語としての英語の能力が賃金を押し上げたのではないかと論じている。

ただし、グラン自身が、同論文のなかで、この効果が必ずしも人的資本とは言いきれないと譲歩している点は注意が必要である (Grin 2001, p. 74)。つまり、グランは、シグナルの効果 (3.3節参照) である可能性を排除していないのである。グランの分析モデルでは就労者個々の英語使用ニーズが考慮されておらず、したがって、ニーズの有無と関係なく同一の賃金上昇効果が仮定されていた。つまり、グローバル就労者とローカル就労者の双方に同質のモデルを当てはめているわけである。極端な例でいえば、日夜世界を飛び回る人(例、グローバル企業や国際機関の職員)と居住地周辺で仕事が完結する人(例、農業・牧畜従事者)のいずれにも同レベルの賃金上昇効果を認めていることになる。したがって、後者のタイプの就労者に賃金上昇効果が見られたとしてもそれはシグナルの可能性が高い。後者の可能性を排除するような枠組みを採用できなかったからこそ、グランは人的資本の効果と明確に結論付けなかったわけである7

しかし、グラン自身の譲歩はもっともだとしても、他方、もしシグナリング理論が妥当だとしたら「国際語としての英語の能力」という説明からきわめて大きく逸脱していることになる。たしかに、英語のもつ国際語という性質は人的資本理論と関連が深いが(例「国際コミュニケーションが可能な就労者のほうが質の高い海外取引ができる」)、その一方で、シグナリング理論とは関係が薄い。むしろ、シグナルとしての働きは国内労働市場の構造に大いに依存する。「国際語としての英語の能力」というイメージは、「英語力の商品化」言説を増殖させる原動力と考えられるが、その実態は、第一人者の分析でも——しかも貿易依存度の相対的に高いスイスにおいても——必ずしも明確に実証されているわけではないのである8

ここで議論が終わるのなら単に実証分析の解釈の問題で済むのだが、実際にはそれを越えたインパクトが伺われる。というのも、応用言語学者や英語教育研究者がこのような分析結果を引用すると、しばしば「人的資本vs. シグナル」をめぐる複雑な問題が捨象されてしまうからである。たとえば、冒頭で引用したCameron (2012) は上述のグランの研究を英語の市場価値の証左として引用している(p. 354)。このような取扱いには、「英語力=人的資本」説がまだ仮説——有力な仮説であることは事実だとしても——の段階に過ぎないという留保は感じられない。シグナルあるいは擬似相関の可能性を忘却させ、生産性の源泉のように思い込ませるイデオロギーが、言語能力には(特に英語力には)働いているように考えられる。

グローバル化の進行——特に、グローバル企業の台頭や国外就労コストの低下——によって、英語が話せる就労者が同時に高賃金を達成している事例を見る機会も増えた。英語力と賃金のこの相関関係を安易に「英語力=人的資本」と解釈してはならないことは本稿で論じたとおりであるが、一方で、「英語力=人的資本」と理解したくなる誘引力が存在するように思われる。その誘引力の第一が、国際語としての英語をめぐるイデオロギーであり (Pennycook 2004, Phillipson 1992, 寺沢 2015) 、第二が言語道具主義イデオロギーであると考えられる。

以下、第二の点について議論したい。言語道具主義 (linguistic instrumentalism) とは、言語を個人に帰属するもの、つまり道具のようなものと見なす考え方である (Kubota 2011)。この考え方に則れば、言語能力は自動的に個人の所有物とみなされる。そして、個人所有の「道具」だからこそ、投資をして鍛えようという発想になる。その点で、人的資本理論ときわめて相性が良い考え方である。つまり、「ある人の言語能力はその人が努力して身につけた結果、つまり自己投資の結果であり、投資したからには利益を生むはずである」という人的資本理論的な言語観は、言語道具主義と表裏一体である。 しかし、実際には、第一言語であれ第二言語であれ、言語能力は公共財としての性格を多分に持つ。註1でも述べたとおり、ある人がX語能力を身につけると、その人だけでなくX語コミュニティ全体に利益を生む。さらに、その人がY語もできれば、X語で得た情報をY語につなぐこともできるので、Y語コミュニティにも恩恵がある。

実際、多くの国の言語能力形成=言語教育は、個人の将来的な収益を最大化するためだけではなく、公共的な目的でなされている。むしろ、世界のあらゆる地域で外国語教育制度がこれほど発達している現状は、何らかの公共的目的を想定しなければ説明不可能だろう。たとえば、日本のような典型的非英語圏において英語が事実上の必修科目として教えられてきたのは人的資本理論ではまったく説明できないし (寺沢 2014)、これは英語圏英米旧植民地のような準英語圏でも同様である。

このような実態にもかかわらず、言語能力を個人の所有物とするまなざしが、「投資されたのだから収益を生むはずだ」という人的資本理論を駆動していると考えられる。前述のとおり、言語現象の分析についてよく訓練されている研究者ですら人的資本理論的な解釈を容易に受け入れてしまいがちであることは、このイデオロギーの強力さを示していると言える。

本稿では、日本の就労者の分析をもとに、「英語能力の商品化」言説の誤謬を明らかにした。その結果を踏まえ、終節でこの誤謬は日本だけに当てはまるものでもないし、英語能力のみに限定されるものでもない可能性を論じた。なぜなら、その背後には、ある程度普遍的なイデオロギー(国際語イデオロギー・言語道具主義イデオロギー)が介在していると考えられるからである。言語能力の商品化をめぐる種々の議論は――たとえ著名な研究者の分析だったとしても――今一度、批判的に検討する必要があるように思われる。

参考文献

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  • 北村文 (2011) 『英語は女を救うのか』 筑摩書房
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  • 寺沢拓敬 (2017) 「英語ができると、幸福になる、GDPが上がる、南北回帰線から離れる…!?」Yahoo!ニュース(個人) 2017年1月19日https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20170119-00066767/(2017年5月7日閲覧)。
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  • Takahashi, Kimie (2013) Language Learning, Gender and Desire: Japanese Women on the Move. Clevedon: Multilingual Matters.

  1. 言語能力は、言語関連の製品やサービスと違って、経済学で言うところの公共財としての性格を持つ。その結果、ネットワーク外部性 (network externality) を持つ。たとえば、ある人がX語の言語能力を獲得した場合、彼/彼女のX語能力はこのひと自身だけに利益を生むわけではない。既存のX語話者集団にとっても、この人との情報取引の機会が生み出されたことになるので、利益と言える。
  2. 編集部が実施したアンケートには代表性がまったくない。また、英語力と賃金の関係しか見ておらず、擬似相関の可能性をまったく考慮していない(この問題については後述する)。
  3. http://www.efjapan.co.jp/epi/insights/english-economics-and-quality-of-life
  4. ただし、英語力の商品化は重要な要因のうちあくまでひとつの要因である。西洋や白人文化というパッケージを「売る」ことで、英語学習に対する憧れを商品化してきたのが戦後の少なくとも一部の英会話学校だからである (Piller & Takahashi 2006; Takahashi 2013; 北村 2011)。
  5. なお、グランがあげている5つのトピックとは次の通りである(Grin 2003)。(1) 言語能力と労働者所得(本文で説明)。(2) 言語のダイナミズム(各言語の勢力拡大・勢力縮小に経済モデルを適用)。(3) 経済活動における言語の役割(言語関連の商品(goods)やサービスの経済分析も含まれる)。(4) 言語政策の経済学(特定の言語政策の効率性・平等性の分析)。(5) その他(言語選択の効率性や言語と通貨の関係について等)。
  6. 寺沢 (2015: 8章) の分析によれば、日本での英語使用が必要な就労者は、かなり限定的な使用を含んだとしても全就労者の2割を下回る。
  7. この区別は、いわゆる「外国語としての英語」――つまり、3節で紹介したテーマ類型における (2b)――についてまわる問題である。一方、(2a) の英語圏における移民を対象とした研究 (例, Chiswick & Miller 1998, 1999, 2002; Miller & Chiswick 1985; 松繁 1993) の場合、大きな問題にならないと思われる。なぜなら、この種の移民にとって英語使用の必要性は普遍的だからである。
  8. なお、準英語圏とも言えるインドにも同様の研究があるが (Azam et al. 2013)、やはり人的資本の効果なのかシグナルの効果なのかは曖昧である。