こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「純ジャパ」の生成過程

という、大げさな名前をつけてしまったが、以前の記事の続き。

この記事

に、「通りすがりです」さんから貴重なコメントをいただいたのでご紹介。

「純ジャパ」という言葉が取り上げられていますが、私の出身大学では1950年代あたりから「ノンジャパ(Non Japanese)」という言葉があったようです。意味は「日本語を第一言語としない人」で、主に海外から来た教員を指す言葉だったようです。


その後、遅くとも1980年代には、「ノンジャパ」以外に「純ジャパ」・「半ジャパ」・「変ジャパ」という言葉がありました。「半ジャパ」は、”日本人と外国人の間に生まれた、いわゆるハーフの人”、「変ジャパ」は”日本人だが海外生活が長かったり留学から帰ってきた後だったりして、日本語と英語が混ざった変な会話をする人”、という意味だったそうです。どちらもかなり問題のある表現ですが、普通に使われた時代があったようです。


そして「純ジャパ」なんですが、当初の意味は”大学の過酷な英語教育プログラムを経てもなお英語ができない人”というものだったようです。


私の勝手な推測ですが、4つとも、「○ン・ジャパ」という言葉なので、「ノンジャパ」以外の3つは「ノンジャパ」をもじって作られた言葉ではないかと思います。「純ジャパ」だけだとなぜ「人種語り」をしているのかわかりづらいですが、上の4つを並べると当時の学生にとっては「人種語り」だったんだなぁと感じます。(ちなみに今は「半ジャパ」・「変ジャパ」は全く使われません)


http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20111018/1318927938#c1367246502


「純ジャパ」などという言葉を軽々しく使って、ナイーブな「人種語り」する人々に、つねづね苦々しく思っていたんだけれど、過去にはこういう事情があったのか、と納得。


目を背けたくなるような「奇行」でも、歴史的事情を知ってしまうと、意外と許せてしまう好例だろうか? とはいえ、(「通りすがりです」さんも言っているとおり)現代の「純ジャパ」が、上記の歴史的事情を踏まえているわけではなくて、その点で、ナイーブな「人種語り」をしている事実は揺るがないのだけど。