ジム・カミンズ(Jim Cummins)の理論と日本の第二言語教育 - Togetter
先日、バイリンガル教育の理論的基礎を築いた心理学者ジム・カミンズ氏(Jim Cummins)が来日し、ツイッター上でも氏の理論に関する議論が盛んに行われています。
英語教育でも、カミンズ氏の重要な言語能力理論(例えば、二言語相互依存仮説やBICS/CALPの区別)はしばしば引用されます。しかし、彼の理論を日本の英語教育者はあまり適切に理解していないのではないかという懸念を私は以前から持っています。以下、その点について実際の論文に則して論じたいと思います。
(なお、私の専門は教育社会学で教育心理学ではありません。思い違い等あるかもしれませんので、気が付いた方はぜひご指摘をお願いします)*1
ジム・カミンズ氏の過去の著作をまとめたAn Introductory Reader to the Writings of Jim Cummins (C. Baker & N. Hornberger Eds., 2001, Multilingual Matters) という便利な論文集が出ています。彼の2000年頃までの主張はこちらでカバーできます。
An Introductory Reader to the Writings of Jim Cummins (Bilingual Education and Bilingualism, 29)
- 作者: Jim Cummins,Nancy H. Hornberger
- 出版社/メーカー: Multilingual Matters Ltd
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: ペーパーバック
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カミンズ氏は言語学習に関する様々なテーマ・理論を取り扱ってきた人ですが、本記事では、言語能力の相互依存仮説および基礎的対人伝達スキル(BICS*2)/認知学力的言語能力(CALP*3)を取り上げます。この理論を中心的に検討しているのは次の論文です。
「母語」能力も「外国語」能力も「根っこは一緒」
実際のテクストを見る前に、日本の英語教育で上記の理論はどう説明されていることが多いのでしょうか。簡単に確認しておきます。
「相互依存仮説」は、文字通り、第1言語 (L1) も第2言語 (L2) も基底の部分では相互に依存している、いわば「L1もL2も根っこは一緒」という理論です。日本の英語教育の文脈に適用すれば、「日本語(L1)も英語(L2)も根っこは一緒」と言い換えられるでしょう。カミンズ氏は氷山のメタファーで説明しています。手書きですみませんが、以下のイメージです。
ただ、言語能力のあらゆる側面において「根っこが一緒」というわけではなくて、相互依存の部分と独立している部分があります。前者が認知学力的言語能力(CALP)で、後者が基礎的対人伝達スキル(BICS)です。
非常に大雑把に言えば、認知学力的言語能力(CALP)とは認知的負荷の高く抽象的な言語操作を可能とする言語能力です。典型的なイメージとしては「学術場面で評価される言語能力」です。
一方で、基礎的対人伝達スキル(BICS)は、認知的負荷の小さい、具体的場面を前提とした言語能力です。典型的なイメージは、「とっさの一言」的英会話です。
ポイントは、前者の能力はL1/L2間で相互に依存しているが、後者は独立しているという点です。たしかに、「とっさの一言」的英会話は、日本語の会話がどんなに上達しても上手くならない気がしますが、日本語で難解な学術書を読める人は、英語の学術書もそこそこ読めそうな気もします。この点をカミンズ氏は心理学的に実証したうえで、L1およびL2の認知学術的言語能力(CALP)は相互に転移すると主張しました。砕いて言うと、「どちらの言語で教えても、もう一方の言語能力(CALP)は伸ばせる」という感じになるでしょうか。
「母語」の重要性?
以上のカミンズ理論から、日本の英語教育ではしばしば母語の重要性が説かれます。すなわち、「日本語能力育成を土台にした英語教育を行うべきだ、英語で英語を教えるのはもってのほか」のような「日本語重視の英語教育論」です。しかしながら、その帰結はおかしいと思う方もいるのではないでしょうか?実際、私の知人にも次のような疑問をぶつけてきた人がいます。
- カミンズさんは、第一言語と第二言語は相互に転移するとは言っている。でも、その転移は「L1からL2へ」だけとは言っていない。カミンズさんの主張に忠実に従うなら、「「どうせ日本語力につながるんだから、英語力育成を徹底的にやってもいいよ」だって同時に言えるんじゃないの?
これは要するに「英語力(L2)重視論」という帰結も等しく可能ではないかという疑義です。単に「英語使用を多めにする」というだけでなく、「英語だけの教育」(All in English)やイマージョン教育*4も正当化できそうです。なぜなら、繰り返しになりますが、カミンズ氏は「L1とL2は転移する」ということしか言っていないからです。
カミンズ理論の重要な文脈
結論から言ってしまうと、カミンズ氏の理論はまったく矛盾していません。(そもそも矛盾した理論がこれほど長らく生き残っているはずもありませんし)
矛盾しているように見えるのは、《日本の英語教育的な説明》が、重要な理論的文脈を無視してしまっているからです。その文脈とは、マジョリティ言語話者とマイノリティ言語話者の間にある権力関係です。つまり、マイノリティが言語学習を行ううえで、どのように教育言語の選択を行うべきかという論点です。
実際のテクストを確認します。上の論文はけっこう長いので、「相互依存仮説」そのものをずばり定式化している部分を見てみましょう(上掲書の p.122)。
To the extent that instruction in Lx is effective in promoting cognitive academic proficiency in Lx, transfer of this proficiency to Ly will occur provided there is adequate exposure to Ly (either in school or environment) and adequeate motivation to learn Ly.
[寺沢訳] X語での指導がX語の学力育成に有効である限り、この学力はY語へ転移する。ただし、(学校や生活環境で)Y語への十分な接触があり、かつ、Y語を学ぶだけの十分な動機があるという条件においてである。
ここで非常に重要なのは、カミンズ氏は、第1言語(L1)・第2言語(L2)ではなく、X語(Lx)・Y語(Ly)という表現を使っていることです。つまり、ここでの定式化において、母語なのか第2言語なのかはあまり重要ではないということです。
どのような要因がX語とY語を決めるかというと、先述の通り、言語集団をとりまく権力関係であることをカミンズ氏は説明しています。ごく大ざっぱに言うと、X語はマイノリティ言語で、Y語はマジョリティ言語です。上記引用の「十分な接触があり」かつ「学ぶだけの十分な動機がある」という条件はマジョリティ言語の特徴と言えるでしょう。一方、マイノリティ言語の場合、言語集団に適切なエンパワーメントが行われなければ、この条件は当てはまらないと思われます。
なぜマジョリティ/マイノリティという区別が重要か
母語/外国語という区別が重要でないとすると、上記の定式化にはどのような意義があるのでしょうか。
そもそもカミンズ氏は、北米のマイノリティ児童のための第2言語教育に大きな関与をしてきた研究者です(さらに言えば、米国等の第2言語教育政策に対し痛烈な批判を展開している「戦闘的」心理学者でもあります)。上記の論文でも詳しく述べられていますが、マイノリティの児童(特に、移民の子弟)はまず第1に、「移行プログラム」と呼ばれる教育プログラムを受けます。これは、米国のメインストリームである「英語による教育」への準備段階のようなものと考えて頂ければいいと思います。このプログラムである程度の英語能力がついたと判断された児童は、メインストリームの学校教育に順次移されるということになります。
この「移行」の判断に、大きな誤謬があったとカミンズ氏は指摘しています。その誤謬とは、
- できるだけ早くメインストリームの教育に移行した方がよい(したがって、「母語」による教育はなるべく早く切り上げた方がよい)
というものです。この背後には、「英語力は、英語による指導を通してのみ伸びる。移民の言語による教育は時間のムダ」という素朴な誤謬があったわけです。こうした誤謬に反論するために、上記の相互依存仮説やBICS/CALP理論は有効なのです。すなわち、「英語力は、移民の母語を媒介にしても育成できる」ということです。
ところで、米国のマイノリティ児童は、日本の子どもと違い、学校で英語(語学)だけを学んでいるわけではありません。その他の教科も併せて学習する必要があります。数学や理科、社会などの複雑な概念・知識も、ただでさせ不慣れな英語を介して吸収しなければならないのです。もし「英語だけの教育に極力早く移行すべし」という誤謬をもとに、まだ英語のCALPが十分でないにもかかわらず、メインストリームの授業に放り出されたとしたら...。その場合、基本的なコミュニケーションスキル(BICS)は伸びるかもしれませんが、CALPの助けが不可欠な教科学習にはついていけなくなるでしょう。こうした「誤解に基づく教育措置」の問題点を理論的に明らかにできる点で、カミンズ氏の相互依存仮説やBICS/CALP理論は意義深いものになると思います。
日本へ適用した場合の皮肉な帰結
最後に、日本の英語教育に再び視点を戻してみたいと思います。日本国内において、少なくとも、日本語は「マイノリティ言語」とは言えないので、上記の定式化は、次のように書き換えられます。
- 英語での指導が英語の学力育成に有効である限り、この学力は日本語へ転移する。(ただし、学校や生活環境で日本語への十分な接触があり、かつ、日本語を学ぶだけの十分な動機があるという条件においてである)
皮肉なことに、日本のコンテクストに置いた場合、「母語育成擁護論」というより、「英語力育成重視論」に都合がよい結論が導けてしまうかもしれません。
カミンズも、実際、上記の論文のなかで、マジョリティの子どもの場合は、マイノリティ児童とは逆に、「母語」以外の言語 ――特に、マイノリティの言語―― によってイマージョン教育を受けることは効果的であり、また、公共性の観点からも望ましいと述べています(具体例としては、カナダのフレンチ・イマージョンやアイルランドのアイルランド語による教育*5)があげられています)。
なお、当然ながら、「日本における英語」は「日本における日本語」と同様、「マイノリティ集団の言語」ではないので、上記のカミンズの主張とはまたずれてきます。ともあれ、「マイノリティ/マジョリティという権力関係のなかでの英語教育」というのを考えにくい、日本という《特殊》な環境ゆえ、歪んだ形でカミンズ理論が受容されているのでは、と邪推している次第です。