こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

早期英語の国際比較分析(Hayes, 2022)

本書は、早期言語教育(小学校英語が中心だがそれ以外のトピックもある)の国際比較事例研究である。サブタイトルに明示されているとおり、単に各国のカリキュラムの紹介・羅列ではなく、各国の社会的状況と言語教育がどう相互に影響しあっているかを論じている。こういう観点をとることの当然の帰結として(タイトルには明示されていないもの)言語政策にかかわる話もふんだんにある。

著者はもともとブリティッシュ・カウンシルの関係者であるので1、英語教育を素朴に推進したがる立場なのかと思いきや、本書の論調はその正反対である。私ですらちょっと悲観的すぎるんじゃないかと思うほど、早期英語教育の実際の効能に悲観的である。そうした「効能」を幻想だと切って捨て、幻想に惑わされて早期化を進める各国政府を厳しく批判している。

ところで、日本の早期英語教育政策の語り方は、明らかに「他国は進んでいる、日本は遅れている」である。たしかに、導入状況や政府の公式文書(要するに建前を宣言したものだ)を見るなら、日本は遅れており、他国は進んでいる。こうした進度の違いを、私たちはつい優劣と同一視してしまうが、実はそれは、「進んでいる=善」という(往々にしてあまり根拠はない)価値観の反映にすぎない。進度の差は、客観的には「違い」でしかないのに、それを優劣だと思いこんでいるからである。

本書でも述べられているとおり、通常、「進んでいる国には、進んでいるなりの事情がある。その事情は、ポジティブな面もあればネガティブな面もある。(大統領がポンコツだから、見栄えだけ先進的な政策を強引に推し進めるということだってあるでしょ?)。日本の英語教育関係者が国際比較をするとき、こうした「違いは違いにとどめて安易に価値判断をしない」という姿勢が大いに欠落していると思う。早期英語の幻想に華麗に踊らされつづけている小学校英語の旗振り役の大先生方が、本書をどう読むかは興味がある。

この関連で、とくに印象的な部分を引用する。エピローグで、各国の政府も政策導入方法はなかなかいい加減だということを論じている部分である(p.160)。

残念ながら、多くの政策立案者は、[小学生や未就学児に]英語教育を義務付けることに固執し続けているが、次のような政策的配慮は欠落している。 すなわち、(a) 現行制度下の言語教師の能力を考慮して、現実的な言語学習目標を策定するようなことはしていない。 (b) 同時に、 長期かつ継続的なプロフェッショナル・ディベロップメント・プログラムを通じて…教師の能力を高めることもしていない (c) 新しい教員養成準備プログラムを開発せず、新任者に必要な言語能力・教育能力を身につけさせることができていない。 (d) 政策の実施に長期的かつ継続的に取り組んでおらず、成果を生むまでに十分な時間が用意されていない(拙訳、DeepL-assisted)


  1. 具体的にどういうステータスで所属していたのかは調べたがわかりませんでした。