こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

信頼性、認知科学、社会統計、代理指標

SLAでの「信頼性」という用語の含意が、社会科学(具体的には社会統計)のそれとは質的に違うんじゃないかと思ったのでここにメモ。単純に思いつきなので叩き台にして頂いて構いません。

思いついた区別は以下のようなもの。

SLA認知科学)の「信頼性」
ひとりの人間の実測値が、どれだけ「真値」からのブレが少ないか
社会科学の「信頼性」
ある集団の実測値の代表値が、どれだけ「集団の真の代表値」からのブレが少ないか


言語能力の測定で考えてみる。社会統計の代理指標のという考え方の場合、回答者個人の「真の能力」が「代理指標の値」と一致している必要は必ずしもない(もちろん一致していればしている程よい)。基本的に、集団単位で確率論的にしか推論しないので、集団として帳尻があっていればOKということになる。そればかりか、帳尻が多少あってなくてもOKである場合すらある(もちろん帳尻があっていればあっているほどよい。しつこい)。仮説を無難なものに再調整するとか、仮説的な示唆にとどめるなどの操作をすれば。


たとえばこんな例。気になる人がいて、彼氏/彼女がいるかどうか知りたい時、ストレートに聞くとアレなので、左手の薬指(代理指標)を見る(測定)という方法の妥当性は低いか高いか。既婚者でも指輪をしていない人なんて沢山いるので、あまりあてにはならないが、それでも「彼氏/彼女がいることは明らかとは言えない」くらいの「無難なものに再調整した仮説」への回答には十分なる(はず?)


認知科学系の人に、社会調査の「代理指標」(=測りたいものを直接測るのが困難な場合に別のもので近似する)という道具が、不信の目で見られることが多いのも、この辺りの事情にあるのかもしれない。


ちなみに、回答者の言語能力(外国語能力)を、自己申告設問で「代理」することのメリットは、質問紙形式に乗りやすくなるのでランダムサンプリングが容易になるということだろうか。もちろん、例えば「日本国民」からランダムに抽出した回答者に、標準化された言語テストを行うというデザインは理論上は可能だろうが、現実的には無理だろう。